FC2ブログ

【鳴動!桜島】薩州島津家4・栞歴12

記事内呼称ルール::家名番号名前(諱)

例)相州家②運久⇒相州島津家の2代目当主で名前(諱)が運久

代替わりしていくと各分家当主・宗家当主が入り乱れて来るので、簡略表記で行きます~
宗家の座を巡って揉める惣領五家「総州家(滅亡)・奥州家(=宗家)・相州家・伊作家・薩州家」
早わかり家系図(主要メンバーのみ抽出)

島津奥州家=宗家⑧久豊⇒長男(庶子)用久(薩州家①)⇒国久(薩州家②)
           ⇒★嫡男・忠国(宗家⑨)
           ⇒3男・季久(豊州①)⇒忠廉(豊州②)
           ⇒4男・有久(羽州①)⇒忠福(羽州②)
           ⇒5男・豊久(伯州①)

★島津宗家⑨忠国⇒長男(庶子)友久(相州①)⇒運久(相州②)
        ⇒嫡男・立久(宗家⑩)⇒忠昌(宗家⑪)
        ⇒3男・久逸(伊作⑧)⇒善久(伊作⑨)

宗家⑪忠昌の生母は梶原弘純(←誰?)の娘・茂山夫人で嫡出子(正室の子)ではない、もしかしたら生母の家格が低かったかもです~




島津ウォーリー~桜島はどこだ?!

1470(文明2)1月14日~宗家⑨忠国が死亡~嫡男・立久が家督を継ぐ

1471年(文明3)9月12日~桜島大噴火~~~

1473年(文明5)?月?日~桜島噴火~~~

1474年(文明6)4月26日~当主在位4年~宗家⑩立久が43歳の壮齢で死亡~

父・立久(宗家⑩)の死で家督を継いだ忠昌は、数え12歳の若さだった


さて、速足で薩州家特集をやってたせいか、史料を思い切り読み間違えてたシオシオil||li _| ̄|○ il||l

まず宗家⑨忠国の三男・久逸(ひさやす)ですが、1441年(嘉吉元年)産まれです。
(オタには覚えやすい年号なのに、スコーンと抜けてたww)

1458年(長禄2)に島津家の分家で、宗家⑨の正室の実家・伊作家の当主が、わずか7歳で死亡してしまいます。

少年当主の突然の死に毒殺説が浮上してますが、それは別にして空いた伊作当主の座に久逸が入ります^-^

で、伊作⑧久逸の話が何故出るかといいますと、それは伊東家との対立が絡んでくるからです。

宗家⑨忠国・宗家⑩立久と二代続いて日向・伊東家とは和平路線でした。(立久は伊東家の娘を室にしている)

ところが伊東家の勢力が増大するにつれ、伊東家と島津は対立しはじめ、特に飫肥城を巡っては100年近い年月、抗争を繰り返します。

その始まりが、ちょうど宗家⑪忠昌の代に起きるんです。

島津忠昌は日向・飫肥城の守りに新納忠続を派遣します

新納氏の本拠地・志布院は、忠続の弟・是久が任されました

さらに島津久逸が、伊東に対する抑えとして、伊作から日向・櫛間に入りました


同じ派遣隊同士です^-^

新納家と伊作島津家との繋がりを強くするために、固めの婚儀が執り行われます。

久逸の嫡男・善久と新納是久の娘が結婚しました。二人の間に産まれるのが「島津中興の祖・島津忠良です^^/


まぁ忠昌は僅か12歳の少年ですから、このあたりは一族・家老・重臣の協議で決まったものでしょう。

1475年(文明7)8月15日~桜島噴火~~隔年噴火(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル

1476年(文明8)9月12日~桜島南西部で大噴火!死者多数!沖小島と烏島が形成された!


少年当主には、余りにも過酷な大自然からの試練だった。

天地を覆う火山灰は作物を全滅させ、その後数年にわたり薩摩に冷害と不作をもたらす。

天変地異が起きると人心が乱れる。

戦国に不向きで学問好きと言われる忠昌だが、大人になる多感な時期に天変地異の連続だったことが、学問にのめりこむキッカケになったかもしれない。




1476年(文明8)薩州家②国久が忠昌に叛旗を翻し挙兵!豊州①季久・相州①友久が呼応!


えっと・・・忠昌からみて、御祖父ちゃんの兄と御祖父ちゃんの弟と叔父さんが謀反を起こしたんです^^b

これには相良家が絡んできます^^b

1476年に日向・北原氏と肥後・相良氏が争ってた時に、薩州家②国久と豊州①季久が相良に与するように進言したのですが、忠昌が用いなかったことに対し挙兵したんです。

もともと薩州家と豊州家は相良家を支援していたのですが、そのことが忠昌を警戒させてしまったかもです。

相州が便乗した理由は不明ですが、シオ推理だと「忠昌が当主なことに不満」だったんじゃないでしょうか^^

なんてったって相州①友久は、宗家⑩立久とは同い年で、庶子だったために家督を継げなかったという経緯があるからです^^

忠昌は嫡子じゃありません。もし忠昌ママンの家格が低かったのなら、友久にとっては余計に面白くないと思います。

挙兵した薩州家②国久は、大隅国分城に侵攻~忠昌が援軍に駆け付けた(初陣かな?)ので撤退。

豊州①季久は帖佐(ちょうさ)で挙兵~忠昌は一時、伊集院に避難してます。

それぞれの挙兵した細かい時期までは解らなかったです。

ただ、相州①友久が鎮圧されると、豊州①季久も降伏、薩州家②国久は半独立状態となりました。

半独立というのは、薩州家の宿命なんでしょうか・・・

1477年(文明9)6月27日~豊州①季久が死亡する

同年11月20日~応仁の乱が終息した


戦国は、これからがスタートなのだが、それは・またの話^-^sio
スポンサーサイト

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
月別アーカイブ
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
513位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
歴史
94位
アクセスランキングを見る>>
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR