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【漢(おとこ)には行かねばならぬ訳がある!】江上・八院合戦編13栞96

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鍋島軍陣容(参照:千葉氏HP、出典:勝茂公譜)

  先陣:鍋島茂里(&全軍指揮官)、鍋島茂忠
 第二陣:竜造寺茂綱←関ヶ原遅参の汚名回復のためハッスル中
 第三陣:須古信昭
 第四陣:諫早家晴、諫早直孝、竜造寺安順
 第五陣:多久家久
 第六陣:鍋島勝茂(直茂の嫡男・後の初代佐賀藩主)
 第七陣:本陣右脇に展開
 第八陣:本陣左脇に展開
 第九陣:鍋島直茂
 第十陣:直茂の右脇に展開
第十一陣:直茂の左脇に展開
第十二陣:小川直房、馬場茂員、千葉胤信、神代家良、内田茂堅、成冨茂安、出雲茂通、
     犬塚茂虎、鍋島道泉、倉町家秀、鍋島種巻、久納茂俊、田尻房種
 留守居:鍋島房茂

遅ればせながら、鍋島軍陣容データ入手出来ました( ̄O ̄A;アセアセ

馬場に神代に千葉と・・・因縁のある家が見事に揃ってるなぁ^^;
さすがに後方配置だけど~~~
これじゃ、鍋島直茂は家中のバランスとるのに苦労しただろうなぁ (゜-Å) ホロリ

最初、各将の当時の石高調べて換算すれば、兵数解るじゃん(=^・ω・^=)v (=^・ω・^=)v ブイ
と思ったが、そんなコアデータを県外在住者には入手困難だし、
解ったとしても第七、八、十、十一陣の兵数(旗本衆か?)が解らないから、やっぱ謎です^^;

参照サイト&出典元によると、立花軍大将・小野鎮幸は、この戦で死ぬつもりだったらしい





話は開戦前に遡る。

とにかく家康の御機嫌を損ねないようにするには「短期決戦」が絶対条件の鍋島家。

鍋島家では立花軍を柳川城から引っ張り出すために、成冨茂安を使わして果たし状を出したりしてたんだが、
( ̄ko ̄)<他にも画策してたんでつよ・・・


画策というのは離間工作で、罠にハメられたのが立花家次席家老・小野鎮幸です

鍋島家は小野と親しく交流があった鍋島茂里と石井茂賢の名前で、小野あての書状を捕虜に託して放したんです。

ワンパターンというか、よくある離間工作なんだが、これに立花家中が釣られた~~~ぇえ!(゚ロ゚屮)屮

「名将なら3年、凡将でも1年は持ちこたえる」と謳われた名城・柳川城。

だがこれは「援軍が来る見込み」が前提の話だったのだろう。

この時期の柳川は、敵に囲まれ支城も次々落とされた「孤城」の状態なんです。
(島津は同じ西軍だが、この段階ではアテにならない)

固い結束を誇る立花家中ですら書状一つで動揺したのだから、
籠城における心理状態は、普段の戦よりも超デリケート&超神経過敏になるんでしょう。

実際、もし自分だったら籠城一日目で疲労困憊(精神的に)しそうだ( ̄ω ̄A;アセアセ

あ、もちろん主君の宗茂は「この程度の離間工作」ではビクともしません。

だから大丈夫だったんです^-^

が、内通?(*´・д・)ヒソヒソ(・д・`*)裏切? と一度は家中で噂された事で小野が逆切れした。

小野(# ゚Д゚)・;'.「サラハ討死シテ見スベシ」

と、出陣し壊滅状態の先陣を救おうと(無謀とも言える)突入し~自軍が壊滅して本人も品詞・・・もとい瀕死の重傷です( ̄ω ̄A;アセアセ

このまま討死した方が本望だッタンジャ・・・(._+ )☆\(-.-メ)オイオイ


立花家紋

小野さんって立花家中では中途採用者で「生え抜きの家臣」って出自じゃないんです。

実力で次席家老に出世した小野さんを、快く思ってない譜代衆がいても不思議じゃない。

あと小野さん本人も誤解を受けるタイプ(守銭奴)です( ̄ω ̄A;アセアセ

守銭奴って言っても、集めた金は全て主君に献上しており、忠義からの発露なんですが、
ガメツく集めすぎて批判されたでつ,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!


それはさておき、その小野さんを救うために牽制部隊として別行動してた薦野成家隊が突入。

小野を包囲する鍋島隊を蹴散らし、生き残りの味方を自隊に回収したところまでは良かった。

だが鍋島からの発砲で被弾した薦野が裂傷を負い、一度落馬してしまう。

怪我にめげず即復活した薦野だが、動きが乱れたところを鍋島の追撃にあい、薦野隊も包囲されるのは時間の問題という大ピンチ!!!

もうダメポ・・・と思った、その時。

なぜか突然に鍋島軍が撤退しはじめた・・・ヽ(。_゜)ノ へっ?


薦野は「勝ってるのに何で大将首を取らずに撤退??ヽ(。_゜)ノ へっ?」とワケワカメ。

「上層部で和睦の動きでもあったか?」とも思ったが、主君からは特別の指示はない。

とにかく柳川へ撤退するのが先決と、重傷の小野を抱えて引き上げた。

戦後、生き残った小野の報告を聞いた立花宗茂は、
「薦野成家が「江上・八院」における一番の働きである。」と、感状(かんじょう=戦の手柄の内容を賞した書面)を出した。

薦野は被弾で左頬に残った傷跡を誇りとし「これがワシの江上・八院の戦だ」と語っていたそうだ。


鍋島家紋

この「江上・八院の戦」は、先の大津城攻めの活躍とあいまって、立花の武勇に対する評価は倍増。

名将・武神・鎮西無双などなどの立花宗茂の名声を不動のものにした。

一方、勝ったはずの鍋島軍の評判は冴えなかった。。。。il||li _| ̄|○ il||l

鍋島32000VS立花3700~
ジャイアンとのび太ほどの勝って当然の兵力差で、鍋島側から撤退&大将を討ち洩らしたからです。

これで小野の首を討ち取った後の撤退なら格好がついたんだが (-ω-:)ウーン

おまけに立花家臣の口から鍋島軍が何度も崩れたのが洩れて、カッコ悪さ倍増^^;

それとなんですが、兵力差から見て立花側が壊滅状態なのは当然として、
その壊滅状態の中ですら、立花の精鋭たちは鍋島軍から200以上の犠牲者を出しているんです。

犠牲者200は雑兵ばかりですが、それは鍋島軍の層が厚すぎて兜首に肉薄出来なかっただけのこと。

立花軍は、鍋島の約11%の兵数で、鍋島から0・6%の損害を叩き出してます。

対比計算でいくと「IF兵数が同じ=立花は鍋島の半分を討ち取れた」事になる。

そうなれば圧勝したのは立花のはずだ。と誰もが思うでしょう。

世間がどう評価するか、鍋島直茂は重々承知の上で、それでもなお「引かねばならない理由」があったのだが、それは・またの話 by^-^sio

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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