FC2ブログ

【理想の同盟*人 ̄▽)♪~】相良氏、戦国名君編5

龍造寺編で大内・大友の激突前に肥後・相良家に話を戻したい。

大内義隆が肥後守護職・菊池義宗とタッグを組んだので、肥後情勢も絡んできちゃうからです^^;

でもって「相良家の同盟相手」と言うと、
戦国ファンなら真っ先に「甲斐家(と甲斐主君の阿蘇家)」を上げるだろう。

だが甲斐家(と阿蘇家)より、遥か前に相良家がタッグを組んだ武家がある。

それが北隅(ほくすみ・大隅国の北部)の雄・菱刈家

島津家の大隅統一を阻んでいた理由の一つが「相良家と菱刈家の同盟」にあり、
菱刈家の武勇に「あの猛将・島津義弘(4兄弟次男)」が撃退され、手痛い敗戦を喫したことすらある。

( ̄ko ̄)<いえね・・・義弘さんってば倍する敵の菱刈に、例によって突撃の無茶ぶりしたんでつ

その菱刈と相良の同盟は、何と「関ヶ原の戦い」の100年以上前に遡る。

同盟による婚姻は以下の通り
相良側~16代・義滋の娘~菱刈重任(14代重州の兄弟)の室
菱刈側
重州(14代当主)の叔母~相良長皓(16代義滋の叔父)の室
重州(14代当主)の妹~~相良長時(16代義滋の従兄弟)の室

といった感じで、この同盟は菱刈は島津対策・相良は恐らく北原(日向)対策のためです(* ̄・ ̄*)b

文明17年(1485年)ヒェェ><;~その相良と菱刈を交えて島津家の三家が同盟をする。

島津は三家同盟にことよせて、何とか相良と菱刈を引き離そうとするのだが、上記の強固な繋がりを崩すことは出来なかった。

時代下って1530年(享禄3年)~16代・相良長唯と14代・菱刈重州の連合軍が大口城を攻撃する。

相良編を調べて初めて知ったのだが、これほどの激戦地で島津ファンなら誰でも知ってる大口城~~

なのに「築城年・築城主・歴代城主」といった基本データが入手不可 ガ━━━(゚ロ゚;)━━ン!!

大口城は鹿児島県伊佐市にあり、元々は大口市だったのが菱刈氏の菱刈町などと合併し、伊佐市になった。

市HPの歴史を見ると市の(合併の)歴史・・・_| ̄|○ il||li がくぅ・・・まんまですがな・・

地図・相良関連

それはさておき、上記地図をガン見してくださると[壁]スッ≡( ̄ー『+』ゝハッケンできるのだが、

「大口城」は菱刈家と相良家の境目にある城・・・だから大隅統一を狙う島津がゲッツしたり、菱刈がゲッツしたりと、非常に目まぐるしい。

1530年当時、大口城は島津のもので、時の城主が羽州島津家・3代目当主・島津忠明。

羽州というのは、官位名が出羽守だったので羽州と呼ばれた。

もともと梅北に在していたが、大口城に入ってからは「大口殿(口がデカい訳では無い)」と呼ばれた。

攻撃を受けた時、ちょうど諏訪神社の祭礼で参拝者に紛れこんだ敵兵が城に火をかけ、あっという間に攻め落とされた。

さらに忠明の息子は鷹狩の最中に殺され、忠明も城で自害して果てた。

家紋・島津(島津家紋ロゴ)

激戦地である大口城では惣領息子の討死が多い。

羽州島津家では後を継いだ4代目まで大口城絡みの戦で討死し、男系が絶えてしまう。

女系で忠明の孫にあたる男子が、16代島津当主・義久(4兄弟長男)の命令で羽州島津家の家督を継ぎ、江戸期は大島家として残った。

急なことで、援軍が間に合わなかったのを島津宗家は気に病んでいたらしい。

天正7年に島津忠明を祭神とする神社を建立した。それが伊佐市にある「西原神社」だ。

鹿児島県・神社庁HP~グッジョブ!

だけど建立したのは島津貴久ってなってるけど、当時の当主は義久,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

たぶん大口城の歴史が通史としてまとまってないから、ごちゃ混ぜになってるんだな~

さて、大口城を手に入れた菱刈氏だが、どうもその後、またまた島津サイドに奪われているらしい~

きっと20年弱で色々あったんだろうなぁ・・・( ̄ω ̄A;アセアセ 

でもって、この強固な同盟関係にヒビが入るのは、名君な相良晴広の死がキッカケなのだが、
それは・またの話 by^-^sio
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
月別アーカイブ
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
779位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
歴史
122位
アクセスランキングを見る>>
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR