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【渋川氏】

フィールドワーク:筑前国

清和源氏足利氏流で、この系譜から「畠山氏」「吉良氏」「斯波氏」「渋川氏」が出ます。

室町二代将軍足利義詮に娘が正室となったことから、渋川氏は重用されるようになります。

1365年(正平20年)~伯母にあたる2代将軍正室の引き立ててで、渋川義行は18歳の若さで九州探題に抜擢されました。

当時は未だ南北朝の争いが治まらず、九州は南朝が圧倒的に優勢。

そのため渋川義行は九州探題でありながら、九州の地を踏むことなく5年後に九州探題を解任。

失意のまま出家し28歳の若さで没する。


渋川の後任に今川了俊が任命されたが、有能すぎて色々やりすぎた( ゚д゚)ンマッ!!

室町幕府に警戒されて解任~~~後任の九州探題に渋川義行の息子・渋川満頼がなる。

だが九州探題の存在は、九州の大名たちには快いものではなく、少弐氏を始め反発する。

そんな渋川満頼を支えたのが中国地方の大内氏。

これがやがて大内VS少弐に発展していく。


1423年(応永30年)~渋川義俊(渋川満頼の子)は少弐満貞に敗れ、博多を追い出される


室町幕府は筑前を直轄領とし、大内氏をその代官に命じた。

ここに大内氏は晴れて九州介入の大義名分を得る。

少弐氏は大友氏と結んで大内氏に抵抗した。

博多を追われ肥前国に逃れたた渋川義俊は、大内氏を頼って再起を企てた。



1428年(正長元年)~渋川義俊は従兄弟の渋川満直に九州探題職を譲り、満直は肥前守護に任じられた


ただし大内氏の傀儡に過ぎず、実権は無し。

1434年(永享6年)~少弐の横岳頼房に攻撃され肥前国神埼郡で渋川満直は戦死した


これにより九州探題渋川氏の権威は完全に失墜~渋川氏は東肥地方の一領主として大内氏の配下になりさがった。
(一応名目上として九州探題の地位は、その後も渋川氏が任じられてます)

1467年(応仁元年)~「応仁の乱」が起きる


大内と少弐の争いは激化し、渋川は大内サイドとして自領の維持だけで手一杯の状態。

渋川氏、最後の当主は渋川尹繁(しぶかわ ただしげ)


兄の万寿丸が家臣の裏切りによって殺された為、家督を継ぐ。

ぐだぐだ部分は略。

少弐と大内の争いは竜造寺一門の活躍で、一時期は少弐が優勢だった。

そのため渋川尹繁は大内サイドから、少弐サイドを鞍替え~[大内]ε=ε=(* ̄ー)ノノ[少弐]

1534年(天文3年)~大内軍によって綾部館を攻められ渋川尹繁が自害~渋川氏滅亡




天正年間より、明応とか永正とか文明年間が面白くなってる今日この頃です~( ̄ω ̄A;アセアセ
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

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筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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