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【肥前小田氏・赤熊武者無双~後篇】龍造寺、破の巻7

(*´○`)o¶~~♪もしシオが鍋島っだぁったらぁ~♪主君から禅譲は受けなぁぁ~い♪
(*´○`)o¶~~♪罰ゲームな気がっするからぁ~♪
某ゲームCMソングよりwww(ゲームはやってません)

西のゾンビ少弐か東のフェニックス小田か。

なかなか滅びない事にかけては、少弐に匹敵するのが常陸の小田氏。

小田氏は宇都宮一門、鎌倉以来の名門で関東八屋形の一つ。

少弐が数世代に亘り「滅亡⇒御家再興」をループするのと違い、
小田の場合は最後の当主・小田氏治に不死鳥パワーが凝縮。

無勝・必敗の当主としてキャラが立ちすぎww(一回くらいは勝ってたような~)
「敵が上杉謙信、鬼佐竹、太田三楽斎と、このメンツに負け続けて滅びないのが逆に凄い」
と、一部郷土史オタから熱い支持を受けている。

百姓と在地領主のタッグといえば「のぼうの城」が記憶に新しいが、
小田氏の場合も(諸要因ありだが)領民から「おらが累代のお屋形様」と慕われ続け、
小田領民は佐竹の支配を嫌って、租税を勝った佐竹でなく負けた小田氏治に治めると言うメンドクササ。
現在でも地元(土浦市)は城発掘に展覧会と、結構プッシュされてる小田氏。

そんな小田氏治の不死鳥パワーも、豊臣秀吉のモンキーマジックには通用せず改易アボン。

その常陸小田家の分家が肥前小田氏^^b

家紋・少弐(少弐家紋)

肥前小田氏が九州に来たのは、応永年間と意外に新しい。

室町幕府は三代将軍・義満の治世で、南北朝の争乱は治まったとはいえ、カオス九州には他国人が食い込む余地が残ってたらしい。

肥前小田氏は土着し、そのまま在地領主化した。

でもって土着にあたり肥前小田氏は、ゾンビ少弐の被官となった。

肥前小田の初期は実は詳しいことが判ってない、年代的に符号しない事があるのだ。

とにかく少弐御家再興ageのタイミングを上手く掴んで、土着⇒勢力拡大に成功したので、相当のヤリ手。

現在の当主は6代目・政光。前回登場した小田資光は政光の父で5代目です。

少弐被官の中では肥前の第三極として急成長した龍造寺が重きを置かれていたが、
肥前小田氏も龍造寺と同程度の勢力があったらしい。

元々土着の龍造寺と違い、まだ100年ちょいの肥前小田氏には少弐ブランドは利用価値があった。

肥前小田氏が更に飛躍拡大するためには、龍造寺がライバルであり邪魔者だからです。

肥前小田氏は「少弐を利用して龍造寺を潰そうとした」と自分は推測してます。
家紋・鍋島(鍋島家紋)

小田資光は少弐冬尚へ「家兼は大内へ内通と思われます」と述べ「水ヶ江城を攻めるべし」と勧めた。
1536年冬、少弐冬尚の許しを得ると小田は800余騎を引率し、家兼の居城・水ヶ江城へと迫った。

家兼は報告を聞くと「ならば、こちらから半途に出迎え戦うべし」と一族らを急遽動員。

水ヶ江の東・木原村で戦端を開いたが、龍造寺が負けちゃったヽ(。_゜)ノ アレレ?

勝ちに乗じた小田勢は龍造寺勢を執拗に追い立てる。

そこへ鍋島の赤熊武者100騎が突入し先手の将一人を討ち取ると、逆に小田勢が崩壊、蓮池方面へ潰走し始める。
龍造寺・鍋島勢は小田の蓮池城下まで追いすがり、首級数十を討ち取って水ヶ江城へ戻った。(=^・ω・^=)v ブイ

「龍造寺のピンチは鍋島が何とかする」が、既にテンプレ化してるんじゃ・・・(._+ )☆\(-.-メ)オイオイ

裏切り者扱いされ攻撃されたんじゃ割に合わない。当然、龍造寺は少弐と距離を置いた。

くどいようだが先に龍造寺に手袋を投げたのは、肥前小田であり、それを許した少弐冬尚です。

てことで次回は少弐氏最後の当主・少弐冬尚~それは・またの話 by^-^sio
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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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