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【神代勝利・夢を買う男・後編】肥前の熊「誕」の巻2

新次郎(勝利)クンは、次男ですが生まれながらの嫡子「候補」です。
何故なら生母が婿に入った陣内家の娘だから。

新次郎の兄は利之。
パパ神代が筑後時代に儲けた子だったのですが、幼い頃に病で片目が不自由となったために相続者としては不適当では。。。というのがパパ神代の密かな悩みでした。
兄・利之は、新次郎が成長するまでの繋ぎの嫡子だったようです。

新次郎が産まれた2年後、1513年(永正10)には新次郎の弟が産まれてます。


1525年(大永5)3月、15歳となった新次郎クンの教育に悩んだ神代家が、千葉家武術指南役・奥常之に弟子入りさせた。
新次郎は入門して二か月で頭角を現し、師匠の奥常之は新次郎の才能に舌を巻いた。
1529年(大永9)、「もはや教える事なし」と師匠は神代に免許皆伝、独立する事を許した。

人物・くましろん~(神代勝利イメージ画像)

その新次郎が千葉家臣・奥常之の元で剣術修行中の頃の話だ。

或る朝、一緒の部屋で起居していた江原石見守という朋輩に、
「自分の体が次第に大きくなり、遂には北山(山内の中世以降の別称)を枕に、南の有明海に足を浸す程になった。これは吉夢か、それとも凶夢だろうか」と問われる。


勝利はこの夢が大大吉と悟り、これを我がものにしようと、
「頭を北枕にするとは悪夢の最たるものだが、これを人に売れば却って吉夢に転じると聞いている。自分がその夢を買い取り、貴公の災難を引き受けよう」と述べ、
持ち合わせていた金の笄(こうがい)を与えて買い取ったという。

笄(ウィキペディア)
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4AURU_jaJP499JP499&q=%e7%ac%84

故郷に戻った新次郎は金立町に剣術道場を開き、千布家の剣術を指南するまでに成長した。

新次郎18歳の時、神代家では改めて家督の事が協議された。
異母兄・利之は「自分は身体が不自由で総領として適当ではありません。幸いにして新次郎が立派に成長したので、これに譲りたくありますm(__)m)」と自ら身を引いた。

なんとなくなんですけど。。。
パパ神代が相続から外れる長子を気遣い「自ら身を引く」という花道を設けた気がします。。ショボーン..._φ(・ω・` )
神代一族家臣に否やはありません。
そのために他国で修業させて新次郎クンに箔をつけたんでつ。

1529年(享禄5)5月、新次郎は神代家51代目当主となり名を刑部少輔勝利と改めた。

儀式当日、住吉神社に神代一族家臣、千布氏が臨席するなか、雅楽奉納や献幣が盛大に執り行われ、兄・利之が新次郎の次席へと着座し、新次郎は候補から正式に神代家総領となった。

そして千布氏の娘を娶って、遂には野田宗利らの推挙により山内26ヶ山の頭領となった。
(神代勝利が剣術指南する弟子の中に、山内は神埼郡三瀬の城主である野田宗利がいた。)

山内26ヶ山とは、神埼の”三瀬・藤原(ふじのばる)・久保・腹巻・鹿路(ろくろ)・広滝・杠(ゆずりは)”、佐嘉の”関屋・名尾・松瀬(まつぜ)・小副川・畑瀬・菖蒲・梅野”、小城の”合瀬(あうぜ)・藤瀬・古場(こば)・無津呂・大野・摩那古(まなご)・古湯・大串・栗並・波多瀬・杉・市ノ川から成っている。

勝利は、三瀬・松瀬・杠(以上で三人衆)と、菖蒲・畑瀬(以上で五人衆)、藤原・栗並(以上で七人衆)と主従の契りを結び、三瀬に本城を置くと、下小副川の谷田(たんだ)や熊川などに出城を築き、後に肥前以外に筑前の那珂・怡土(いど)・早良三郡内にも所領を有するようになる。

なお、千布氏の家督は勝利の2歳違いの弟が家督を継いだ(千布頃幡守宗利)

神代勝利が家督を継いだ1529年。
まさにその年に肥前の熊・龍造寺隆信が生を受け産声を上げたのだが、それは・またの話 by^-^sio
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Re: No title

> 昔は、身体が弱いとそれだけで、不当な扱いを受けたんですね。
>
> それにしても、新次郎さん、剣豪で大名とはすごい。W村ポチ。

ん~~不当と言うか、一族郎党を率いる当主ですから^^;
現代だって、会社社長が病気入院すると株価が下ったり、銀行が貸し渋ったりするでしょう?
それと同じだと思います。

No title

昔は、身体が弱いとそれだけで、不当な扱いを受けたんですね。

それにしても、新次郎さん、剣豪で大名とはすごい。W村ポチ。

Re: 驚

恐れ入ります。川* ̄д ̄*川ポッ 

先だって話した佐賀ブロガーK様から教えてもらったサイトにありました。
佐賀地域文化財ベースサイトだから、何がしかの史料が典拠となってると思います。

勝利が次男でありながら嫡子(予定)となったのが、剣術修行の理由だったみたいです。
武将として文句のつけようがない教養・素養と、何より壮健であるのを内外に示す必要があったんでしょう。
(兄擁立派もいたか?)
でも当時の武術修行って・・・竹刀じゃなくて堅い木刀・・・(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル

勝利の武将としての人生は、自己を演出する事からスタートしました。
「兄から神代家を託された」って言うのが勝利の人格形成に影響したんじゃないかなぁ~
と想像してます^-^

勝利の兄の経緯や勝利の師匠など、よく調べられましたね。(゜▽゜)
私の二次史料には一切なかったので勉強になります。
プロフィール

時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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