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【立花軍団・先鋒】江上表・八院合戦編8栞91


1600年10月20日早朝~朝もやの中、鍋島軍32000は五反田に本陣を置いた。

鍋島直茂から軍配を預かっている(=全軍の指揮権を与えられている)のは、直茂の親族・鍋島茂里だ。

彼は軍を12陣(ウィキペディアでは13段)に分けてシフトした。

遅刻の失点を挽回すべく必死の竜造寺茂綱は、第二陣に配置(=^・ω・^=)v ブイ

一方、対する立花側は川を挟んで反対側の八院に本陣を置いた。

両本陣の距離は約2・2km。



・鍋島軍は左上の城島中学校の方角から江上方面へ(五反田は、そのあたり)
・立花軍は真ん中の大木町役場から江上よりの八院へ(八院の地名は現代も残ってます)
・現在は地形が変化してますが、江上と八院の間に河川があったんです^-^

立花野戦軍・総大将の小野鎮幸は、この時に立花の第三陣2000名から1300名ほどを選抜。

それを5隊に分けて先鋒軍とし、残った700名は第二陣と第一陣に振り分けた。 

これが小野の常のやり方なのか、鍋島の大軍を前に改めて精鋭を先鋒に選んだのかは、分りませんでした^^;

先鋒5隊の隊長は、安東、石松、戸次(旧姓・森下)統次、他2名です。


突然、話は遡るのですが、
( ̄ko ̄)<実は立花宗茂と加藤清正は揉めたことがあるのでつ

それは天正18年(1590年)北条討伐と奥州仕置が終り、天下統一が果たされた年でした。

加藤清正の家臣で罪を犯し肥後を出奔した者がいました。

個人的にツテがあったのか、罪人は国境を越えて柳川へ逃亡し、宗茂の家臣に助けを求めた。

加藤家の罪人を匿ったのが、戸次統春(べっき むねはる)で、亡き立花道雪の実甥でした。



統春の実父は彼が2歳の時に戦死したので、彼は道雪の手許で育ちました。

性格は高潔にして仁者、武勇優れた若者で、道雪自慢の甥っ子だったのです。

当時、立花家の主君だった大友宗麟が「男子がいない立花の家督を(自慢の)甥に継がせたら?」と打診したんです。

道雪「(手塩にかけて育てた大事な)甥は、実家(戸次家)に残します」と断り、
高橋家の跡取りだった宗茂を立花のムコ養子に引き抜いたんです。

人様の嫡男をムコ養子に~・・・だなんて本来なら無理筋よ ネー(*´・д・)(・д・`*)ネー

まぁ道雪にとっては、実弟が4人も戦死しているので、実家の戸次の家督がが非常に心残りだったんです。

宗茂も統春も道雪の薫陶が行き届いた人格者なんで、家督での確執はありません。

統春は叔父の道雪亡き後も宗茂に良く仕え、数々の手柄を立てて、宗茂も彼を頼もしく思い信頼していました。

立花が柳川13万石の大名となり、全て万々歳ゎーィ♪ヽ(*´∀`)ノ になると思った矢先に起きたのが、先に挙げた加藤家罪人の逃亡騒ぎだったのです。


加藤清正イメージ画像

逃亡先が立花統春の所だと知った加藤家は、使者を遣わし罪人の引渡しを要求した。

罪人が「統春様に御迷惑はかけられません。ここまで匿ってくれただけで充分です。自首します(´・д・`)」

と言ったので、不憫に思った統春は、加藤家の使者に罪人を引き渡す代わりに条件を付けた。

統春「この通り罪人は逃亡の心配はありません。ですから捕縛して縄を打つような恥辱を与えないで下さい」

加藤家使者だが、清正の家臣にしては不心得な男だったらしい。

統春には調子良く返事をしながら、城を一歩出た途端に罪人を打ち据え縄で縛りあげてしまった。

その様子を見ていた統春は当然、怒った!「あの卑怯者め!懲らしめてくれる!」

狙い定めて弓を絞って矢を放つと、加藤家使者のチョンマゲにクリーンHIT!

髷(まげ)を結んでいる髻(もとどり)が切れ、バサッと髪が解けて落ちた!

その姿は、かわゆ~く云うと童ヘア・悪く云うと落ち武者ヘアだ,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

加藤家使者は狡い男で、主の清正に自分の卑怯な振舞は言わず「一目で分る自分の被害だけ」報告したのだ。

天正18年の頃の清正は、まだ肥後を拝領したばかりだったのと、
「九州の諸大名に舐められることが無いように」と秀吉から言い含められていた。

そのため九州の諸侯に何事につけて、わざと尊大で強調子な態度で接していた。

だから使者の報告を一切吟味せずに、統春の主である立花宗茂へクレームをねじ込んだのです。

まだ大名になったばかりで立場が弱い宗茂は窮して、清正を納得させるため統春へ切腹の処断を下した。

もちろん宗茂の本意ではない。 

宗茂は統春を助けようと、切腹の検分役に逃亡の手助けをするように言い含めていた。

だが統春は「自分のしたことで主の立場を苦しい物にしてしまった。」と自ら切腹したのです。

享年27歳。統春には子供はいなかったが、妻がいました。

統春の妻は
「窮鳥が懐に入ったら助けるのが武士ではありませんか!加藤家のやり方は、夫の名誉も主君・宗茂公の名誉も傷つけました!これでは武士の面目が立ちませぬ!」と言って夫の後を追い自害。

統春の家臣らも「このような高潔な主君には二度と仕え難し、お供仕らん」と次々自害。

合計11人の殉死者が出たΣ(´Д`;) うあ゙


立花家紋

天正18年・・・あの時は清正も宗茂も・・・そうする他は無かった・・・ショボーン..._φ(・ω・` )

それから10年・・・何しろ父の仇の島津ですら許した宗茂だ。統春の死に関して清正へ遺恨は無い。

だが道雪の甥の家が絶えるのを歎き、立花家の家老・森下釣雲のから三男を貰いうけ、統春の家名を継がせた。

それが「江上表・八院の戦い」で先鋒に選ばれた戸次三大夫統次(べっき さんだゆう むねつぐ)です^-^

鍋島の先鋒にいる竜造寺茂綱が佐賀で生きるために懸命なように、
立花の先鋒に選ばれた戸次統次にも同じく背負うものがあったのだ。

家臣11人も殉死が出るほど立花家中の誰からも愛された戸次統春・・・・・

雷神と讃えられた名将・立花道雪の実甥という「特別な家」の家督を継いだ三大夫統次は、
戦場において誰よりも勇敢でなければならなかったのだが、それは・またの話 by^-^sio

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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