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龍造寺家兼_34【太宰の大と少・少弐へチェックメイト~中篇】

のぼうの城を再鑑賞でチャージ完了~ゎーィ♪ヽ(*´∀`)ノ

さて、いきなりですがブランクあるので、時計を少し巻き戻して1534年に戻ろう。

この年、一つの名門武家が大内氏によって滅ぼされた。

それは九州探題(室町幕府の軍事出先機関)渋川氏です。

何を隠そう大内氏が北九州へ介入した「最初のキッカケ」は、実は渋川氏なんです。

話は「南北朝の争乱」に遡ります。

九州は南朝が優勢でして室町三代将軍・義満の頃までグダグダしてました。

打開策として名将の呼び声高い今川了俊を九州探題に任命し、鎮圧にあたらせました。

結果は大成功でしたが了俊が有能すぎて、彼個人で九州統一するかもって勢い( ゚д゚)ンマッ!!

了俊に野心あったかは不明ですが、とにかく一人の功績が大きすぎる事を恐れた足利義満が彼を解任。

今川の後任として選ばれたのが渋川氏でした。

ところが未だピリピリムードの鎮西を治めるには、渋川の個人スキルが不足(無難無難と選んだせいで能力は度外視だった)。

そこで室町幕府は大内氏に「渋川の面倒を見てね(´・д・`)」と命じ、
大内は正々堂々・公明正大・勘気雀躍で北九州に介入する事となったのです。

家紋・大内(大内花菱)

渋川氏、最後の当主・渋川尹繁(ただしげ)を九州探題に推挙したのは大内氏でした。

未だ元気だった少弐に城を追われたので大内の庇護下に入ってたんです。

その大内が渋川を攻撃したのは、渋川が土壇場で少弐に寝返ったからだと言われています。

大内の肥前平定なぅ~の状況で旧敵だった少弐に寝返るなど常識ではありえないのですが、
どうも渋川尹繁の嫡子の死が絡んでいるようなんです。

1533年12月に筑紫家支城の朝日山城(鳥栖市)が攻略され、
大内方で参加した渋川尹繁の嫡子・義長が戦死しました。(直後に筑紫は少弐から大内に寝返る)

尹繁には義長しか子供がいなかったようで、嫡子の戦死に納得いかない事があったっぽい~
サイトによっては「渋川義長は大内に討たれた」ってなってます。
(寝返り常習・筑紫が絡んでるからなぁ~筑紫が何かヤラかした巻き添えのイメージが。。(._+ )☆\(-.-メ)オイオイ)

渋川尹繁は大内に攻撃され、綾部館で自害。

大内によって支えられた渋川氏は、大内によって断絶・滅亡した。

大内義隆という人物は、大内の最盛期を作っただけに衆道ネタ意外と面白い人物かもしれない。

「少弐より先に大友を潰す」は、一回やって懲りたらしいが、他にも違う方向で発想の転換をしてました。

名実共に北九州覇者になるために、少弐より上の官位をゲッツすればイクね?(・∀・)ピコーン★

大内が狙った地位は少弐より上、かつて平清盛が就任した太宰大弐。

家紋・少弐(少弐家紋)

官位クレクレ運動は1532年から始めてるのだが、太宰大弐は決まった公卿(細かいの失念)に与えられる官位。

通例・慣例の壁を突破するため大内は実弾莫大な献金で朝廷にプッシュ。

1534年、後奈良天皇の即位に合わせて2千貫を朝廷に寄進して、1535年に大宰大弐の叙任を申請。

帝は一度は許可したが、大内の金で顔をはたくような露骨な猟官運動が不快で、僅か一日で取り消し(爆

大内は更に誠意?を示すべく、1535年9月3日、朝廷に門の修理代とドドーンと寄進。

もう意地になってるとしか・・・(._+ )☆\(-.-メ)オイオイ

大内が少弐より上の官職になれば、少弐を神輿として担ぐ必然性が無くなります。

そうなれば譜代家臣&一門以外の被官となった国人たちはメリットの減った少弐から離れ、
たとえ子孫が残っても時の推移の中で埋没する。


織田信長・伊達政宗・島津四兄弟・・・一国を纏め新たな体制を作るには強烈な個性・異能を持つリーダーが必要です。

肥前の熊と畏れられた龍造寺隆信は、このとき数え8歳。

少弐が御家再興を繰り返してたのは、神輿として担ぐ「英雄」が肥前に不在だったのもあると思います。

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1535年12月29日、大宰府駐屯なぅの陶興房が大内義隆の命令で、少弐所領・佐賀、三根、神崎を没収するという暴挙に出た。
12月31日、少弐資元は多久・梶峰城へ亡命し、嫡男の冬尚は蒲池城へ入り小田資光を頼った。

年末に密かに引っ越しなんて、夜逃げ屋本舗か少弐くらいなものだろう。

親子二手に逃げる手際の良さは父祖代々の知恵ですな ( ゚Д゚)y─┛~~

これは大内による挑発だと言われており、挑発というなら少弐は、その屈辱に耐えました。

嵐が過ぎ去ればリベンジは可能!だってウチは太宰少弐だもん~♪(・∀・)

1536年、ついに大内義隆が太宰大弐の地位を手にし、少弐を超える。

大義名分を得た大内は「最後の詰めの一手」を仕掛けたのだが、それは・またの話 by^-^sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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