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龍造寺家兼_26【激突2大内VS大友・勢場ヶ原の合戦2】

1534年4月3日、大内家臣・陶軍3000は宇佐郡糸口原に到着。

陶興房が周防を出陣したと報告を聞いた大友義鑑は、アタヽ(´Д`ヽ ミ ノ´Д`)ノフタ~大慌て。

同年1月に筑後勢の謀反発生+肥後・菊池義宗(大友の実弟)が加担し挙兵。

その鎮圧のために大友本軍は肥後へ行ってたからです。

やむなく大友義鑑は、国東、速水、杵築から動員した兵2800を陶軍に当たらせる事にした。

総大将は吉弘氏直~今年19歳のニューフェイス~つまり今回が初陣!^^/

ベテラン陶に、ほぼ同数の兵力で大将が初陣・・・これって死亡フラグ・・・(._+ )☆\(-.-メ)オイオイ

吉弘の不慣れな所は、副将の寒田(そうだ)親将がフォロー。

兵力に大差がないとなれば、地元である大友軍が有利なのは言うまでもない。

そこで陶は一計を案じた。

家紋・大友(大友家紋)

陶は「豊前街道(通常ルート)を南下する」と噂を流させたんです。

噂を信じた大友側は、陶軍を迎え撃つための布陣を決め、兵を3つに分散してしまう。

1)立石峠に、田北鑑生と木付親実の兵1000
2)地蔵峠に、志手泰久と野原昌久の兵1800
3)大村山に、本陣~大将・吉弘氏直と副将・寒田親将の兵1000
4)後詰に、大神鎮氏と林鎮治の兵350

実際の陶軍は難所と言われる佐田越えルートを進軍。

道案内を務めたのは宇佐郡代(大内が任命)の佐田朝景だ。

大友本陣のある大村山麓に到着した陶軍は、石河野という場所に陣を布いた。

が、豊前街道を~って噂を信じていた大友側は、
夜陰に紛れて行軍した陶軍の動きに全く気付いていなかった^^;

4月6日未明、陶軍から出撃した100名ほどの部隊が本陣を奇襲!

大内軍が天から降ってきた!

家紋・大内(大内花菱)

突然の攻撃に驚いた大友兵がパニックを起こし、大友本陣は大混乱!!

大将の吉弘氏直は兵を叱咤し、必死に本陣の体制を整えた。

さすが若くても初陣なのに猛将と呼び声高いだけのことはあります。

ちなみに吉弘家は「大友家中で最も忠義に篤い家」と言われ、
岩屋城で玉砕する紹運は氏直の孫で、石垣原で主家の為に散る統幸は氏直の曾孫です^-^

一方、陶の奇襲部隊ですが元々僅か100名なので、大友本陣が混乱から立ち直り始めると退却し始めた。

それを見た吉弘氏直は「あれらを追撃するぞ!」と言い出した。

副将・寒田「Σ(´Д`;)それ危険です!陶が待ち伏せしてるかも~立石と地蔵の兵が来るのを待ちましょう!」

だが若い吉弘は寒田の諌めを聞かず「者ども!我に続け!」と、
大将自ら先頭きって馬で大村山を駆け下りて行った。

将らは、吉弘に続き山を駆け下りたので、自然と隊列は縦一直線(雁行の陣)となった。

麓・石河野で待ち受ける陶軍は、横に広く陣を布いていたので(鶴翼の陣)
陶軍より少数の吉弘らは、このままだと陶軍に包まれるように囲まれて潰されてしまう。

吉弘「オラァ!!!(# ゚Д゚)・;'.怯むな!このまま敵本陣まで突き進め!!」

互いの陣形に気付いた吉弘は、強引に中央突破しようと試みたのだが、
それは・またの話 by^-^sio

本シリーズ参照サイト:豊後の城と合戦
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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