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秋月種実3【魔女】マダム奈多WHY?【イザベル】

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奥方の名前は伝わってなくて、奈多氏から嫁いだので「奈多夫人」と呼ばれています。

生年月日も不明ですが、夫・大友義鎮(おおともよししげ=宗麟)より何歳か年上だったそうです。

夫人の父は奈多八幡社の大宮司で大友家の寺社奉行でしたが神官というより、したたかな戦国武将でした。

夫人の兄は大友家親族の中で最大の勢力である田原氏の分家当主(養子となって継いだ)です。

御家騒動「二階崩れの変」で家督を継いだばかりの義鎮は、夫人の実家の力を必要としたんです。

「大友記」より抜粋・意訳

大友宗麟(出家後の名前)の側室は7人おり、京から遊芸者を呼んでの乱痴気騒ぎを繰り返し、
美女と聞けば身分を問わず召し出して女出入り遊びの激しさは目に余るものだった。

嫉妬した夫人は、国中の山伏に夫の浮気を辞めさせるため呪詛を依頼する。

呪いに怯えた宗麟は突然、家出をして行方不明になり、
数日後、城下町の外れで一人悄然と佇む宗麟を家臣が発見した。

宗麟は「夫人が恐いから大友館に戻りたくない」と言い、丹生島城へ引き篭もった。


「大友記」は江戸時代に書かれた書物で、既に滅んでいる大友家の事を書きたい放題。

宗麟(そうりん=義鎮)や夫人の私生活をスキャンダルに書いており、信憑性は極めて怪しい。

宗麟遊興説は同時代の一次、一級資料には存在しておらず、この「大友記」からの引用が多い。

(ただし戦国の名門らしく書画・茶器などを集めているので趣味人なのは事実)

義鎮の子供の生母は正室である奈多夫人が殆んどで、女遊びが本当なら庶子が複数いるはずです。

1558年に長男・1561年に次男・1567年に3男を出産、合間に娘を4人と合計7人の子供を設けている。

この出産ペースだと夫妻は結構、ラブラブだったと思います。

夫婦仲が怪しくなるのは義鎮がキリシタンにハマリ出してからでしょう。

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初め宗麟は禅宗に凝ってて、1562年に剃髪・法体姿になって義鎮から宗麟になった。

禅宗に夢中な頃は「アニメ一休さん」みたいに、突然「そもさん(問い側)・せっぱ(返答する側)」とやって、
家臣を時々困らせてたんだけど、まぁ実害は無かった^^;;(ただし、これもウワサで真偽不明)

もともと英雄・英邁な資質がある宗麟だから、基本が凝り性で徹底するタイプなんだろうなぁ。

一方の夫人は奈多八幡社の大宮司の家柄出身、ガチガチの神道で仏教に対しても敬虔な女性です。

そんな夫人にはキリシタンの教義は生理的にダメだった^^;

1575年(天正3)11月~次男がキリシタンの洗礼を受けてしまう ガ━━━(゚ロ゚;)━━ン!!

日頃粗暴だった次男を心配した宗麟が宣教師を紹介し、説法に感激した次男が受洗したんです。

領主の次男がキリシタンになったことで、武士階級へのキリシタンの布教は一気に拡大しました。

夫人は衝撃を受けたのでしょう。その後の行動が反応過激になって行きます。

1577年(天正5)4月~兄の養子で娘の婚約者だった若者が、キリシタンへの入信を希望します。

兄というのは冒頭で紹介した田原分家当主です。奈多家の出身なので当然、大のキリシタン嫌い。

キリシタンにならなければ、青年には「親族当主の座」と「主君の娘との結婚」という輝かしい未来が待っていたのです

夫人と夫人の兄が、どれほど言っても青年の信仰心は変えられませんでした。

兄は怒って養子縁組を解除し青年を廃嫡、怒った奈多夫人も娘との婚約を破棄させました。

夫人の怒りを更に加速させたのは、次男が青年を庇ったことです。

怒りのあまり興奮した夫人は、次男と「親子の縁を切る」と宣言し、次男との面談を拒否した。

怒りが納まらない夫人兄はキリシタンへの弾圧を始め、義鎮と夫人との仲も急激に悪化しました。



さらに「エステバン事件」が起きる。

時期がハッキリ調べきれなかったのだけど、宗麟が長男に家督を譲ってからだから1574年(天正2)以降・・・
兄の養子廃嫡騒ぎや次男の洗礼の前後になると思います。

とにかく夫人は久我家(公家・家格は中納言)に嫁いだ娘に有り難い護符を渡そうと、
エステバンという洗礼名の少年に使いを命じた。

ところが少年は異教の護符に触れるのを嫌がり、夫人の使いを拒否。

怒った夫人が少年に棄教を迫るが、少年は当然、拒否。

激高した夫人は長男(義統)に「エステバンを殺せ」と命じたが、宗麟の取成しで少年は処罰を免れた。

宣教師たちは奈多夫人のことを、
「怒れる牝獅子(確かに怒ってばかりいる・汗)」「イザベル(預言者エリアを追放した異教徒の女性)」
と呼んで迫害者として彼女を憎んだ。

奈多夫人が心労のあまり病に倒れると「天罰下ったぁ♪ヽ(*´∀`)ノ」と報告書に書くほど嫌っていた。

人の不幸を喜ぶ宣教師ってエキセントリック・・・(._+ )☆\(-.-メ)オイオイ

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奈多夫人の夫・大友宗麟

夫人は夫を愛していたんじゃないだろうか。

戦国時代の大名の妻は実家から派遣される外交官で、実家の利権を守る勤めがある。

通常であれば、宗麟がキリシタンにハマり夫婦仲に齟齬が生じれば、実家である奈多家(神社系武家)が危険になる。

だが宗麟の不思議ちゃんなところは、キリシタンに夢中で夫人とも絶望的な不仲なのに、奈多夫人の兄(奈多神社大宮司)を重用し続けた事だ。

奈多兄がキリシタンを迫害した事にも目を瞑って、家中から非難されるほど情実人事し続けた。
(それには諸事情があるのだが、ここでは文字制限の都合で割愛)

実家は安泰なのだから、夫人は夫が宗教にハマっても「知らんふりして仮面夫婦」することだって出来たはずです。

だが(おそらく)意思の強かった夫人は、妥協せずにキリシタンから夫と子供を取り戻すために戦う道を選んだように思う。

1578年(天正6)7月~遂に夫が受洗し「ドン・フランシスコ」になってしまう・゜・(PД`q。)・゜・

カトリックは離婚が出来ない上に一夫一婦制。

静かに祈りに専念したい宗麟は、家臣の反対を押し切り奈多夫人を受洗前に強制離婚。

洗礼名がジュリアという40過ぎの未亡人と再婚する。

ジュリアは家事が得意な穏やかな女性で、魂の安らぎが欲しい宗麟には理想的なパートナーだった。

だが不味いことにジュリアは次男の妻の生母・・・つまるところ縁戚 ( ̄ω ̄A;アセアセ

もっと不味いことにジュリアは奈多夫人に長年仕えた侍女頭だった ( ̄ω ̄A;アセアセ

縁戚として秘書として、信頼して召し使い、毎日接してきた女性に夫を奪われたのだ。

夫人の精神(こころ)とプライドはズタズタに引き裂かれた ・゜・(PД`q。)・゜・

脳乱した夫人は長男に「ジュリアが妊娠したら母子共々殺せ!」命じたというが、これもウワサで定かではない。

絶望した夫人は自殺しようとするが、娘や親戚が常に見張っていたので実行することが出来なかった。

1580年(天正8)には、三男と毛利秀包に嫁いだ娘が洗礼を受けるショボーン..._φ(・ω・` )

( ̄ko ̄)<毛利秀包がキリシタンなんでつ~娘夫婦は仲睦まじいラブラブカップルだったでつ

時期は調べられなかったけど長女も洗礼を受けています。

夫人は孤独だったでしょう・・・家族の中で彼女の味方は長男・義統だけでした。

お蔭で長男の人格形成に問題が・・・(._+ )☆\(-.-メ)オイオイ

宗麟の洗礼の直後、「耳川の戦い」で大友が島津に大敗北して以来、大友は衰微していった。

衰退が加速したのは、長男の統治能力が父・宗麟に遠く及ばないことにも起因するのだが、
夫人は神社仏閣を破壊した仏罰だと思っていたでしょう。

夫人の実家、奈多氏は寺社奉行の地位を利用して利権を独占したり、
訴状で自分に有利な裁定を下したりして、大友家衰退の原因の一つになっている。

ですが奈多夫人は、それらを理解する資質、又は政治力には欠けていたかもしれません。

むしろ実家と兄が特別扱いなのは当然、と思ってたかもです( ̄ω ̄A;アセアセ
(そう夫人が思って無理ないほど、宗麟には様々な理由で奈多一族の力が必要だった)

1586年(天正14)年ころになると、キリシタンの侍女に「安息日は働かなくても良いわ」と言い、
ロザリオを忘れた侍女に教会まで届けさせたりと、態度が軟化してます。

これは新たに宣教師が赴任して、夫や息子に影響を与えた今までのエキセントリックな宣教師が去ったのもあると思います。

ですが夫人は、自分から夫と子供を奪ったキリシタンの洗礼を、最期まで拒み受洗する事はありませんでした。

翌天正15年2月15日、夫人は臼杵で夫に先立つこと数ヶ月前に病没します。


大友宗麟の暴君説が後世の粉飾ならば、
奈多夫人の悪妻・悪女説も後世の創作の可能性が高い。

宗麟の胸中には「理想の国家」があったけど、その夢を共有できるのは彼と同じキリシタンだけです。

雷神・忠義の家臣と讃えられる道雪はキリシタンでは無く、仏教観や思想は平均的な日本人。

だから道雪が宗麟の理想を何処まで理解し、許容していたかは不明です。

宗麟がキリシタンに傾倒すればするほど、大友の屋台骨に軋轢が生じるのだが、
それは・またの話 by^-^sio

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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