【アレも義兄(あに)♪コレも義兄♪たぶん義兄♪きっと義兄♪】

薩州島津家11・栞歴19~タイトルのネタ元は、女優・松坂慶子のヒットソング(*´pq`)クスッ

記事作成出典元「島津歴代略記」「本藩人物誌」^^/

家督を巡って争う惣領五家~【(滅亡)総州家】【(宗家⇒)奥州家】【(統合⇒)相州家&伊作家】【薩州家】

記事内呼称簡略ルール:家名+番号(〇代目)+名前(諱)
(例)相州家②運久⇒相州島津家の2代目当主で名前(諱)が運久
マニアック島津女系譜(主要部分のみ抽出)

薩州家①用久・娘----------------宗家⑩立久と結婚(二人には子供なし)
 ↓
薩州家②国久
 ↓
薩州家③重久・娘、御東------------------------------伊作⑩忠良と結婚
 ↓                              ↓
薩州家④忠興・娘(⑤実久の姉)----宗家⑭忠兼と結婚      実久と忠良は義兄弟
 ↓                              ↑
薩州家⑤実久----------------------------------------薩州③重久・娘と結婚
伊作⑧久逸
 ↓
伊作⑨善久-----------------------新納是久・娘、常盤と結婚
 ↓
長女・島津昌久と結婚
次女・吉田位清と結婚~二子あり、夫は謀反を起こして滅亡。

※娘たちは伊作⑩忠良の姉たちです

身内で揉める島津家は、身内の結束を固める&和解のための血族婚が多い。

女系譜まで調べるレベルになったら超絶マニアな件,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!




最新の島津研究では「薩州家⑤実久は島津宗家の家督を継いでいた」ことが判明している。

当主在位期間は推定で10年。

伊作系統が島津当主の地位を独占するに至って、「薩州家⑤実久は国賊扱い」になった為に「実久当主期間」の歴史が闇に葬られていたらしい。
(えぇ!島津じゃ珍しいことじゃありませんのよ)

父・兄が立て続けに死んだために急遽、養子先からカムバック当主になった宗家⑭忠兼。

政治基盤が弱かったのをフォローするために、実久の姉を正室にと迎え、薩州家のバックアップを受けた。

ところが⑭忠兼は父・兄たちよりも芯から器量が残念な男だったため、実久の力の前に圧倒されてしまう。

実久は子供のいなかった忠兼に「自分を養子にしろ」と迫り、守護職として振る舞うようになった。

どうやら、この時はホントに当主だった(らしい)。

とにかく当主として書面上の体裁は整えていた。と言うからには全くの詐称ではなかったようだ。

耐えかねた宗家⑭忠兼が、伊作⑩忠良へ泣きついた・・・ってとこは前回までの荒筋。

この時に⑭忠兼は、実久の姉を離縁し「当主の義兄弟」という実久の大義名分を解消したんです。

だが「解消されなかった義兄弟の間柄」がある。

それが薩州家⑤実久と伊作⑩忠良の義兄弟の関係だ。

あ~~~女系譜ガン見すると気づくと思うが、実久は実叔母と結婚してるんですが、血族婚の多い島津じゃ(以下略)

弟・実久と夫・忠良の争いに板挟みになったのが、忠良の妻・御東(ちなみに4兄弟祖母)です。

御東は薩州家と伊作家の戦いが始まると、迷うことなく夫・忠良に付き従った剛毅な女性だったそうだ。

「島津中興の祖・忠良」に、それだけ男性としての気概と魅力が溢れていたのでしょう。

残念ながら御東は、息子・貴久が宗家15代目になる日を見る前に亡くなっている。

忠良は貴久が宗家家督を継いだのを確認すると、33歳の若さで隠居し「日新斎(じっしんさい)」と名乗ります。

亡くなった御東(寛庭夫人)の位牌に報告したんだろうなぁ・・・(゜-Å) ホロリ

一方、御東の妹・・・つまり実久の妻だが、詳しいことは解ってない。

もしかして、この時期は未だ実久に嫁いでいないかもです。実久・妻は嫡男・義虎を産んで間もなく死亡したようだ。(義虎が産まれるのは、この話から10年後)

御東と妹は、かなり年齢が離れていたようなので、薩州家と伊作家の関係を考えると姉妹の対面ってあったのかなぁ~って感じです^^;




1527年(大永5)5月~帖佐地頭・島津下野守昌久と加治木城主・伊地知周防介が実久サイドになったのを受けて、伊作⑩忠良は再び討ち手を出して両者を討つ

前回、記事にした部分ですが、二人の行動は薩州家⑤実久の差し金です。

それは「島津昌久がコチラ側として動いたら、忠良は必ず伊作から出てくる」という自信が実久にあったからです。

なぜなら忠良の祖父・久逸が討死した遠因が島津昌久にあるからだ


伊作・女系譜にあるように、島津昌久は忠良の姉と結婚した義兄(あに♪)

で、島津昌久自身は薩州家の分家です。

薩州家ってば、まだ5代目だってのに歴代ハッスルしたのか、やたら支族・分家が多くて把握しきれんちゃ!

で、薩州家②国久亡きあとにスッタモンダ御家騒動が起きて、羽州島津家②忠福にグランパ久逸が味方して、薩州家④忠興に討たれた。

で~~って久逸が羽州②忠福に味方した理由ってのが、孫娘が嫁いだ島津昌久と羽州②忠福が兄弟だったからなの。

いかに薩州家分家とはいえ、忠良の姉夫だし、久逸の死に関わってるんだから「当然、伊作サイドにゃ」とカウントしてた。

あにはからんや、しょせん分家は分家でして「あやつ薩州家本家に従いやがった!裏切り者~成敗!」って感じで忠良は出陣!

貴久に家督を譲って伊作に隠居してた忠兼はノーガード

島津実久は「待ってました!」この隙に未来の舅・川上忠克を忠兼のもとに派遣し、守護職復帰を説かせた

(後年ですが、実久は正室(実叔母)死去後に川上の次女を継室に迎えて男子を儲けます)

宗家⑭忠兼の愚かなところは、実久の求めに応じて守護職に復帰したことです


自力では出来なくて泣きついたくせに、筋も道理も通すだけの根性が無い。眼先の利益に踊る、つくづく小賢しい男です。

忠兼は隠居して出家してたくせに、あっさり還俗して勝久と改名し復活・復権・復職した。

勝久の行動が「もともと因縁のあった伊作家と薩州家の争いを激化させた」ことは言うまでもないだろう。それは・またの話~by^-^sio
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Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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