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龍造寺家兼_22【激突1少弐+大友VS大内・後編】

1532年(享禄5)に入ると、大友・少弐・千葉の3家が合同して、杉興連の大宰府岩屋城を攻める。

ピンチに陥った杉は、大内義隆に援けを求めた。

驚いた義隆は、周防・長門の軍勢を陶興房に率いらせ、筑後国へ派遣する。

名将の誉れ高い陶興房がキタァ━━━━ヽ(´ω` *)ノ━━━━ッ★

(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル~~~アタヽ(´Д`ヽ ミ ノ´Д`)ノフタ 

3家連合軍は一目散に逃げちゃったので、陶は戦わずして大宰府入りを果たす( ̄ω ̄A;アセアセ

家紋・大内(大内花菱)

陶勢は杉勢と共に少弐勢と多々良浜で激突。

敗色濃厚の少弐勢は撤退すると、立花城へニート引き籠った。

杉興連の子・杉隆連は少弐を追いつつ、博多・筥崎に陣を布いた。

すると、高祖の原田隆種、青山の留守氏、鏡の草野氏ら近隣の多数の武士が悉く杉隆連の陣に馳せ参じた。

大内勢は二手に分かれ、博多を発って那須郡に入ると、粥田庄の秋月をo( ̄Д ̄θ★ケリッ!打ち通る。

秋月「少弐に味方したわけじゃないのに酷い(´;ω;`)ウッ」

大内勢「中立は敵認定(`・ω・´)キリッ」

この勢いに呑み込まれるかに見えた少弐が、反撃に転じる(*ノ・ω・)ノオオオオォォォォ

少弐勢から、宗・横岳・馬場・出雲・筑紫以下が、陶勢が通るのを待ち伏せし機を見て打ち掛かった。

陶「Σ(´Д`;)!?」

不意を突かれた陶勢は、仁保将監以下600余人が討死。。。。(´;ω;`)ウッ←仁保も好きww

陶ら敗兵は慌てて豊後方面へ退路を取り、童話の里がある玖珠郡にまで至ると、やっと息を継いだ。

家紋・少弐(少弐家紋ロゴ)

同年7月29日、享禄から天文へ改元。

結局、派遣された陶興房は大勢を立て直すことに追われ、
星野への加勢も出来ないまま、無為に一年を過ごすことになる。

少弐が大内勢に勝利したことに満足した大友義鑑は、
豊後に帰ったのだが「少弐への合力の為に」と、臼杵三郎右衛門と真光寺の両将を筑前に残した。

臼杵氏は道雪の戸次家庶流。

つまり大友家支族の一つなんでバリバリ同紋衆(大友の家紋使用を許されたエリート集団)(=^・ω・^=)v ブイ

さらに大友家の大臣にあたる加判衆を務めた家で、当主は豊後三家老の一人。

筑前・柑子岳城の城督(方面軍司令官)を務める家柄です。

戸次道雪が大友義鎮(宗麟)に命じられて筑前入りするより、ずっと前の事で本来の筑前担当は臼杵さん^^

道雪は臼杵救援もあって筑前・立花城に入ったんです^-^

臼杵三郎右衛門が、臼杵一族の誰あたるか諱が判んないので不明^^;

真光寺は寺の名前でもありますが、この場合は人名。

真光寺佐藤刑部丞本人か、その身内だと思います。

真光寺そのものも臼杵市にあり、大友家から所領安堵状が出てます。

真光寺僧は使僧として、大友家の使いを務めることもあったので、
住職の親族が大友家臣だったかもです。

家紋・大友(大友家紋ロゴ)

この年、少弐資元には三男・胤頼が産まれる。

名将と近隣に恐れられていた陶興房に勝利し、幸先良いスタートの少弐だったが、
当然のごとく陶の反撃が始まる。

この陶興房が、少弐資元の命運を決定するのだが、それは・またの話 by^-^sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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