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北肥戦誌(1452~1490年)一部抜粋

★宝徳3年(1452)、2年前に内裏が炎上した為、この年に新造。
 年号も享徳と改元し徳政があった。
 だが、3月から6月まで大地震発生、子供が多数死んだ。

★享徳4年(1455)、7月26日に康正と改元。
 この年も大地震と落雷で人が多数死に、人心が乱れるあまり都では蘇我入鹿の屍が和泉から入洛するとの噂がたった。

★康正2年(1456)、悪い星が現れ、5月に洪水で田畑が浸水被害。
また凶事が多い為に程なく長禄と改元。

★長禄2年(1457)1月29日、太陽が二つ現れた(翌3年6月2日にも出現)。

★長禄4年(1458)、寛正に改元。
この年は100日間大雨に見舞われ、3月に洪水、8月24日は台風により田畑がやられた。
これにより九州のみならず、五畿・七道に飢饉が発生、10月から道路に屍が並ぶ始末。
飢饉は翌年の7月まで続き疫病も発生、骸や骨が街に満ちた。

★寛正3年(1462)、太陽が三つ並んで出現。翌年の1月1日も現れる。
同月6日は太陽が二つ東西に現れ、3月に疫病で地下人が多数死亡。
諸国の国人らも浮足立った。

★寛正6年(1465)、前の探題・今川仲秋の子である今川胤秋が、親しかった千葉介教胤を討とうとしているとの風聞が聞こえる。
千葉の執権である中村胤頼はそれを確かめもせず、5月20日に2,000余騎で今川の城を三日間攻撃する。
が、今川はこれを退けると今度は逆に、24日に胤頼の陣へ攻め掛かった。
双方に手負いが出たが日没となり両陣退いた後に和睦に至る。
6月18日より雨が一滴も降らず、7月29日に大風夥しく吹き、大潮となり田畑が浸水、肥前の南海より三里内陸は船で往還する状況となった。
9月13日、西の空に大星が流れ、東の空に至って迅雷の様な音を発し、見聞した者らは地に伏す程に取り乱した。

★文正元年(1466)、再び今川勢と千葉勢は河上に戦って遺恨は深まり、

★翌年応仁元年(1467) 6月、今川は探題の渋川氏へ援軍を乞い、更に佐嘉の領民を味方につけて20日に小城境の民家を放火、翌日に千葉勢がこれに打ち掛かると、今川勢は討ち負けて胤秋以下が悉く討ち死に、渋川も散り散りに逃げ去った。
千葉介は今川領を残らず奪い権勢は高まった。

★応仁3年(1469)の夏、千葉介教胤は小城・佐嘉の兵を率いて、大村家親を攻めるべく出陣し6月15日に浜松に着陣。
この日はここの祇園会であったが、千葉勢は社内に乱入し儀式を妨げる。
すると不思議な事に晴天が俄かに曇り暗闇と化し、雷鳴が轟くと共に冷たい篠突く雨が降り始めた。
千葉勢は神雷に掴み殺されると動揺し、急ぎ船に乗って帰陣する。
だが暴風雨の為に船が悉く沈没、教胤始め家臣100余人全員が水死した。
教胤はまだ18歳で子が無く、千葉家の嫡流がこれにより断絶、一族も入道したり領地を捨てて行脚となるなど衰退していく。
やむなく一族の胤紹の次男・胤朝を国府に迎え入れた。

★応仁3年(1469)、胤朝が千葉家を継ぎ、岩部常楽と中村胤明がその執権となっていたが、
7月に岩部が佐嘉郡静謐のために府中へ赴いていた際に、中村が岩部を妬んで胤朝に讒言する。
胤朝はこれを信じて岩部を誅殺する用意を始めた。
これを知った岩部は、神文を書いて申し開きするが聞き入れられず止む無く、大宰府の少弐政資へ訴える。
政資が千葉介を宥めた為、一時的に静謐が保たれたが
9月9日、胤朝は仁戸田近江守を大将に、府中の岩部へ軍勢を差し向けた。
これに、この年に年貢を免除されていた百姓や山伏10,000人が御恩返しと岩部に合力、仁戸田は一戦に及ばず、夜中に国府へ逃げ帰った。

岩部は胤朝に憤り、大宰府へ千葉介退治を申し出る。
が、中村が岩部に与した百姓らを懐柔、岩部を追放させた。

★文明2年(1470)、高来の有馬貴純が串山を攻撃、大村家徳は討ち負け上松浦の草野へ落ち延びたが、そこで程なく死去したという。

★高木村へ逃れた岩部は文明2.10.19の夜、妙法院に出家している胤朝の弟を還俗させ、千葉胤将と名乗らせ大将とすると、少弐の加勢を得て進軍する。

11月14日、中村は岩部・少弐勢と激突するも打ち負けて討ち死にした。
千葉胤将は国府へ侵入、城下を焼き払う。
少弐から更に1,000余騎が加勢に入り、11月28日より牛頭城を攻めたが落とせず、20日ばかり過ぎた処へ足利義政より使僧が派され、騒乱を急ぎ静謐せよと下知されたため双方和融する。

12月23日に寄せ手は陣屋に火を掛け府中を引き払うが、城の郷民は仔細を知らず、これを敵の退散と勘違いし攻め掛かる。
不意をつかれた岩部ら400余人が討ち死に、少弐勢は大宰府へ去り、胤将は金立へ逃れた。
以上を「土一揆合戦」という。

★文明3年(1471)7月19日、今川義秋という者が一揆を企て、佐嘉の植木に於いて戦うが討ち死に。
この年、天下に赤瘡(はしか)が流行し多数死去。また10月2日の朝、大彗星が現れる。その長さは一町ほど。

★文明9年(1477)2月、千葉介胤朝が藤津郡に出陣し、大村家親の有尾城を攻める。家親は防ぎかねて没落する。

★文明10年(1478)5月、洪水で肥後国阿蘇山スカルの橋が流される。9月18日、菊池重朝が筑後へ討ち入り、国人らを斬り従えて自領とする。

★文明12年(1480)1月15日の酉の刻、流星が出て西方に渡る。その長き事敷丈(?)、色赤くして火の如く、その音は水の漲るのに似て虚空に暫く鳴動し、消滅すると忽ち白雲となった。稀代の珍事である。

★少弐政資は、大内介の為に対馬に蟄居していた処を、宗貞国が足利義政へ訴え出て御行書を賜ったことで文明元年(1467)に御家再興を果たし大宰府へ安堵され、宗盛見・宗貞房を執権と定め、筑前・肥前・豊前・壱岐・対馬五州の太守と仰がれていた。

だが、政資は次第に奢り、宗像家の大宮司へ代々伝わる宝物の中に、金の猫があるのを所望、宗像大宮司はこれを献上したが、政資は、もう一匹あるはずだからそれも献じるよう命じる。
無い物をあると言われ求められた宗像は大いに腹を立て、神前で小指を噛み切り、流れる血で少弐を呪詛する歌を社殿の扉に書いた。
更に政資は、少しの罪に事寄せて、青山城主・留主左衛門大夫の所領を没収して追放した。
留主は中国へ渡り大内介政弘へ訴えると、大内は義政へ言上する。

★政資は勘気を蒙り文明14年の春に大宰府から肥前へ移った。
このとき肥前の綾部に、前探題・渋川教直の子である渋川萬寿丸(15歳)が家督を相続していたのだが、大内と同心し、度々少弐と合戦に及んだ。
秋に政資は綾部城を攻撃し落とすと、萬寿丸は筑前に落ちる。
大内はこれを公儀へ申し立てると、近隣の御家人へ渋川に合力するよう御行書が下される。
政資は敵うまじと、何方かへ落ち延びた。

★文明14年(1482)5月27日、周防国の大内介の城内で、吉見勝頼と陶弘護が喧嘩し、両人刺し違えて死んだ。これに吉見の家臣18人が営中に斬り行って即座に斬り死にした。山口の城下は大騒動となった。
吉見は清和天皇の正統・蒲冠者三河守範頼の後裔で、陶は百済国・斎王の24代の末裔であり、両者は自らの先祖の高卑を言いだして座席の上下を争論して喧嘩に及んだとも聞こえる(「武家家伝_石見吉見氏」では別内容)。

★文明17年(1485)、戦乱により破壊されていた千布の住吉大明神の社を神代勝利(宗元の誤記?)が再興する。
同年5月2日、肥後の阿蘇大宮司惟忠が卒去すると、球磨の相良氏が打って出る。

★文明18年(1486)5月17日・18日に洪水。豊後・筑後・肥後の人民・牛馬が沢山流れ死ぬ。
★文明18年(1486)、深山に蟄居していた千葉胤将が蜂起、実兄の小城千葉介胤朝のいる国府を10月3日に夜襲した。
胤朝は討ち死に、千葉本家は断絶の憂き目に遭わんとする。
胤朝死去を聞いた少弐政資は、胤将を討伐しようとしたが、胤将はこれを聞き逐電した。
政資は千葉本家断絶を憂い、12月3日に実弟を胤朝の娘と娶せ、千葉胤資として千葉家を継がせた。

★だが長享元年(1487)、詳細不明であるが、萬寿丸は家臣・足助森戸により移住していた亀尾城にて生害される。
その頃、政資は大宰府に帰っていたが、これを聞き亀尾城を攻め落とした。
次に探題の末子・渋川刀彌丸がいる綾部城を攻撃、刀彌丸が幼少なのもあり、城兵らは筑後へ落ち延びた。

★延徳元年(1489)11月23日、少弐政資は肥前養父の城山で渋川刀彌丸と戦う。
千葉興常と云う千葉庶流の者が大内介義興を頼っていた。
興常は、千葉胤朝の弟で胤将の兄に当たる”千葉胤盛”の子で、加冠して小城郡赤目城にいた。
興常と千葉少弐に着いていた嫡流は不仲で、興常はこのとき渋川方に加勢している。
だが渋川方は討ち負けて、刀彌丸は筑後の犬塚城へ逃れた。

★延徳2年(1490)、少弐政資は西肥前を攻めて降参せしめ、次に東肥前も征して筑後へ打って出る。これに大友政親が合力、多勢に膨れ上がった軍勢は刀彌丸を犬塚城から追い落した。

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Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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