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北肥戦誌(1491年~1500年)一部抜粋

★明応3年(1494)、下松浦を従えた少弐政資は1月に、今度は弟・千葉胤資・龍造寺康家・高木家重ら多勢を以って上松浦へ攻め入る。
すると、波多・鶴田・相知・有浦らは戦う前に従った。
政資は留守永恒の青山城をその日に落とし、すぐ引き返して筑前に入ると、原田興種の高祖城を攻める。
この戦いの半ばに有馬貴純も少弐に同心し、下松浦から佐々城を攻め破ると、平戸弘貞の平戸城を攻めて、4月4日に降伏させた。

★少弐の動向を伝え聞いた大内介義興は、
「少弐は勘気の身であるのに公儀を軽んじ、私に弓箭を為す意味を心得ていない。
急ぎ吉木御所へ言上し、少弐一族を悉く誅殺すべし」
と、その頃に淡路島へ下向していた足利義尹に申し出て、少弐退治の上意を賜る。

★隔して明応6年1月、義興は 石見の吉見正頼(?頼興の誤記)・安芸の熊谷膳直・備後の小早川詮平・陶一族ら20,000余騎を自ら率いて筑前へ討ち入った。
少弐政資の嫡男・高経は、先陣の杉興正が布陣前の隙を突いて攻撃、興正を討ち取ったが、二陣の陶興房・熊谷膳直が入れ替わって戦うと討ち負けて大宰府へ退く。

大内勢は勝ちに乗り、50,000余騎に膨れ上がった軍勢で箱崎へ攻め来る。
少弐父子は相談の上で軍を二つに分けて大宰府から退くと、政資は岩門城へ立て籠もり、高経は勝野尾城へ入って大内勢を待ち構えた。

大内勢は大宰府を本陣とし、陶興房・陶安房守に率いらせた20,000を勝野尾城へ、陶弾正忠の20,000を岩門城へ差し向ける。
岩門城では少弐一族10余人が討ち死に、雑兵も大半討たれ落城。
政資は密かに城を出て、千葉胤資の小城晴気城へ入った。
これに陶興房・陶安房守が1月11日、勝野尾城へ攻め掛かる
城兵は討ち負け、筑紫満門・東尚頼は大内に降る。
高経は勝野尾城を落ち延びて勢福寺城へ入ったが、ここも3月下旬に攻められ、4月8日に高経も父の逃れた晴気城へ入った。

大内勢は千葉興常勢を加えて、4月13日に晴気城を攻める。
千葉胤資は防ぎ難く感じ、政資の妾の父である多久宗時を頼る様申し出て、
18日の夜半に政資を逃し、すぐさま高経とその弟の頼高を城から逃したが、
翌19日に頼高は千葉興常勢に討たれ、高経は落ち延びる途上の市の川で敵に追い付かれ、もはや逃れ得ぬと、
21日に市の川の山中で切腹して果てた。享年36。

一方、少弐父子を逃した千葉胤資は、19日に城を打って出て討ち死に、晴気城は落城した。

また、政資は多久宗時を頼ったが、宗時が心を変じて自害を勧めた為、同日に切腹した。享年57。

少弐を滅ぼした義興は、千葉興常を肥前守護代とし、東尚盛に佐嘉郡の一部を宛がい、筑紫満門には三根郡と神埼郡を守らせ、陶弾正忠を博多に置くと山口へ帰陣、
自らも従三位太宰少弐に任じられる。

★明応7年(1498)、千葉胤資の養子である千葉胤繁が、大内が豊後に攻め入り大友政親に敗れた隙をついて、本領の小城郡に返り咲いた。
大内はこれを捨て置けぬと、筑紫満門・東尚盛の軍勢を小城へ差し向ける。
胤繁は無勢であった為に下佐嘉の川副へ逃れたが、龍造寺胤家・光益光廣・渋谷河内守・壬生新左衛門ら旧交の武士が馳せ参じた。
隔して筑紫・東の勢に千葉興常勢が加わると、2月24日に川副へ攻め掛かった。胤繁らは討ち負けて敗走、胤繁は弟の胤治・龍造寺胤家と共に筑前山中へ逃れて隠れ住んだ。

★明応8年(1499)、この年より九州は飢饉が続き、餓死者が多数出た。
少弐・大友に圧迫されてきた渋川刀彌王丸であったが、大内義興が将軍家に訴え出たことにより、元服の上で探題に任じられた。但し、御行書が降っていなかったため、

★翌年(1500)に義尹の諱を賜り「渋川右兵衛佐尹繁」と名乗り探題職に補された。
3~5月に降雨が一切なく、8月2日に台風に見舞われ、明応10年4月20日には栗の様な大きさの雹が降った。
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テーマ : 歴史
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