【滅亡・奥州家】薩州島津家13・栞歴21

記事作成出典元「島津歴代略記」「本藩人物誌」^^/

家督を巡って争う惣領五家~【(滅亡)総州家】【(宗家⇒)奥州家】【(統合⇒)相州家&伊作家】VS【薩州家】

記事内呼称簡略ルール:家名+番号(〇代目)+名前(諱)
(例)相州家②運久⇒相州島津家の2代目当主で名前(諱)が運久
マニアック薩州島津家・女系譜(メインのみ抽出)

①用久・娘----------------宗家⑩立久と結婚(二人には子供なし)
 ↓
②国久
 ↓
③重久・娘、御東-----------【結婚・貴久誕生】---------------伊作⑩日新斎
 ↓                              ↓
④忠興・娘(⑤実久の姉)----宗家⑭忠兼と結婚&離婚      (実久と忠良は義兄弟)
 ↓                              ↑
⑤実久---------------------【結婚・義虎誕生】---------------③重久・娘(御東妹)

1533年(天文2)2月9日~島津貴久の嫡男にして四兄弟長兄・島津義久誕生


ちなみに毛利の小早川隆景も同じ年産まれ^^b



(島津貴久イメージ画像~隠居後ネ^^)

島津貴久の初陣は嫡男誕生と同年で、年齢は二十歳と戦国では遅い部類に入る。

なんでかなぁ~と不思議に思いつつ調べてなかったのだが、何のことは無い。

父である日新斎が薩州⑤実久に対し反撃を開始したのが、この年だったからだった^^

同年2月10日~南郷の城主・桑波田孫六栄景が実久サイドになり兵を起こした

同年3月29日~日新斎は、これを襲って奪い返す~城主の孫六は逃亡し行方不明~以後、南郷城を永吉城と改める(=^・ω・^=)v ブイ

同年4月~薩州⑤実久は永吉城を襲うが敵わずして帰る

同年8月14日~島津貴久が初陣~無事に勝利で飾る(=^・ω・^=)v ブイ

同年12月24日~日置城主・山田有親が薩州⑤実久から離れて日新斎に降ったので、薩州⑤実久が誅した


激化する薩州家と伊作家。分家同士の争いを尻目に、不和の種を撒いた張本人である宗家⑭勝久は遊興にふけっていた。

ちなみに、この間も日向・伊東家は徐々に勢力を広げ、島津分家の北郷家や豊州家らとバトル真っ盛り^^;

1534年(天文3)~国が傾くのを嘆いた島津家老・川上昌久は同志15人と連盟書を奉じて宗家⑭勝久を諌めたが、勝久は拒否。

さらに佞臣・末弘伯耆守が勝久に川上昌久を讒訴した。

同年10月25日~川上昌久らは互いに謀って、谷山皇徳寺で佞臣・末弘を殺害する。

これにビビった勝久は鹿児島・清水城から根占に遁走~~はぁ~ぁ情けない(トホホ

1535年(天文4)4月3日~コショーリ鹿児島に舞い戻った⑭勝久は、川上昌久を追い詰めて自害させた。

これが島津当主のすることか・・・情けなくて泣けてくる。

さらに勝久は川上の妻子がいる城も攻撃したが、妻はじめ城兵が一丸となって守り貫いた。

川上未亡人は、後に伊作⑩日新斎に「烈女・賢婦人」と称され領地を安堵されている。

殺された川上の同士らは「もはや我らに逃げ場は無い。この主君(勝久)は頼み難し(T^T)」と、薩州⑤実久に与した。

そして勝久への謀反を進言し、それを受けて薩州⑤実久も遂に叛意を露わとした。

1534年(天文4)7月23日~貴久次男にして4兄弟次兄・島津義弘誕生^^/

同年9月30日~宗家⑭勝久~薩州⑤実久に敗れて清水城を脱出~~

同年10月10日~薩州⑤実久が鹿児島へ乱入~村市を放火すること7日間に及ぶ


チキン勝久は密かに小舟で逃れて祁答院(けどういん/この場合は地名ではなく国人ネ)を頼って帖佐(ちょうさ)へ向った。

薩州⑤実久は鹿児島へ打ち入って、諸家に自らを「御屋形」と仰がせようとしたが、吉田衆の謀叛が起きて止む無く領地の出水に引き返した。

そのため島津貴久が鹿児島に討ち入ってこれを領した。

⑭守護職はトンズラだわ、⑮貴久が入って来るわ、薩州⑤は独立状態だわ、お蔭で分家・国人もてんでバラバラ争乱状態。

国内の乱れるのを見て、すっかり怖れをなした⑭勝久は、日向・真幸院へ行き北原を頼り、

また都城(同じく日向)に赴いて北郷氏(島津の分家)を頼み「(勝久を)鹿児島へ連れてって!」とおねだりするが応じてもらえず(当たり前)、遂には豊後国に逃れたという。

豊後の大友家は勝久ママン(天真夫人)の実家なんです^^;

このみっともなさは、どうにもフォローできない^^;;

勝久は薩州⑤実久姉との間には子供はいなかったんですが、逃亡中に再婚した夫人との間には子供が出来たのね。

日向にいた勝久の子供たちは、後に真・島津宗家に見つかって僧侶にする措置がとられたが、いつの間にやら還俗して武家に戻ってます。

もちろん島津姓を名乗れるはずもないんですが、諱が・・・忠良だったり良久(読みが、よしひさ)だったり忠恒だったり、メチャクチャ意識してるのがイジマシイ(;;)

もっと惨めったらしいのは、勝久ってば鹿児島脱出時に宗家什宝の一部を持ち逃げしてたらしいんです。

江戸期に生活困窮すると、時の藩主に持ち逃げした什宝を売って生活費にしてたそうな・・・

勝久本人が流浪先で死ぬのは自業自得なんだけど、子孫が気の毒な話^^

ちなみに宗家である奥州家ですが、初代藩主となった島津忠恒が「陸奥守」を名乗ることで、一応は継承してたんです。

ところが例の東北の方(●Д゚)y─┛~~ からクレーム来まして「陸奥守」を名乗れなくなったので、名実共に奥州家は滅亡します^^

さぁ~奥州家は薩摩から遁走~宗家の座は、残る薩州家と伊作(相州含む)の争いとなるのだが、それは・またの話。by^-^sio
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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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