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肥前千葉氏_4【中興の祖・後編】




肥前千葉の家督に最初に介入した大内当主は、12代目大内持世(もちよ)

ライバルを蹴散らし大内の全てをゲッツし、少弐を滅亡寸前まで追い詰めた人物


1437年(永享9)~肥前千葉の家老・中村胤宣が大内持世に内通し謀反を起こす。

中村は肥前千葉⑦胤鎮の弟・胤紹を神輿として担ぎ出した。

そして胤紹は大内持世のバックアップで肥前千葉の家督を簒奪し当主となる。

城を追われた⑦胤鎮は、僅かな供で落ち延びたのだった。。。ショボーン..._φ(・ω・` )

翌1438年(永享10)12月29日~室町幕府から胤紹と中村胤宣へ通達を出した。

幕府「大内持世と諸事相談し、幕府に忠義を尽くしなさい」年末に慌ただしいですな( ゚Д゚)y─┛~~
裏で大内が色々手を回して・・・(._+ )☆\(-.-メ)オイオイ

1439年(永享11)年明け1月21日~~再び幕府から胤紹へ命令が下る

幕府:千葉家の混乱は⑦胤鎮が原因だから必ず探して厳密に沙汰せよ


追い出された元当主・胤鎮「被害者はコッチ!」・゜・(PД`q。)・゜・ヒドイヒドイワ

同年6月~再び幕府から「早く⑦胤鎮を探せ!」と催促


正当な当主・⑦胤鎮が生きている限り、胤紹は家督簒奪者の誹りを免れる事は出来ない。

⑦胤鎮を始末するために幕府の威光を利用する大内持世。

さすが中国地方のドンは容赦ないですな( ゚Д゚)y─┛~~




大内持世のバックアップで胤紹がウホウホ♪かというと、そうでもなかったらしい。

冒頭で大内持世を「少弐を滅亡寸前まで・・・」と紹介したが、言葉通り「寸前」で留めを刺さなかった。

どういうわけか仏心を出して、室町将軍・足利義教を通じて少弐と和睦し、少弐を存続させたんです(1440年)

少弐と同盟してる対馬・宗氏との関係悪化を恐れたかもです(貿易で困るからかな?)

胤紹は、その短い当主期間に、VS少弐のため大内の先陣に駆り出され、戦に奔走する日々だったらしい。

大内「ただで当主になれるとでも?地位には義務が付き纏うのだよ」

このまま大内持世無敵状態が続くかと思われたが、天下を揺るがす大事件が起きる。

1441年(嘉吉元年)に「嘉吉の乱(将軍暗殺事件)が起き、宴に相伴していた大内持世も巻き添えで重傷⇒⇒怪我が元で死亡!


当主交代がリベンジのチャンス~~少弐⑭教頼、大友⑫持直、大内教幸(庶子)が挙兵。

潜んでいた千葉胤鎮も同調し挙兵・・・・・・・・・・・・・

したんだが負けたでござる  il||li _| ̄|○ il||l 再び逃亡。

胤鎮の敗北⇒逃亡を受けて、室町幕府が正式に胤紹を当主として認定~公式に8代目当主となった。


肥前千葉家紋

⑧胤紹の喜びは長く続かなかった。

1445年(文安2)~逃亡していた胤鎮がリベンジ挙兵!

同年8月17日~⑧胤紹は、兄の胤鎮に殺害される。

⑧胤紹の嫡男・政胤も、胤鎮に殺されたが、11歳だった次男・胤朝は城を脱出した。

胤朝が大内家の庇護下に入ったのは言うまでもない。

⑦胤鎮は当主に復活し、千葉氏領地(小城郡、杵島郡、佐賀郡一部)を取り戻す。

1450年(宝徳2)に、⑦胤鎮は三男・教胤を授かる。

ちなみに竜造寺家兼ジーちゃんは1454年生まれでつ ( ̄ω ̄A;アセアセ

1452年から1455年の間に7代目・千葉鎮胤は「肥前国主」と尊崇された


波乱万丈の人生だった胤鎮は、1455年6月25日に54歳で没するのだが、それは・またの話 by^-^sio

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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