【加藤清正が不穏な件】島津氏3・栞歴3

現在・肥前戦国史とともに薩州島津家データを収拾中でつ。

それで年表に大量追加が発生するんで、年表関連の記事更新が止まってました^^

え?「今までも充分あるだろ」ですか?

あぅ~凝り性なんで初代の用久から調査中なんでつ(【涙目】室町時代に突入【大爆】)

【予告】この島津氏が終わったら、島津別伝として薩州家連載します


分家と宗家のドロドロを御堪能?下さい(大爆)

マニアックすぎなんで、あんまり細かくやりません。

ザックリ(←ホントか?)と、長くても5回程度(←大丈夫?)に納めます (`・ω・´)キリッ

こちらの島津氏本編も、後日リサーチで判明した部分を加筆修正してますので、お時間ありましたらご一読下さい^-^

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庄内の乱(1599年・慶長4年6月~)で、加藤清正は反乱側の伊集院を支援していた


清正の行動には説明がいる。

竜造寺・大友・島津の戦国九州三国志~無類の強さと結束で島津は九州統一まで、後少しだったのだが、

中央で「豊臣政権誕生」で薩摩・大隈の二カ国に押し込められる。

その時に島津家では肥後・日向などの現地雇用者を解雇しないで国へ連れ帰ったそうだ。
(放置したらしたで、ひと騒動になるからだろう)

そのため肥後(熊本県)+日向(宮崎県)には、個人レベルの地縁・血縁・人脈キープしたままでして、

「島津で騒動が起きると肥後・日向に波及する」というテンプレートが出来上がってしまい、

肥後を統治する者にとっての、この迷惑な関係は明治に入っての鹿児島県の反乱「西南の役」まで続くこととなる。

某〇川家「島津は基本仮想敵です」




1592年には梅竹一揆が起き、首謀者の島津家臣が「朝鮮の役」で出兵し留守だった肥後・加藤清正の支城を占拠する事件が起きている!

反乱は一月ほどで鎮圧されたが、この反乱を重要視した秀吉は島津家に厳しい処断を下した

反乱の黒幕として(処断の内容を秀吉に働きかけたのは細川幽斎)島津4兄弟の三男・祁答院領主・歳久の処刑を命令!

1594年~1596年の間、薩摩・大隈全土の検地を実施

潜在的に不穏な肥後・日向に対する抑えとして、島津家筆頭家老・伊集院忠棟を日向の庄内の地に8万石で配した


伊集院は豊臣政権に反抗する不満分子にニラミを効かせる、いわば秀吉の代弁者だった。

島津の筆頭家老を務める男だ。自分の役割は当然知ってる。本人は「これが島津存続の道」と信じていただろう。

そしておそらく家老の分を越える言動をしたのだろう・・・島津義弘の息子忠恒に殺された。

つまり伊集院忠棟が殺されたことで、島津家内部には【親・豊臣派】は消滅したのである





驚いたのは清正だ。梅竹一揆のように肥後にも庄内の乱が飛び火するかも!

親豊臣派の伊集院一族には、島津家中の「不満分子に対するフタ」として留まって欲しい。

てことで清正:伊集院ファイト~~~つ【寸志・食糧☆】贈るね~

義久(前当主):げ!なにすんだ!!ゴルァ!!!(# ゚Д゚)・;'.余計なコトするな!!と、清正に厳重抗議


え?支援が何故バレたって?

反乱起こした伊集院忠真(いじゅういん ただざね・忠棟嫡男)が降伏したからです。

伊集院側は粘りに粘り、降伏したのは慶長5年(1600年)3月・・・なんと「関が原の戦い」の僅か半年前


五大老筆頭・家康の裁定で、伊集院の一族は助命され2万石で移動。

庄内には島津分家で重臣で、もともと庄内を納めていた北郷(ほんごう)が復活。

伊集院パパを殺した忠恒は1年の謹慎処分。

この間・当主義弘は「反乱にも伊集院パパ殺しにも無関係」と証明するため、大坂に留まってた。

清正の謀反支援行為への処罰ですか?

家康の大事な武断派のコマだもの。処分なしですな ( ゚Д゚)y─┛~~

豊臣政権に色々不満が堪っていた前当主・義久は、裁定にブチ切れヘソを曲げた

[庄内の乱の後始末のため]と言って、関が原の時に本国の島津軍へ動員命令を出さなかったのだ

(ただし、乱の規模が大きかったので「後始末ウンヌン」は丸っきりのウソではない)

そして島津本軍が本国にいるために、備えとして加藤清正も肥後本国を動けなくなった





島津中心に話を進めているが、この時期の九州は「何時・何処で」一揆が起きても不思議じゃなかったんです。

秀吉が起こした「朝鮮の役」で、九州はいわば最前線基地でした。(てか九州の役の時から、そのつもりだった)

朝鮮出兵のための軍費調達・労役のための人員確保、九州の農民は太閤検地の絡みもあって、税負担が実質5~10倍にハネ上がったそうです。

とても耐えられるものではなく、村まるごと田畑を捨て逃亡するところが続出してました。

逃げても生活のあてがあるわけでなく、流民になるので治安は悪化。

秀吉の死で「朝鮮の役」は終ったものの、人の手が入らなくり荒野になった田畑・里山が、元に戻るのは何年後になるか・・・ちょっと想像のつかない状態~

だから清正が出兵したとしても、全軍引き連れるのは難しかったでしょう。


島津軍が本国⇒清正も備えで本国・・・これが他にも波及し、 

石田三成にとって想定外のことが起きるのだが、それは またの話^-^
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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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