FC2ブログ

【相良頼房29_朝鮮の役1・出陣】

史実(事実)は一つだけのはずなのに、通説・異説・新説と議論は一向に定まる様子がない。
なぜなら史実の解釈には、その時代における真実と正義なるものが必ず付随し、それらは100人いれば100通りの真実と正義があるからだ。

政治的な思惑が働く「大きな声(勝者の公式記録)」が、100%史実であるはずがないし、
「個々の声(私的日記)」にも、筆者・編者のフィルターが無いという保証はない。

自分は歴史からフェイドアウトした「小さな声(中央に敗れた記録)」に、堪らなく惹かれる。
各地方の郷土史こそが、小さな声・・その「最たる者」だ。
郷土史から微かに洩れる声に耳を澄まし、ひっそりと眠る記録を掘り起こそう。
生きることも死ぬことも、笑うのも泣くのも、現代の我々と変わらぬ「人間」がそこにいる。

熱く 激しく マニアック! 相良家の「朝鮮の役シリーズ」スタート!!
主要、出展元「南藤曼綿録」他からの引用は都度明示します。
                     

天正19(1591)年・・・この年、関白・豊臣秀吉は相次いで「身内の死」にあう。

位人臣を極めても「生老病死」だけはコントロールできない。
権力者も社会の末端にいる者も、それで辻褄・釣り合いがとれるようにという、天の配材なのかもしれない。

1月22日~羽柴秀長が52歳で病没。
2月28日~千利休が切腹。

秀吉の覇業を影となって支えた弟の死は大きく、秀吉の行動のストッパーがいなくなる。
千利休に関しても謎が多く、地方史ばかり追っかけてる自分には手に余る素材だ^^;

8月5日~鶴松が2歳2か月で死去
往年の大河「おんな太閤記」では、秀吉が鶴松の死を紛らす為に「唐入り」を始めた、、、ような演出だと記憶しているが、
実際の秀吉は、それ以前から「唐入り」を構想し、それが九州の役を急いだ一因でもある。

九州の役の後の大名配置も「唐入り」を考慮してるし、小西・宗氏に朝鮮との交渉も命じている。
国人たちを容赦なく移封・改易するのも「唐入りの前線基地たる九州」を露払いしておきたい意図もあったと思う。

ただ「愛息の死」は、秀吉から「理性」「自制心」「平常心」などの掛け金を、少しずつ外していったようには感じる。
完全にヤバくなるのは、秀頼誕生がキッカケだろうなぁ・・・(6 ̄・ ̄)ポリポリ

ちなみに、この年の9月に高橋元種が高千穂の三田井を滅ぼします (O ̄∀ ̄)ノ大蔵系LOVE

10月10日~肥前・名護屋城が築城開始 (* ̄・ ̄*)Vブイ
12月?日~秀吉⇒⇒島津へ朝鮮出兵準備を命じる
シーマンズ「ええええ~~アタヘ( ̄△ ̄:)ノミヽ(: ̄▽ ̄)ノフタ 」

他の大名たちにも動員はかかってるはずなんだけど、動員時期を検索できたのが島津だけだったもので^^;

12月28日~羽柴秀次が関白に就任
                   

文禄元年(1592)1月?日~後陽成天皇が2度目の聚楽第行幸
2月1日寅の刻(午前4時)~相良頼房が朝鮮出兵を前に青井阿蘇神社に参詣
この参詣で主君・頼房は、深水頼蔵と犬童頼兄に「相良」姓を下賜しています。

これにより「深水左馬介頼蔵⇒⇒相良左馬介頼蔵」「犬童軍七頼兄⇒⇒相良兵部頼兄」と名乗りを変えます。
さらに相良左馬介(頼蔵)を頼房の軍師(or参謀)とし、相良兵部(頼兄)を左馬介(頼蔵)の補佐とした。

とにかく不仲の二人に「協力しあって欲しい」という、頼房の配慮でした。

さらに井口八幡ならびに十嶋天神、愛宕山へ参詣~
同月24日~谷の坊延命院において、出陣の御供の人数は残らず誓紙を書き、全員が相良左馬介(頼蔵)、相良兵部(頼兄)と誓紙をとりかわした
もちろん誓約書は血判~( ̄人 ̄)ムン!☆彡~~本式だと神水も飲むのかな?

同月25日~今度は十嶋天神にご参詣~三百韻の連歌(奉納興行)をされ、同じく百韻の御独吟(奉納興行)をされた。
(別の記録だと参詣の日にちとか細部が違うけど、概ねこんな感じ^^b)

つか頼房クン・・・独吟って、一人で百首も詠んだの?(@@)さすが相良クオリティ~

ちなみに頼房クンは19歳。子供はいない・・・てか結婚もまだ。
なにしろ父・兄が相次いで死んで「九州の役」に「肥後一揆」でしょう?

天草一揆は相良は直接は関係ないけど、加藤・小西両軍が出陣で慌ただしい。
とてもじゃないが「婚活」する余裕が無い ( ̄ー ̄A 汗フキフキ
ガチ「頼むから無事に帰ってきて~~」( ̄人 ̄)☆彡~~参詣に熱が入るはずだ。

他の海外出兵メンバーも、奥方・側室と長期に離れるから出生率低下してそうだ。
立花はついに子宝出来ずじまいだし、黒田長政も鍋島勝茂も第一子誕生は関ヶ原以降だもんなぁ。

ちなみに出兵には僧侶も同行してます。願成寺の勢辰、妙泉寺義運、正延寺の全慶の3名です。
吉兆占ったり、必勝祈願とか、あと戦死者の弔いとか、色々することはあるんです^^;

さぁ出陣前の仕度が整い、いよいよ人吉城を出発~~それは・またの話 by^-^sio
スポンサーサイト



テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
月別アーカイブ
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
490位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
歴史
92位
アクセスランキングを見る>>
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR