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【魔性?】美女・常盤【女傑?】薩州島津家6・栞歴14

記事内呼称簡略ルール::家名+番号(〇代目)+名前(諱)

例)相州家②運久⇒相州島津家の2代目当主で名前(諱)が運久
宗家の座を巡って争う惣領五家「総州家(滅亡)・奥州家(=宗家)・相州家・伊作家・薩州家」
早わかり家系図(主要メンバーのみ抽出)◆別記系図~★現当主

島津奥州家=宗家⑧久豊⇒長男(庶子)用久(薩州家①)⇒★国久(薩州家②)
           ⇒◆嫡男・忠国(宗家⑨)
           ⇒3男・季久(豊州①)⇒★忠廉(豊州②)⇒忠朝(豊州③)
           ⇒4男・有久(羽州①)⇒忠福(羽州②)
           ⇒5男・豊久(伯州①)

★島津宗家⑨忠国⇒長男(庶子)★友久(相州①)⇒運久(相州②)
        ⇒嫡男・立久(宗家⑩)⇒★忠昌(宗家⑪)⇒忠治
        ⇒3男・★久逸(伊作⑧)⇒善久(伊作⑨)

1485年(文明17)~飫肥城へ出陣する気マンマンだった伊東祐尭(77歳)が清武城で病没~祐国が家督を継ぎます^^

同年「第二次飫肥の役」が起きる。結論から言うと島津の勝利!

伊東軍大敗北~当主・伊東祐国(35歳)が戦死⇒⇒尹祐(ただすけ・18歳)が家督を継ぐ

伊東側の北原氏~9代目・立兼が戦死⇒⇒甥の茂兼が家督を継ぐ

伊作⑧久逸は同じく敗れて降伏~日向・櫛間から撤退し、領地の伊作へと帰る

新納是久~宗家⑪忠昌の援軍に敗れて戦死


新納是久の戦死で困惑したのが娘・常盤だ。

父は伊作⑧久逸と共に、伊東側に与して新納当主・忠続(飫肥城主)を攻撃し、本家と主家に歯向かって死んだのだ。

彼女に実家は無いも同然になった。

たとえ新納家(当主・忠続は彼女の叔父)に戻ったところで、肩身の狭い日々が待っているだけ。

常盤は夫・善久(久逸の息子)に従い伊作へと旅立った。

そして彼女の決断が薩州家の運命・・・いや島津の、てか日本の歴史にすら影響する

絶世の美女・常盤は、伊作の地で「島津四兄弟の祖父にして島津中興の祖・島津忠良」を産むからです





1486年(文明18)~新納忠続に代わって、豊州②忠廉が帖佐から飫肥城に入る


「飫肥城=豊州島津家」となるのは、この年からです^-^

飫肥の役の発端は、共に島津家で味方同士であるはずの新納忠続と伊作⑧久逸が激不仲になったせいなので、やはり新納忠続を飫肥に据え置くのは色々アレでして^^;

1487年(文明19)7月20日~長享へ改元

豊後・大友政親(16代目で父親)と大友義右(17代目で息子)が和解する


この頃の大友家は親子で争いグダグダ^^;

もっとも息子といっても若年ですので、彼を取り巻く派閥が、父親と争っていたのでしょう。

で、なんで大友の話が出るのかといいますと、宗家⑪忠昌は大友政親の娘(天真夫人)と結婚するからです。

「飫肥の役」で敵になった伊作⑧久逸は大友家のバックアップを受けてました。

おそらく大友家との和睦の証として、結婚したのではないでしょうか^^

1489(長享3)2月17日~忠昌の嫡男・忠治が産まれる

同年8月21日~延徳へ改元

1492年(延徳4)7月19日~明応へ改元

同年9月23日~伊作で島津忠良が産まれる(生母は常盤

同年?月?日~豊州②忠廉が死亡~忠朝(生没年不明)が家督を継ぐ

1494年(明応3)~島津友久(相州①)が死亡~運久(ゆきひさ・26歳)が家督を継ぐ

同年?月?日~伊作・島津善久が馬飼の下男に殺される


またまた美女・常盤に悲劇が訪れる。

愛する夫が家臣(とも呼べない小者)に殺されてしまったのだ。

さらに話は飛ぶが頼みとしていた伊作⑧久逸が1500年に死ぬと、忠良が幼少のために未亡人常盤が一時的に女当主となる。

そんな魅惑の未亡人・常盤に相州②運久が言い寄って来た。

忠良の教育に人生捧げよう~と決意してた常盤には迷惑な話で、しつこい運久の求婚を断るために、

常盤「貴方様には御正室がいらっしゃるではありませんか。側室など嫌です」と言った。

ところが常盤の応えを聞いた運久は「正室ならOKなんだな」と、自分に都合良い方に解釈。

あろうことか、それまで連れ添って来た正室を焼き殺した。(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル

運久はドヤ顔で再求婚~~これ以上、断ったら何をされるか解らない~常盤は条件付きで再婚を承知した。

常盤の再婚の条件とは「我が子(忠良)が成人の暁には、相州家の家督を譲ること」だった


時に常盤30歳~~~戦国時代で30歳子持ちなら、容色に陰りが出てくるころなんだが、よっぽど美人だったんだろうなぁ(往年の黒木瞳か松坂慶子?)

運久には実子(庶子で男子)が二人いたのだが、構わず承諾~継子の忠良にホントに家督を譲ってるんだから、よっぽど常盤に惚れこんでたようです^^;

ちなみに運久の庶子・二人だが、義兄弟の系譜が宗家になってしまったので、島津姓を遠慮して名乗らなかったそうだ。

ただし一人の系譜が幕臣となって、後藤島津氏となってます。

さて話を宗家⑪忠昌に戻そう~彼の苦難の人生は、まだ続くのだが、それは・またの話^-^sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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