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【(肥前へ)いつ帰るのか、今でしょ!】龍造寺隆信「叛」の巻5

1551年に起きた「大寧寺の変」、陶隆房の謀反により大内義隆が自害。
大内義隆の後ろ盾を得ていた龍造寺隆信は、少弐・大友と組んだ「隆信排斥派」により肥前を追われる身となった。
幸い、先年に剛忠(家兼)ジーちゃんを助けてくれた筑後・蒲池氏が再び隆信をヘルプ。
ジーちゃんの居候先・筑後一ツ木(現・大川市)に、隆信一行も居候する事となる。

それから足掛け3年・・・豪胆な隆信も焦ってきました( ̄ω ̄A;アセアセ
1552年に船で戻ろうとしたけど暴風で有馬エリアまで迷い込んで失敗。
それだけじゃなく、有馬が西千葉領を狙って動いた事にも、焦りを感じたんだと思います。


1553年、隆信は蟄居先に老臣を集めると発言。
「斯様に月日重ね既に三ヶ年に及び、他国にありて恥を晒したるも甲斐なし。
ここは是非とも当家恩顧の者共を語らい、肥前に討ち入りて敵と雌雄決し、敵わざれば腹を切らんと思い定めた。
御主らは如何思うや?」

超カンタンに意訳すると「(肥前へ)いつ帰るのか、今でしょ!」ですな( ゚Д゚)y─┛~~

これに石井兼清が答えた
「斯様流浪の身と罷りなりて年月を送らん事、まことに口惜しき次第にて候。
されば、興賀郷、川副郷の者共は予てより当家に二心無き者らにて候。」中でも古賀民部丞は、その父・越後の頃より剛忠公の御計らいにて鹿子村の庄官なれば、その御恩忘れず、昨年も忠心を現しましたれば、御帰国の偽は彼の者に御下しなさるべきやと・・・」


一同、賛同すると、隆信と長信(隆信弟)から、それぞれ家臣を古賀の元へ派遣した。
彼等は、「川副郷は鹿子木天満宮での連歌の会」という名目で人数を集め内談ました。

メンツは古賀民部の他、村岡興三左衛門、徳久主馬允、久米長門守、副島右兵衛門允です。
肥前の5人は、周辺の百姓ら呼びかけ、更に与賀&川副の志ある武士を募った。

「兵急募!やる気のある方だけ大歓迎!次男三男は自立のチャンス!ただし事が成るまで秘密厳守の事!委細面談にて」
てな感じ?,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

地図・東肥前

1553年7月25日に都合3000余人が兵船を揃え、筑後の隆信を迎えに参上(=^・ω・^=)v ブイ
【主な内訳】
鹿江兼明、その子・南里左衛門大夫、鹿江久明、南里左馬大夫、南里治部少輔の1000余人。
石井和泉守、弟・三河守、同石見守、内田美作守、久布白又右衛門、横尾刑部少輔、立河讃岐守、堀江筑前守、堀江右衛門大夫、副島民部少輔、飯盛備前守、石丸備後守らなど。

勢ぞろいの迎えを見た居候先・宿主の原野十郎、ゴシゴシ(-_\)(/_-)三( ゚Д゚) ス、スゲー!ー
(これは便乗すべき(`・ω・´)キリッ)と三人の子の内、次男・左馬介、三男・権兵衛を隆信へ付属させた。

また、蒲池鑑盛もこれを喜び、見舞にと渡辺上総守、横田大膳亮、萩原志摩守に200余騎を付けて、隆信勢へと付属させた。
※蒲池氏は本来は大友配下の武将です。隆信の敵は少弐&大友の支援を受けています。
ですから、この援軍は蒲池の純然たる好意でした(*´ー`)イイ人ダナ~

隆信は鹿江崎に着船、乾(犬井)堂を過ぎ7月27日に威徳寺に入り旗を掲げた。

北肥戦誌には乾堂とありますが、犬井堂が正解です
鹿江崎&犬井堂の位置データ:佐賀県佐賀市川副町大字犬井道
元々は犬井堂だったのが、犬井道に変化したそうな。

威徳寺位置データ:佐賀県佐賀市川副町大字鹿江784
もともとは松浦48党の一つ、御厨一族の菩提寺でした。
現在は佐賀市高伝寺の末寺ですが、末寺になった由来や時期は不明です。

位置データを辿ると、まず一ツ木の対岸にある川副に行き、それから隣の与賀へ移動したんです^-^

家紋・竜造寺 龍造寺家紋ロゴ

福地長門が先達て興(与)賀船津に上がり、村岡藤七兵衛の居宅に篝火を立てれば、古賀民部ら5人が率いた者共が此れに馳せ集まる。

ありゃりゃ、過去記事で船津は川副って書いたけど、与賀郷だったようです^^;
船津。。。河口港かと思ったが河川港かも^^;
八田江川の河口or河川港で、八田江川は川副と飯盛城の間にある川です。
佐賀は河川多過ぎ~~ちょっとこれ以上は地図に盛り込むのはパス^^;

隆信勢は4-5000余騎にまで膨れ上がり、隆信は実久村の潮音寺に陣を布いた。

潮音寺位置データ:佐賀県佐賀市東与賀町鍛冶屋(戦国当時は実久村)
ここは跡です現在の潮音寺とは別ね^^b
戦後の農地解放で曾て勢威を誇った面影は残ってません( ̄ω ̄A;アセアセ
現在は一宇の御堂と墓があるだけだそうですが、隆信の陣屋跡はあるみたい~誰か知ってる?


続き
そこ(潮音寺)で軍議を行ったが結論が出ず、付近の若宮八幡宮で神託を仰ぐと、「戦は速やか用いよ」とあった為、軍勢は実久村を発って西小路へ打ち入る。
西小路は判らなかったil||li _| ̄|○ il||l

いよいよ決戦~隆信は無事に城を取り戻せるか、それは・またの話 by^-^sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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