【男の嫉妬は海より深い?】薩州島津家2・栞歴10

え~コホン!ここで各当主表記を統一したいと思いまつ~~~

記事内ルール:家名№諱

例)相州家②運久⇒相州島津家の2代目当主で名前(諱)が運久

代替わりしていくと各分家当主・宗家当主が入り乱れて来るので、簡略表記で進めて行きます~
基本データベース~宗家⑧久豊の息子たち

忠国(陸奥守)~家督を継いで9代目当主・正室は伊作島津勝久娘
用久(薩摩守)~薩州家初代⇒7代目で豊臣秀吉によって改易
季久(豊後守)~豊州家初代
有久(出羽守)~羽州家初代⇒後に嫡流が絶えて大島島津家として存続
豊久(伯耆守)~伯州家初代⇒2代目が出奔し豊州家3代目の家臣となるので断絶

相州家は久豊の孫(忠国の子)が初代。
伊作家も久豊の孫(忠国の子)が継ぐ。

宗家の座を巡って揉める惣領五家「総州家・奥州家・相州家・伊作家・薩州家」

宗家⑨忠国の器量レベルはイマイチ不明なのだが、名門坊ちゃんにありがちな「試練が苦手・打たれ弱いタイプ」のように思う




家系図とにらめっこ~忠国と用久を探せ!

1425年・・・偉大な父・宗家⑧久豊の死で忠国が家督を継ぎ9代目となる


1428年4月27日~応永35年~正長(しょうちょう)へ改元

1429年9月5日~正長2年~永享(えいきょう)へ改元~あぁバリバリ室町時代な件~


1430年(永享2)~総州家の生き残り・島津久淋を討ち取り、名実共に「島津宗家」は一つ(奥州家)に統一された


当主の忠国は28歳~「偉大な父」がやり残した仕事を終えて、意気揚々。

が、その鼻っ柱を打ち砕く出来事が起きる。

1432年(永享4)薩摩に国一揆発生~


国一揆の「国」とは、国人のことです。

早い話、守護職である宗家⑨忠国に対し、被官(家臣よりも緩やかな支配関係)である国人たちが一斉に反旗を翻したんです。

この時の一揆の原因は、シオ検索では解りませんでした。

想像できるものとしては、奥州家と総州家の争い終息後ですので、恩賞で揉めたんじゃないでしょうか^^

この事件は忠国のプライドを打ち砕くのに充分で、彼は領国経営に自信喪失して隠居~~妻の実家(伊作)に引き籠ってしまいました。

で、用久(庶子なので家督を継げなかった兄)を守護代に任じて、一揆の後始末を丸投げしちゃいます。

一揆のさ中~忠国の長男(庶子)友久が誕生

同年11月5日~正室(伊作島津氏の娘)が、忠国の嫡男・立久(たつひさ)を産む


Σ(´Д`;) うあ゙~~庶子の長男と嫡男の次男が同い年~~~こりゃマズイ~家族計画に問題有り!

1434年(永享6)~(国内が混乱してるので)忠国と日向・伊東祐立(すけはる)が和睦


島津氏の内輪もめが続く間を利して、日向・伊東家は勢力拡大期に入ります^-^

1439年(永享11)~豊州②忠廉(ただかど)が産まれる(家系図に名前あるよ~


この間、用久は勤めを果たし、国一揆を治めた。

さぞ、忠国から定めし褒美や労いの言葉が下されることであろうと思いきや、正反対。

責任丸投げ当主と、現場で采配を振るう者と、どちらが家臣の衆望を集めるかは調べるまでも無いだろう。

忠国は、自分から守護代に任命したくせに「兄は家督を狙う狼心あり」と勘繰った。

要するに用久の器量に嫉妬したんです。

これには焦りもあったと思います。

忠国の嫡男・立久チャンは「袴着の儀式」が終わるか終らないかの子供で、兄が実力で家督を奪いに来たら幼い嫡男は太刀打ちできません。

※袴着(はかまぎ)現代感覚だと小学校入学くらい~この儀式を終えると武家の子弟として本格教育がスタートします^-^

たちまち兄(用久)弟(忠国)は揉め始めました。

1441年2月17日~永享13年~嘉吉に改元

同年3月13日~度重なる足利義教の要請に屈し、島津忠国は大覚寺義昭(義教の弟で日向・野辺に亡命)を殺す


足利義教は「万人恐怖」と言われるほど苛烈な人物だったので、危険分子は弟といえども容赦が無かった。

忠国は不本意だったようだが、このことが功を奏し「用久VS忠国」の争いに対し、室町幕府が忠国サイドに対し有利に働いたんです。

同年6月24日~室町将軍・足利義教が暗殺される(嘉吉の乱~

同年?月?日~島津久逸(ひさやす・伊作⑧、家系図に~略)忠国の三男が産まれる

同年?月?日~島津国久(薩州家②)~用久(42歳)に待望の嫡男が産まれる


用久は弟で当主⑨忠国の疑念を晴らすために、産まれたばかりの嫡男・国久に全権を譲って出水に隠棲しました。

ところが忠国は用久に嫡男が産まれたことで「嫡男に宗家を継がせる気だろぉ!ゴルァ!!!(# ゚Д゚)・;'.」とますます疑い、用久を追放しようとした。

そうなると用久も黙ってられない~~~忠国へ叛旗を翻したため、領内は混乱する。

1444年2月5日~嘉吉4年~文安に改元

1448年(文安5年)ようやく兄と弟は和解し、その証として用久の娘と忠国の嫡男・立久が結婚する


和解後に忠国は、兄・用久に「分家・薩州家」を立てさせた。

用久は隠居号を「出水薩州」と名乗る・・・シオは、このネーミングが大好き^^

両者の和解で一旦は落ち着く島津家だが、再び内乱が続き混乱する。

なぜなら宗家⑩立久が、まだ43歳という働き盛りで死んでしまうからです。

家督を継いだ忠昌は、数え12歳・・・おそらく初陣も未だだったことだろう。それは・またの話^-^sio
スポンサーサイト

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
月別アーカイブ
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
562位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
歴史
91位
アクセスランキングを見る>>
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR