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【仮想・島津討伐軍】江上・八院合戦編16栞99


さて、話を少し戻って島津の薩摩までの帰還ルートです^^

1600年9月26日安芸日向泊(広島県)で偶然出会った立花軍と島津軍80騎~~

実父の仇である島津を宗茂が許し、立花の船に同船させて貰う。この日は船泊り~~~

9月27日⇒出航~~豊後沖で黒田軍の砲撃を何とかかわす(三隻が焼かれる被害有り)

9月29日⇒九州は日向(宮崎県)に辿り着く。

はっきりした記述が見付からなかったが、島津と立花は日向で別れたらしい。

9月30日⇒島津一行は日向財部(たからべ=現・高鍋)に到着。

ここまで一緒だった秋月種長夫人を秋月側に引き渡した(財部は秋月領^^)

同日⇒財部から佐土原まで移動。

ここで家久夫人(関ヶ原で討死した豊久ママン)を引き渡す(佐土原は島津豊久領)

10月1日⇒佐土原から八代へ移動。

逸話によると家久夫人は
「あなた(義弘)様という方は・・・息子・豊久を上方に置き捨てて、今度は佐土原を見捨てる気ですか?」・゜・(PД`q。)・゜・
と、義弘の袖に縋り付き泣訴したらしい。義弘が何と答えたかは不明。

10月2日⇒宗茂は本国・柳川城に到着~島津は八代から大隈へ移動

10月4日⇒大隈から薩摩本国に到着~~~バンザーイ\(≧▽≦)ノ生きて戻れた~~

もう移動移動の強行軍だったぉ~~と浸っている場合じゃない。

九州・東軍の動向を集めていたら、鍋島の大軍が立花を討つべく行動している情報が入る。

島津は「恩人の宗茂救援のために」兵1万を出兵させたとあるが、

実は1万は朝鮮の役で出兵した兵数と同じ、つまり島津軍の現有兵力なんです



島津家紋

援軍に全軍出して本国をカラにするなんて、どう考えても多すぎる。

西軍の立花が討たれたら、東軍の次なる標的は同じく西軍の島津になる。

島津は単なる恩返しでなく、島津自身の生き残りのために立花と連携して東軍と戦おうとしたのだろう。

が、鹿児島県と福岡県では情報入手から軍行動までタイムログがあり、
島津が国境まで来た時には宗茂が降伏して3日後だったと言われている(10月24日降伏だから27日?)


1599年6月から1600年3月まで、島津領内で勃発した「庄内の乱」

乱の後「国内が不穏だから」と義弘の出兵要請に応じなかった義久と忠恒。

何の事は無い。

島津TOPの3人が本気を出して協力すれば、短期間で全軍1万、耳を揃えて用意出来たんです。

降伏した立花軍は東軍の指揮下に入り、今度は島津討伐の先鋒としてやって来る!(_´Д`)アイーン

関ヶ原前の立花と島津だが、実は結構交流があったらしい。

作家の桐野氏のコラムによると宗茂は「先輩武将としての島津義弘に敬意を感じていた」そうな。

宗茂の性格ならアルアルって話だなぁ^^

その島津討伐の先手になる・・・・まぁ宗茂は戦が始まったら、戦の事以外は考えてなさそうだけど,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!


立花家紋

一方、島津も手を拱いていたわけではない。言い訳・・もとい謝罪の使者を上方に派遣したんだけど~~~

11月4日⇒徳川家康は、やって来た島津の使者を門前払いにするo( ̄Д ̄θ★ケリッ!

11月16日⇒徳川家康~島津討伐令を発布。

11月初旬⇒立花宗茂は東軍の先鋒として肥後と薩摩の国境に軍を駐留させる。

この時の東軍の総兵力は3万とか5万とか、はっきりしない。なぜかというと↓↓↓

11月22日⇒九州の東軍全てに徳川家康が撤退命令を出したからだ。不発に終った島津討伐軍の全容は今となっては判らなくなった^^;


島津が本気で抵抗し領民がゲリラ化したら、どれほどの犠牲と日数を要するか予測が付かない。

家康は西軍の掃討戦・残党狩りが長引くのを嫌った。

10月15日には既に東軍の諸将に対して恩賞を与えている。

まだ豊臣政権は機能しており、家康が五大老筆頭の地位であることに変化は無い。

家康は自分の虚像を天下に対し、より大きく見せるため関が原以降の大戦を避けたんです。

でもって色んな意味で諦めの悪い如水が、撤退命令を無視して豊前に帰らなかったので、
家康の機嫌を損ねて、如水個人への恩賞がチャラにされました,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!


説明不要家紋

宗茂の城だった柳川城は東軍に接収されていて、もはや彼には帰還する城は無かった(;;)

12月2日⇒宗茂ら立花軍は肥後・高瀬に入り駐留した。

でもって宗茂は、この日に江上・八院合戦の感状を出しているんです。

主君たる者の務めとはいえ、自分の帰る城も無いという不安定な状態なのに、
何と云うか律儀というか真面目というか・・・ほんとに職務に誠実なんだなぁ( ̄ω ̄A;アセアセ

家臣たちの労をねぎらうと、宗茂は大坂へ向けて出発した。

家康へ「西軍に加担した罪」を謝罪し、立花家存続を願い出るためなのだが、それは・またの話 by^-^sio

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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