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【西千葉と】目指す敵は、少弐冬尚!参【老人力と】龍造寺、滅の巻8

少弐冬尚が気の毒なのは、祖父・父の御家再興の頃と違い、
大口パトロン(大友や対馬宗氏)が少弐から手を引いてしまった事だ。

その為に、それまでの拠点から牛頭山城(肥前国主のシンボル)を居城にするという様な、
他人の褌で相撲を取る的な手段を用いる羽目になる。

冬尚の不幸は馬場頼周という家臣を持ったことであり、
冬尚の幸福も馬場頼周という家臣を持ったことでもある。

なぜなら滅びゆく少弐氏の失点・失敗・汚名は、
全て馬場頼周が引き受けたからだ。

その馬場も、最期の時が来た。

家紋・少弐(少弐家紋)

牛頭山城で防戦しきれず城を落ち延びた馬場頼周。

馬場家臣の半田平右衛門が木の枝を折って道標を作っていたのだが、
馬場は黒岩という処からそれを見失い、大願寺野へ迷い出た。

その地の川上山へ逃れ入ると、そこに住んでいた寺家・社家の者らが
「此人は以前、不義の行いを致し、社内で数多の人を討ち、血を流せし神敵である(`・ω・´)キリッ」
と、馬場らに襲い掛かる。

馬場はそこも逃れ出て川へ入った頃、千葉胤連の軍勢に追い付かれ、
馬場の嫡男・政員は野田三河守家俊に弓で射殺された。

必死で逃げる馬場は社家に走り込み、土民の用意した芋釜の穴に隠れた。
だが、加茂弾正という者から穴より馬場を引き摺り出し討ち取った。

馬場悪あがき

剛忠(家兼)は、馬場頼周と政員親子の首級を、北佐嘉へ向かう途上の坪上という地で検分した。

野田石見守(政員を討った人物とは別)は剛忠へ、
「馬場頼周は御一門の首を踏み付けたので、我らも彼奴等の首を水ヶ江の城門の下に埋め、出入りの者に踏ませるべし」と述べたが、

剛忠は首を振り
「それは狂人を真似る不狂人であり、左様な情けなき事は努々あるべからず
」と返し、二人の首を懇ろに弔わせた。

同月、筑前に亡命していた村中宗家・胤栄も、大内勢の助力を得て村中城を取り戻した。

剛忠は、「近年不運にして子孫悉く不慮の害に遭う。是に於いて善根を以って万部に満たせたし」
(天文7年より行わせていた法華経万部の修読が九千部あったのが、この年千部を修業し、合計一万部成就となった)

同年11月に城内に造らせた仮道場にて、毎日自ら焼香礼拝すると共に、
布施も長老には貨幣50貫ずつ、平僧には10貫ずつとし、
更に大衆の為に休息所100間・饗応所30間を設け、兼ねてより蓄えていた財物を悉く蔵から出し、
町の辻々に高札を立てて貧民に施し、領民に貸していた金や米を悉く免除(徳政)を行った。

人物・剛忠小(剛忠(家兼)イメージ)

一方、牛頭山城を攻撃した千葉胤連だが、小城領民の加勢もあって城を落とす。

1491年に東千葉氏に奪われた牛頭山城を取戻し、長年の悲願を達成した。

東千葉当主・千葉胤頼(少弐冬尚実弟)は、
それまで西千葉が入っていた晴気城に入る。

西千葉は、少弐と同盟関係の頃は、なかなか東千葉に勝てなかったのだが、
皮肉なことに少弐に裏切られてリベンジしたら、牛頭山城を取り戻した,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

リベンジは成功した・・・だが、それで龍造寺が失った人的被害が戻るわけではない。

そして、、、龍造寺の中心人物だった剛忠(家兼)の死が近づこうとしていた。

龍造寺の真のピンチは、これからなのだが、それは・またの話 by^-^sio
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Re: No title

了解です^^

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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