【御家騒動】薩州島津家7・栞歴15

宗家の座を巡って争う惣領五家~総州家(滅亡)・奥州家(=宗家)・相州家・伊作家・薩州家

記事内呼称簡略ルール::家名+番号(〇代目)+名前(諱)

例)相州家②運久⇒相州島津家の2代目当主で名前(諱)が運久
早わかり家系図(主要メンバーのみ抽出)◆別記系図~★現当主

島津奥州家=宗家⑧久豊の子供たち
 長男(庶子)用久(薩州①)⇒国久(薩州②)⇒重久(薩州③)⇒★忠興(薩州④
◆嫡男・忠国(宗家⑨)
 3男・季久(豊州①)⇒忠廉(豊州②)⇒★忠朝(豊州③)
 4男・有久(羽州①)⇒忠福(羽州②)
 5男・豊久(伯州①)⇒忠常

◆島津宗家⑨忠国⇒長男(庶子)★友久(相州①)⇒運久(相州②)
        ⇒嫡男・立久(宗家⑩)⇒★忠昌(宗家⑪)⇒忠治
        ⇒3男・★久逸(伊作⑧)⇒善久(伊作⑨)

戦国時代の人間に「今は戦国時代」という自覚は無いだろう。

「戦国向きじゃない」と後世の人たちに言われても、当の本人は真剣なんです。



第二次飫肥の役(1485年)に大敗北した伊東尹祐は、復讐に燃えて虎視眈々~

1495年(明応4)~島津宗家⑪忠昌は、しつこい伊東の報復を恐れ(日向)三股一千町を割譲して和睦した

だが、今度は伊東との和睦に分家・北郷(ほんごう)が不服~リベンジに燃えて忠昌の言う事聞かない件~


同年7月5日~島津家老・村田経安が謀反~忠昌により誅殺される


村田経安の子・経堯は(肥後)菊池氏へ出奔、宗家⑭勝久の代になって復帰、孫の経定は、宗家⑮貴久と宗家⑯義久の代で家老なってます。

同年?月?日~島津家老・平田兼宗が謀反~忠昌は豊州③忠朝に鎮圧を命じる


豊州③忠朝は、兼宗の居城である大隅岩弘城を攻略。この功績により大隅串良の領土を安堵される。

1496年(明応5)7月20日~忠昌の舅(正室・天真夫人の父)大友政親が処刑される


親子で揉めてた大友家だが、息子は13歳で早逝(父が毒殺説あり)し、ご本人も筑後へ逐電し逃亡中に捕えられて処刑されたんです(大内義興が裏で画策)

あぁ・・・忠昌の正室・天真夫人~実家が遠くなりにけり~~~おそらくダーリン・忠昌が慰めたことでしょう。

1497年(明応6)9月11日~(慰めた結果?)忠昌と天真夫人との間に次男・忠隆(宗家⑬)が産まれる

1499年(明応8)?月?日~薩州家②国久(59歳)が死亡





国久の死後、薩州家では家督を巡って御家騒動があった・・・のは確実。

なんだが、中身がヽ(。_゜)ノ へっ?ワカラナーイ~

3代目は重久(後に成久)なんだが、生年も没年も不明なマイナーぶり。

ただ、14年前の1485年(文明17)に、重久が東郷氏の高城水引を侵略し、東郷の湯田城を落城させている。
(ただし高城は東郷氏が守り通す)

ちなみに薩州家と東郷家は御近所さん^^b だもんで、しょっちゅう揉めてます^^;

後年ですが、ワンコ(犬追物/武家貴族スポーツ)のことで揉めて争ってます~東郷氏は犬追物の名手^^

てことは14年前に重久は成人に達してたってことになる。(てことは国久死亡時で30代後半くらい?)

でもって③重久から④忠興(生年不明)へ、おそらく国久没後に家督が移ってます。
【シオ推測】重久と忠興が親子で家督を争った?
(②国久には③重久の他にも男子がいたし、薩州家にも庶流があるんで、④忠興の対抗馬が担ぎ出されたかも)
皆が書き込むウィキペディアでは「分家を巻き込む騒動」とあるが、巻き込まれたのが伊作⑧久逸。

殆ど出番の無かった羽州②忠福が、そもそも薩州家御家騒動に首を突っ込み、薩州④忠興と敵対したらしい。

で、羽州②忠福に加勢した伊作⑧久逸が、薩州④忠興に攻められ死亡したんです。


ちなみに羽州家ですが、島津四兄弟の頃には宗家に従い、大口城攻略に参加してます^-^

ところが大口城攻防戦は余りにも激戦だったため、羽州家嫡流(③と嫡男)が戦死しちゃって御家断絶ピンチ。

宗家⑯義久の配慮で、女系の孫(男子・東郷氏庶流)を当主にして、永禄年間に大島を領したので「大島島津家」として残りました^-^

で、頼りの舅が血気盛んで戦死しちゃって、嫁で未亡人の常盤が暫定・女当主になったのは前回紹介した通りです^-^


コアマイナーな薩州家③重久だが、彼は歴史に一役買ってます

重久の娘・寛庭夫人は、島津中興の祖・忠良に嫁ぎ、島津4兄弟の父・貴久を産むからです


重久が④忠興当主後も子作りハッスルしてくれないと、寛庭夫人が忠良より「かなり姉さん女房」になっちゃうんで、【シオ推測】が出た^^b

さらに重久の、もう一人の娘が薩州⑤実久に嫁いでいる

実は⑤実久は、④忠興の子・・・つまり実久は実の叔母と結婚したんです(6代目義虎の生母~


シオ推測で重久と忠興が親子バトルじゃないかと、想像したのは娘の嫁ぎ先があったからです。

父と子の和解のために、実の叔母が甥に嫁いだのではないか・・・って考え。

血族婚の多い島津家じゃ「実叔母と甥の結婚」は、不思議じゃないの^-^

つまり宗家の座を巡って争った伊作・島津忠良(4兄弟祖父)と、薩州・島津実久は義兄弟の間柄!~


さて島津宗家は更にグダグダ迷走し、いよいよ伊作島津家が救世主として登場しますが、それは・またの話^-^sio
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時乃★栞

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筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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