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【肥後の名門、菊池義武の最期・終】相良氏、戦国名君編17

謀反で揉めた叔父を偽りの和睦案で誘き寄せて始末する。

それは、かつて相良晴広の義父が用いた手法だ。

大友義鎮の和睦案を承諾し豊後へ帰参する。
という菊池義武の言葉を聞いた時に、相良晴広の脳内には「罠」と浮かんだ事だろう。

だからといって義武の行動を止めなきゃならない理由も確証も晴広にあるわけじゃない。

罠かどうかは、豊後へ行けば解る。
義武が生き残れるかどうか、後は本人の天運次第なのだ。


相良晴広は戦国人らしく、自分の胸中と折り合いをつけたに違いなく、
相良が義武に対し「親切心」を発揮したのは、義武の天運に対し同情した後からだろう。

何故なら、死んでも生きても八代を出さえすれば、
菊池義武は相良家にとり人畜無害な存在になるからです。

家紋・相良(相良家紋ロゴ)

菊池義武(入道して道誾)が、甥である大友義鎮(後の宗麟)の和睦案を受け入れる気持ちになったのは、
流浪生活への疲れもあっただろう。

が、同年8月に大友義鎮が肥後守護職に就任した事で、何より心が折れたのではないだろうか。

肥後守護職「だった」というのは、義武再起の拠り所だったはずですから。。。ショボーン..._φ(・ω・` )

八代日記には義鎮就任後においても義武の事を時折、
「屋形さま(国主・守護職に対する特別な呼称)」と記載しています。

大友義鎮が肥後守護職になるって事は、室町幕府体制における形式では相良家の主君になるって事です。

アンビリーバボー~相良家の南肥後三郡は既に大友から独立した存在です。
今さら肥後守護職になるのは大友の勝手で、相良は自分の主君だなんて考えてもいないはず。

そのあたりのムカつきが、義武をあえて「屋形さま」と書いているように感じました。
(だって書いてる当時は日記だから、誰かに読まれるのは想定してないもん)
(もしくは義鎮就任後でも、相良家中では義武を「屋形さま」と呼んでた可能性大)

1554年(天文23)11月3日、屋形さまニ豊州ヨリ被遣候河尻知行として、屋形御人数河尻ニ行候

場所がイマイチ不明なんですが、とにかく大友から河尻って土地が与えられる事になり、
菊池側から家臣が先行したようです。

同3日「屋形御料人さま、晴廣さまノ大方ニ御申請候、一夜御ままり(「とまり」か?)候、大方様ヨリ御料人さまへ御きせ候分、したてきる物一、うす板二ツ、其外ニ一ツ、以上四、又鳥目十二貫ハあくる日ニ御持候、大方ヨリ御女房衆両人御礼ニ参候」

大方というのは相良晴広正室の内城の事と思われます。
義武の妻と交流があったようで、出発前の支度を用立てたみたいです。

ですが、結局は義武の妻は豊後行きに同行しませんでした。

実は大友と相良の間で「引き渡せ」「(´・д・`)ヤダ」の使者往来が頻繁だった事で、
「戦になるんじゃ・・・(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル」って噂が立ってたんです。

その噂を慮った義武の方で、自分の妻と二男則直を相良家へ託し、自身と嫡男を伴い出立しました。

家紋・大友(大友家紋ロゴ)

同月7日「道誾さま上国ノ御かといて、妙見ニ御参候て、それより成願寺に御出候、さやうニ候て、又 天福寺ニ御出候て、十五日壬子豊州のことく御行候、晴廣さま・頼興さまハ成願寺ノ前ニテ御暇乞候、御料人さま同前ニ豊州ニ御登候」

相良晴広と実父・上村頼興が7日の成願寺参詣において、義武と最期の別れをしています。

「暇乞い」って記述があるので、相良家では義武に対し最後まで家臣の礼を持って接していたようです。

落ち目の菊池義武にとって、相良家での処遇は晩年のささやかな慰めだったでしょう(´;ω;`)ウッ

義武と嫡男が大友の軍勢に取り囲まれ自害したのは、僅か5日後の20日です。

相良家が知ったのは大友家から使者が来た12月5日。
「豊州ヨリ飛脚 八代ニ被遣候、道誾さま御生害、(大友)義鎮さま御存知なきよし候」

大友義鎮は義武自害には関与してなかったんや~~~ぇえ!(゚ロ゚屮)屮
と相良へ伝えてますが、ちょっと信じられないなぁ~~^^;

冒頭の前歴がある相良家なら、なおさら信じられなかったと思うが、そこは外交なんで突っ込みません。

相良に預けられた義武次男ですが、御家再興を願ったものの当然果たされるわけもなく( ̄ω ̄A;アセアセ
そのまま相良家臣となり晴広の孫である頼房の頃には、相良家重臣として菊池家は残りました。

政治的亡命者や捕虜など、預かった以上は最後まで面倒を見る。
それもまた戦国大名の度量の一つです^-^
この信義があるからこそ、家臣&配下国人が自家の命運を預けて戦ってくれる。

だから菊池義武を大友に引き渡さない、
という態度は相良家が戦国大名である為に譲れない一線だったんです。

さて大友は大友で、肥後支配は長年の宿願だったのだが、それは・またの話 by^-^sio
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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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