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【西千葉と】目指す敵は、少弐冬尚!弐【老人力と】龍造寺、滅の巻7

剛忠(家兼)は水ケ江城を明け渡した後は、筑後の蒲池氏の庇護を受けていた。

筑後で息子や一族たちの悲報を聞いた剛忠(家兼)は悲嘆に暮れ憤激すると、
「100ヶ日を過ぎぬうちに馬場頼周の首を見なければ、この老命を縮めて再び本国には帰れない」
と三日間断食した。


齢90を過ぎて断食って・・・よく死ななかったな・・・( ̄ω ̄A;アセアセ

3月24日、剛忠は、筑後・蒲池氏と鍋島の助力で再起~肥前へと戻る(=^・ω・^=)v ブイ

剛忠の水ケ江城には、馬場・神代・小田の兵が交代で留守番してました。

ちょうど、小田兵が水ケ江城番だった日の事です。

剛忠が龍造寺に誼ある者を集い水ヶ江城へ向かうと、城番の小田兵は一戦にも及ばず城を明け渡した。

ちなみに城番責任者は小田資光。
馬場と一緒になって、「剛忠(家兼)が大内に寝返った」と、少弐に讒言した人物です。

家紋・竜造寺(龍造寺家紋)

4月2日、剛忠に同心した千葉胤連の軍勢が、牛頭山城に襲い掛かる。

リフォーム(城普請)現場監督(奉行)として牛頭山城で差配していた馬場頼周が、これを防戦。

そこへ千葉家臣・矢作左近将監、江原石見守が水の手から城内へ忍び入り、城に火を放った。
(水の手って、、地下水を汲み上げる為の秘密の洞窟でもあったかな?)

作事のために徴集された地元・小城領民:
あ!千葉氏の旗印!!(*ノ・ω・)ノオオオオォォォォ お帰りなさい!!!
ワシらも加勢するど~ファイトーー!( °ロ°)乂(°ロ° )イッパーーツ!!


馬場と配下の者たちは、城内に侵入した千葉兵を討ち取ろうとしたのだが、
作業中だった小城領民が鍬・鍬などの農具を持って千葉兵に加勢し、馬場らに襲い掛かった。

百姓の本気パネェ!(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル
西だろうが東だろうが、非常時には細かい事だ。
牛頭山城の主が「千葉氏」であることが、小城領民には大事なんでしょうな ( ゚Д゚)y─┛~~

少弐も馬場も小城領民に、よっぽど嫌われていたらしい( ̄ω ̄A;アセアセ

これまで命じられる側だった民衆たちの反撃にあい、馬場勢は防戦しきれず、
牛頭山城を捨て裏道から自らの居城・綾部城を目指した。

家紋・肥前千葉(肥前千葉家紋)

この戦いの中で馬場の息子・政員が、野田三河守家俊に(弓で)射殺される。

えっと~龍造寺を潰せ・壱でチラっと紹介したんですが、
馬場の息子・政員の妻、というのが剛忠(家兼)孫娘だったんです。

自分の実家と嫁ぎ先が戦になるというのは、平常運転の戦国時代ですが、
ここまで壮絶なのは多くはありません。

剛忠(家兼)が馬場へのリベンジを果たすと、孫娘は離縁(馬場家には残らないって事)され出戻った。

傷心の剛忠孫娘には、新たな嫁ぎ先が用意されます。

その相手と言うのが、千葉胤連・・・剛忠(家兼)とタッグを組んだ西千葉家当主です。

三家和合の条件として鍋島彦法師(後の直茂)が、胤連の養子となりましたが、
少弐の裏切りにより三家和合が破綻してしまいました。

龍造寺と西千葉家の、改めて関係強化~のための政略結婚でしょう。

千葉胤連は、養子の彦法師を実子同然に愛したという人柄ですので、
剛忠孫娘は政略を超えて大事にされたのでは?とスィーツに妄想してます(*´pq`)プププ

後に産まれる胤連嫡男の生母は、この剛忠孫娘なのだが、それは・またの話 by^-^sio



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非公開コメント

Re: No title

信義の基準って人それぞれではあるけど、
アフターケアなしだと、しっぺ返し率が高くなっちゃうかも^^;

No title

やはり、信義に外れる事をすると、
報いは必ず、やってくるという事でしょうか。

ヤフーと違うので、ひょっとしたら有効かも。
同日w村ポチ。
プロフィール

時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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