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【本藩人物誌・肝付氏(兼続以外)】

●肝付左馬頭良兼
省釣嫡子なり。母は日新公御女。妻は伊東義祐の女なり。廻・松山・救仁院・安楽・福島などを領す。

永禄11年春伊東義祐と飫肥・福島を攻む。
6月8日、島津忠親飫肥を去りて福島に遁れる。また(良兼は)進んで福島を囲む。
7月13日、忠親、力尽きて都ノ城に遁れる。良兼、福島を取る。
元亀3年1月6日、良兼の兵200余人、末吉に於いて戦死す。
同19日、良兼、兵を残して船行し、隅州小村海浜を侵す。一族・岸良将監以下20余人戦死す。
同2月
、廻・市成境にて、守護方の伏兵に入って肝付越前守以下20人討ち死にす。同5月守護の兵に川を破られる。
天正1年1月6日、北郷時久と末吉の住吉原に戦い敗積して、一族家人数百人戦没す。この年の春、禰寝重長が良兼と伊地知より離れて、守護方に降る。
3月18日、重長、守護の兵と西俣を攻む。良兼、逆に戦うが利あらずして帰る。
その後、良兼、また禰寝を襲う。重長と横尾に戦うも利あらずして戦死するもの50余人。
同2年、良兼の将・ 安楽備前守が牛根城を守護方が囲み攻む。
1月6日、良兼、兵を残し高隈山を越えて牛根城を救わんとするも利あらずして遁れ帰る。
同22日、備前守、城を下りて肝付に帰る。守護の兵、早崎に陣して、肝付・伊地知に備う。
7月23日、良兼、兵を発し、夜に乗じて早崎陣を襲うが勝たずして帰る。その後、良兼、小根占瀬脇城を襲う。禰寝重長と戦って勝たず。良兼、また伊地知重興と兵を合わせ、禰寝に入り火を放って村・市を焼く。重長及び公軍と戦うが利を失って100余人戦死す。

一女あり嗣子なくして卒す。
(肝付系図に、永禄5年4月5日に松山知行、同年5月29日志布志を知行、元亀2年7月30日に死去と見えたり)

●肝付修理亮兼定
省釣の次男。天正元年1月6日、末吉は住吉原にて戦死す。


●肝付左馬頭兼道
初名:兼成、以後:兼輔、兼亮、また兼盛とも。与市、九郎、三郎四郎。

兼続入道省釣の三男、兄・左馬頭良兼が嗣子なくして卒す。因ってその女を娶りて家督を継ぐ。
先祖代々、御家に敵対仕り、中祖・省釣入道は貴久公へ敵対仕り、
天正元年に伊地知・禰寝の両家が肝付より離れ降参仕るに、兼道も旧領・肝属郡を進上仕り、義久公へ降参仕り候ところ、薩州阿多のうち12町を拝領仰せ付かり候。
天正2年、父兄没して孤立し仇を慮り、押領の地を献じて龍伯公に降参す。これに於いて旧領高山(肝属郡並びに志布志・福島など)を収めて、薩州阿多村12町を賜う。
天正4年8月に高原御出陣にて人数300余従軍、空見して働きナシと見えたり。

その後、夫婦の仲、睦まじからず、兼道、肥後に在番せし時、嫡孫なりとて妻室に与同する者多くして内乱起こる。
因ってまた阿多を収められ、妻は伊東に往く(兼道の妻は兄・良兼の女にて、伊東義祐の女の腹に出生したる者にて、義祐の孫女なり。因って伊東氏に引き取られたと云う)。此処に至って肝付氏、遂に領土を失う。

関ヶ原役に戦死す
天正4年高山を収めらるるとあり


●肝付三郎五郎兼則
省釣の四男なり。


●肝付伴十郎兼幸
兼道の子。母は税所助十郎の女(伊東方へ前妻引き取り後嫁す)。
父の死後に少禄となるも、兼道の堪忍分として100石を拝領。
家久の琉球参府の供として豊後沖の愛之島で乗船するも転覆し19歳で死亡。
兼幸には子がなかった為、新納四郎左衛門入道慶雲の嫡子・甚右衛門兼康を養子と称した。

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◎◎肝付一族家臣:↓

●肝付左兵衛尉
天正元年1月6日、末吉住吉原にて戦死す。

●肝付三河入道竹友
天正元年1月6日、末吉住吉原にて戦死。今、その墓あり。

●肝付伊勢守兼清
天文年中、姶良地頭。

●肝付加賀守兼吉
加賀入道。 文安の孫なり。文安は応仁の頃に肝付代官となりて忠節。無二の者なりと云う。 天文年中、恒吉地頭。

●肝付治部左衛門尉兼名
覚兼日記の天正3年に名前見えたり。兼吉の弟なり。
省釣が公に叛くとき、兼名が廻城を襲わんことを云う。省釣、悦びてを佩刀を与う。兼名、即300余人率いて夜に乗じて廻城を襲い取り、自らその城を守る。廻地頭なり。

●肝付武蔵介兼堅
弘治2年より鹿屋地頭。

●肝付越前守
元亀3年、廻・市成境にて戦死。

●薬丸出雲守兼将入道狐雲斎
省釣の家老なり。覚兼日記の天正3年12月に名前見えたり。

●薬丸弾正少弼兼持
狐雲の子なり。内之浦地頭。

●検見崎常陸守兼泰
元亀の頃、串良地頭。

●伊集院三河入道竹圃
大崎地頭。天正元年1月6日住吉原にて戦死。

●新納下野入道永侃
安芸守忠氏入道永看。志 布志地頭。
忠氏は恒吉城主。新納氏が叛いた折に本田氏に属す、また叛いて省釣に属す。天正4年10月1日、伊東氏と戦って死す。

●安楽下総守
永禄13年、新当流馬術免許受領。

●安楽備前守兼寛
牛根地頭。

●川越丹後守(平)家実
永禄年中、高隈地頭。元亀年中、百引地頭。

●福崎和泉守重張
牛根城に於いて戦死。この人は伊地知方ともあり。

●竹田山城入道笑我
天正3年12月27日、肝付の使いなり(覚兼日記)。

●鹿屋周防介兼豊
鹿屋領主なり。弘治2年8月17日、北郷に与し、日州国の合原合戦に於いて、嫡子・采女兼任と一所に戦死。

●町田左近将監
肝付省釣に与党致し、その後、御内応申し上げ候ところ露見致し自害す。母・妻子までも死罪を被るとの 由、天正12年6月29日の覚兼日記に見えたり。母は覚兼母方の伯母なりとあり。

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時乃★栞

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