秋月種実17【勃発!毛利元就VS大友義鎮・1】
九州は火の国・神の国。
だから九州には神社に仕える社人が武家となって土着し、国人領主となった神社系武士団が多い。
彼らはキリシタンの布教を許可し、自身もキリシタンに傾倒する大友義鎮の支配を嫌った。
だが大友氏を嫌った北九州の国人たちが毛利元就に靡いたのは宗教だけが原因ではない。
毛利元就の強みは関門海峡の制海権を握っていたことだ。
関門海峡は潮流が激しく、21世紀の今日でも通過には水先案内人の乗船が義務づけられている難所だ。
その難所を毛利家は村上水軍を味方につけることでクリアし、北九州への派兵を可能にした。
と言っても関門海峡の元々の制海権は大内氏が握っていたのだから、毛利はソックリ継承したとも言える。
味方であれば頼もしい。だが敵であれば、いつ急襲を受けるか分らないという恐怖に晒される。
また北九州は毛利元就の前から長く中国地方の支配を受けていたので、文化・人的交流の面でも中国地方の方に親しみがあるという歴史的背景もあった
豊後(大分県)の大友義鎮が毛利元就(山口県)を倒すためには関門海峡という難題が横たわっていた。
(行けない訳じゃないよ。制海権の話ね^^b)

(毛利家紋ロゴ~ロン様☆作品)
主役の秋月種実・・実は分家です
以前、シオ的武家家伝~秋月氏でも触れましたが宗家は原田氏です。
一族で共通しているのが名前に種の文字が入ること^^b~種が目印、大蔵系氏族~
原田氏は長年、大内氏に仕えていましたが大内氏が滅亡すると毛利傘下になりました。
種実のダディ文種が大友から離反し、毛利傘下になろうとしたのは宗家と無関係では無いでしょう。
1557年にダディとママンが大友氏に攻め滅ぼされた時、宗家の原田氏も大友軍の攻撃を受け、原田宗家は嫡男と3男を大友軍に討たれてしまい已む無く降伏 _| ̄|○ がく
(3男は違う説もあるが気分でコッチを採択)
種実が落城した古処山城から脱出した後、毛利を頼ったのは原田宗家も大友軍に降伏してて、宗家のとこへ逃げられなかったからです^^;
1559年にリベンジして秋月領に戻った種実も、力及ばず結局降伏で宗家と同じく大友傘下です。
息子を殺された原田宗家と両親を殺された分家、秋月種実。
確かに助命され本城は保証された。戦国時代だから寛大な処置とも言える。
だが彼らは肉親を殺された怨みを忘れるほどの慰撫を大友氏から受けてはいない。

(一族の仇敵・大友義鎮/おおとも よししげ)
これは大友義鎮の出自にも関係があると思う。
名門・大友氏のプリンスとして生を受けた大友義鎮には国人領主の切なさ苦労は判らないし、また斟酌する必要がないほど大友氏には力があった。
だが、それでは大友氏の家運が傾いた時に国人領主は大友氏を見限ってしまう(現に後年そうなった)。
「外様の者に酒を振舞うときには、ただ下げ渡すのではなく、自分の前で振る舞い目をかけ恩を与える。これが御家安泰の秘訣である」(「葉隠」より鍋島様のお言葉)
まぁ大友氏は大友氏で名門であるがゆえの家督争いとかあって、それはそれで大変なんだけどね^^
とにかく国人領主にとって父祖伝来の土地が自分の物なのは当たり前のことで奪った相手が返してくれたからといって、それだけでは恩を感じないんです。
かといって原田宗家と分家・秋月種実が連携して軍事行動をとったとしても、大友氏にとっては「獅子の尾にたかるハエ程度のもの」だ。
大友氏を倒すためには同じだけの勢力を持つ毛利元就をぶつけるしかない。

(ロン様作成:秋月家紋ロゴ)
1561年 秋月種実(13歳)は大友氏から離反し毛利元就の傘下に入る。
秋月種実と家臣たちはタイミングを間違えば滅亡するかもしれない危険な賭けに踏み出した。
果たして思惑通りに大友VS毛利は実現するのか?
それは またの話 (* ̄∇ ̄*)
次回~勃発!毛利元就VS大友義鎮・2~さぁっ あちこち忙しくなるよ~~\(≧▽≦)ノ
だから九州には神社に仕える社人が武家となって土着し、国人領主となった神社系武士団が多い。
彼らはキリシタンの布教を許可し、自身もキリシタンに傾倒する大友義鎮の支配を嫌った。
だが大友氏を嫌った北九州の国人たちが毛利元就に靡いたのは宗教だけが原因ではない。
毛利元就の強みは関門海峡の制海権を握っていたことだ。
関門海峡は潮流が激しく、21世紀の今日でも通過には水先案内人の乗船が義務づけられている難所だ。
その難所を毛利家は村上水軍を味方につけることでクリアし、北九州への派兵を可能にした。
と言っても関門海峡の元々の制海権は大内氏が握っていたのだから、毛利はソックリ継承したとも言える。
味方であれば頼もしい。だが敵であれば、いつ急襲を受けるか分らないという恐怖に晒される。
また北九州は毛利元就の前から長く中国地方の支配を受けていたので、文化・人的交流の面でも中国地方の方に親しみがあるという歴史的背景もあった
豊後(大分県)の大友義鎮が毛利元就(山口県)を倒すためには関門海峡という難題が横たわっていた。
(行けない訳じゃないよ。制海権の話ね^^b)

(毛利家紋ロゴ~ロン様☆作品)
主役の秋月種実・・実は分家です
以前、シオ的武家家伝~秋月氏でも触れましたが宗家は原田氏です。
一族で共通しているのが名前に種の文字が入ること^^b~種が目印、大蔵系氏族~
原田氏は長年、大内氏に仕えていましたが大内氏が滅亡すると毛利傘下になりました。
種実のダディ文種が大友から離反し、毛利傘下になろうとしたのは宗家と無関係では無いでしょう。
1557年にダディとママンが大友氏に攻め滅ぼされた時、宗家の原田氏も大友軍の攻撃を受け、原田宗家は嫡男と3男を大友軍に討たれてしまい已む無く降伏 _| ̄|○ がく
(3男は違う説もあるが気分でコッチを採択)
種実が落城した古処山城から脱出した後、毛利を頼ったのは原田宗家も大友軍に降伏してて、宗家のとこへ逃げられなかったからです^^;
1559年にリベンジして秋月領に戻った種実も、力及ばず結局降伏で宗家と同じく大友傘下です。
息子を殺された原田宗家と両親を殺された分家、秋月種実。
確かに助命され本城は保証された。戦国時代だから寛大な処置とも言える。
だが彼らは肉親を殺された怨みを忘れるほどの慰撫を大友氏から受けてはいない。

(一族の仇敵・大友義鎮/おおとも よししげ)
これは大友義鎮の出自にも関係があると思う。
名門・大友氏のプリンスとして生を受けた大友義鎮には国人領主の切なさ苦労は判らないし、また斟酌する必要がないほど大友氏には力があった。
だが、それでは大友氏の家運が傾いた時に国人領主は大友氏を見限ってしまう(現に後年そうなった)。
「外様の者に酒を振舞うときには、ただ下げ渡すのではなく、自分の前で振る舞い目をかけ恩を与える。これが御家安泰の秘訣である」(「葉隠」より鍋島様のお言葉)
まぁ大友氏は大友氏で名門であるがゆえの家督争いとかあって、それはそれで大変なんだけどね^^
とにかく国人領主にとって父祖伝来の土地が自分の物なのは当たり前のことで奪った相手が返してくれたからといって、それだけでは恩を感じないんです。
かといって原田宗家と分家・秋月種実が連携して軍事行動をとったとしても、大友氏にとっては「獅子の尾にたかるハエ程度のもの」だ。
大友氏を倒すためには同じだけの勢力を持つ毛利元就をぶつけるしかない。

(ロン様作成:秋月家紋ロゴ)
1561年 秋月種実(13歳)は大友氏から離反し毛利元就の傘下に入る。
秋月種実と家臣たちはタイミングを間違えば滅亡するかもしれない危険な賭けに踏み出した。
果たして思惑通りに大友VS毛利は実現するのか?
それは またの話 (* ̄∇ ̄*)
次回~勃発!毛利元就VS大友義鎮・2~さぁっ あちこち忙しくなるよ~~\(≧▽≦)ノ
スポンサーサイト

