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【ノーヤ節、山内の英雄~神代勝利・五】龍造寺隆信「連」の巻8

翌1555年2月、隆信は神代勝利へ談合と饗応を申し出た。

前年の加冠役の話が、地名以外はイマイチ曖昧^^;

ただ後から思い出したが、信周は庶子・隆信の異母弟。
そのため末弟の長信(隆信と同腹弟)より地位が低かったというから、元服が遅いのもありかな~と思ったりする。

とにかく北肥戦誌ベースだと、龍造寺隆信と神代勝利が直接会ったのは、この饗応の時という事になる。

左・くましろん/右・くま~
監修様提供イメージ画像~左が神代勝利・右が龍造寺隆信

場所は多布施・・・現:佐賀県佐賀市多布施で、龍造寺の村中城から1km弱の土地。
多布施から600mほど東にあるのが、前年に神代が祝儀にと割譲した領地・大財と愛敬島がある。

おそらく多布施が神代・龍造寺双方の軍事緩衝地帯だったのだろう。
ちなみに宴会式場は、多布施にあった豪族の館だそうだが。。。。。その豪族は戦国を生き残れたかなぁ^^;

神代は江原石見守・福島伊賀守阿含坊という大剛の者らを選りすぐり召し連れて、多布施に赴いた。

これが「ドラマ:信長のシェフ」なら、タイムスリップした平成の料理人が魅せる華麗な包丁さばきに、
「ぅお~これは!*@?※~~(゚ロ゚屮)屮」と神代勝利が改心?して、龍造寺に信義を誓うクライマックスシーン。

だが「北肥戦誌:龍造寺のシェフ(家人)」は、神代勝利を毒殺しようとしたらしい。
隆信の指示か、家人の独断かまでは記載されていない。

何せ神代は剣術師範で、門弟500人の道場主だった経歴の持ち主。
事前に危難を察知し上手く躱したのだろう。
何事もなく談合と饗応は終わった・・・・が、ちょっとしたハプニングが起きた。




神代勝利は馳走になった後、帰り際、いきなり隆信の愛馬に飛び乗った。
(*・▲・)「!?」呆気に取られる隆信らに対し、
神代(*´○`)o¶~~♪「おどま山からじゃっけんノーヤ、お言葉も知らぬヨウ。あとで、ご評判なたのみます」
と、即興で歌を歌い、従者らと意気揚々と引き上げた。

毒殺だろうが謀殺だろうが、神代を討つには絶好のチャンスだった。
が、想定外・破天荒な神代勝利の行動に、龍造寺側は完全に毒気を抜かれ、何とはなしに神代を見送る羽目になってしまった。

神代の豪胆な行動は、山内中に拡がって大評判♪「さすがワシらの総領♪ヽ(*´∀`)ノ」となり、
勝利の即興歌は「ノーヤ節」と呼ばれ、三瀬地方の酒宴ではこれが出ないと座が賑わわないとまでいわれたそうです。
(ただし、平成現代では歌える人はいなくなり、伝承が途切れてますil||li _| ̄|○ il||l)

家紋・竜造寺 龍造寺家紋ロゴ

自己演出の豊かさは、神代氏のカラーだと思います。
その匂いは神代勝利の父からも感じます。
それが最も開花したのが、山内の英雄・神代勝利です。

英雄とは、歴史と言う万人が目にする舞台における、主役で演出家で脚本家で特殊効果で総監督なんです。

そして隆信と神代勝利は、違うタイプの英雄。

隆信の豪胆さは、苦しい状況でも苦しい素振りを露ほども見せない克己心・自制心から来る、いかにも修行を積んだ僧侶らしさを感じます。

神代勝利の豪胆さは「誰かに見られているのを常に意識して、豪胆な行動を見せている」だから外連味た~~ぷり。
類例をあげるなら衆人環視の中、単身で敵城へ乗りこむ豊臣秀吉と似ています。

秀吉タイプの英雄は、好き嫌いがハッキリ別れる。
個人的な印象ですが、龍造寺隆信にとって神代勝利の派手な自己演出は、生理的にキャパ限界な気がするんです。

神代は神代で毒殺は口実で、わざと隆信を怒らせるような事をした気がしないでもない^^;
ちなみに隆信の愛馬の後日談は北肥戦誌には無い,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

とにかく両家の和睦は手切れとなったのだが、それは・またの話 by^-^sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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