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【とある佐賀藩士の系図】龍造寺隆信「叛」の巻9

叛の巻・・・一度終わったんですが、自分の中で若干の疑問がありました。

それは>「隆信排斥派首謀者・土橋栄益の一族は連座で処罰を受けなかったのだろうか?」です。

そもそも土橋のしたことは一種のクーデターですから、一族が全く無関係だったのかも疑わしい。
一般的には妻子も処刑されたり、そこまでいかずとも追放されたりするのですが、そのような記述が少なくとも北肥戦誌にはありません。

未消化のまま、個人的に色々あった叛の巻を閉じたのですが、ひょんなことから一つ(一枚)の史料提供を受けました。
それは、とある佐賀藩士の記録です。

石丸氏略系図(一部省略)
龍造寺豊前守胤家公御末
石丸備後守
  出生年月日不詳
  文禄元壬辰11月6日卒行年不詳
  御城下葬本行寺
  法名 常秀
 妻 土橋加賀守娘
 文禄三申牛6月2日卒行年不詳寺同前
 
※出典元「佐賀県立図書館所蔵、佐賀藩士の系図」

これ見ただけでピンと来た人は、シオクラスの肥前戦国通(=^・ω・^=)v ブイ

斬首された土橋栄益・・・・北肥戦誌に記された彼の通称は、土橋加賀・・・( ゚д゚)!
文禄元年に死亡した石丸備後守の妻は、高い確率で土橋栄益の娘である可能性あり。
土橋栄益の娘でなくとも土橋一族なのは間違いありません。

では夫の石丸備後守とは何者なのか。
胤家公御末の御末とは子孫を差します。
石丸備後守こそ、龍造寺14代目胤家公の曾孫・龍造寺備後守鎮家、その人です!

家系図・龍造寺系図①

系図黒ライン・胤家系は真・龍造寺嫡流(`・ω・´)キリッ

14代目胤家は少弐と大内の争いの巻き添えで、当主でありながら出奔(亡命)を余儀なくされました。
隠居してた13代目康家パパンが急きょ現役復帰。
次男の家和を当主にしたんです。

龍造寺隆信が継いだのは家和系龍造寺です。
男系が絶えた家和系龍造寺と違い、胤家系は系図にあるように男系がシッカと続いていました。
ですが、おそらくは相続の筋目を違えないためでしょう。
胤家系が当主として復活する事はありませんでした (゜-Å) ホロリ

話戻って、龍造寺隆信は剛忠(家兼)の曾孫。
龍造寺鎮家(石丸備後守)は、剛忠(家兼)の長兄・胤家の曾孫。
系譜上の関係から推測するに、二人の年齢は極端に離れてはいなかったと思います。

てことは、土橋クーデターの折には、龍造寺鎮家(石丸備後守)に土橋加賀守(栄益?)の娘は既に嫁いでいたはず。

ここで重要になるのは、龍造寺内部の勢力関係。
分家だった隆信の水ケ江家より、宗家の村中龍造寺の方が大所帯だったって事です。
ましてや隆信は少弐の陰謀で祖父・父・叔父・従兄という係累を一気に失ってます。

鍋島信昌(後の直茂)も隆信の弟も、やっとこさ初陣デヴューという若さ。
あきらかに水ケ江の方が人材不足な件~(-ω-;)ウーン


隆信前半生の龍造寺一門筆頭は、龍造寺家親。
龍造寺嫡流胤家系にして、龍造寺鎮家(石丸備後守)の実叔父です。

家紋・竜造寺 龍造寺家紋ロゴ

五ヶ国御領地之節配分帳には、土橋姓の者が領地を安堵されています。
土橋一族は、龍造寺嫡流胤家系の縁戚として、その保護下にあったのではないでしょうか?
だから連座で処断される事なく、家名も残ったんだと思います。

リベンジ復活を果たしたばかりの隆信では、胤家系龍造寺一門を敵に回すことなど、到底出来なかったでしょう。
胤家系は「世が世であれば、龍造寺当主だった!」というガチ嫡流なんです。
分家の身で龍造寺総領になった隆信にすれば、胤家系には遠慮・配慮もあったと思います。

胤家系龍造寺の運命が変化するのは、おそらく「沖田畷の戦い」です。
一門筆頭だった家親の息子たちも・・・出陣してるでつ。。。。ショボーン..._φ(・ω・` )

石丸備後守が卒去した文禄元年は、朝鮮との戦「文禄の役」が始まった年です。
同年3月頃から諸将は朝鮮へと渡海しています。
石丸備後守が、留守居か遠征に同行したか「略」系図なんで不明^^;
龍造寺一門が鍋島直茂に従うようになったのは(一般的には)朝鮮の役ころから・・と言われてます。

本行寺にある14代目胤家の墓の隣には、石丸家の墓が寄り添うように並んでいます。
改姓のソースは墓に刻まれた脇書。

龍造寺鎮家が、改姓した時期はシオレベルでは判りません。
が、佐賀藩独特「大人の事情」であるのは間違いないでしょう。

龍造寺鎮家は、世が世なら正当嫡流御末。
鍋島家だけでなく、隆信係累である龍造寺四家にも、遠慮があったかもです。

龍造寺姓を捨て、石丸という姓を、どんな由来で決めたのかと、激しく好奇心は揺さぶられます。
が、部外者が立ち入っては行けないデリケートな領域という思いもあります。

様々な人の、様々な事情を呑み込み、肥前佐賀藩は成立しました。
それが内乱が起きる事無く、ほぼ無血で為し得たのは、やはり一つの奇跡だと思うのです。
龍造寺と鍋島、どちらか片方ではなく、天秤の重しの如く両方いたからこそなのだと。

末筆ですが、データ提供者様には心より御礼申し上げます。
これにて「叛」の巻、完結とさせて頂きます^-^ 
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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