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秋月種実10【秋月・・・始まりの復活・前篇】

九州戦国史を時系列で辿りつつ記事にする・・・という壮大な企画で進めている当ブログ。
肥前&肥後&筑前戦国史の三本立てで、今回は筑前戦国史における台風の目・秋月種実編を新章にて再開~ゎーィ♪ヽ(*´∀`)ノ←大蔵系氏族ファン

出典:北肥戦誌、秋月家譜(生年月日が諸説ある場合はウィキペディアに準拠)

秋月種実の父・文種は秋月家譜だと名前が種方となっている。
んで、ウィキペディアだと種実の幼名は黒法師なのだが、秋月家譜だと黒帽子なんです。
実の所、この「不思議の国のアリス」に出て来そうな、一風変わった幼名にDQNネーム?キラキラネーム系?
と、多少戸惑いつつも個人的趣味(爆)で、種実の幼名は「黒帽子」を採択しました(=^・ω・^=)v ブイ



パパ文種は、少弐の一門である筑紫氏と組んで、大友支配から自立しようと謀反して失敗、自害した。
これが1557年のことだ。

大友の秋月討伐に便乗した龍造寺隆信が、寝返って神代勝利(少弐サイド国人)に与した川副衆・鹿江を始末したのが、龍造寺隆信「連」の巻のくだりになります。

秋月は当主・文種と嫡男・春種が死に、本城・古処山城も落城。
家臣はちりぢりバラバラで、これ以上はないっていう没落ぶりで、没落というより一度滅亡したと言えちゃうレベル。
次男の黒帽子(種実)が脱出し、毛利元就の庇護下に入った。
パパ文種には黒帽子に下にも男子がいたが、毛利に預けられたのは黒帽子(種実)だけだったらしい。

僧高韵、ヒソカニ孤ヲ以テ逃レ、周防ニ赴キ、毛利ニ倚ル。
孤ハ即チ種実ナリ。幼名ハ黒帽子トイウ。ソノ周防ニ逃ルルヤ、年僅カ十三。
土豪内田壱岐、力ヲ尽シテ之ヲ奉ジ、タメニ新居ヲ営ム
(出典:秋月家譜)


「孤」というのは一人という意味なので、下の弟たちは違う寺か家臣が預かったかもです。
家譜では年13歳とありますが、ウィキペディアの生年だと9歳で、本記事では9歳説を採択してます。

内田壱岐は黒帽子(種実)が毛利の保護下にある頃からの家臣で、
黒帽子を迎え入れるための居宅を用意したんです。
内田壱岐・内田善兵衛実久は兄弟とされていますが、『本藩実録』では改名した同一人物ではないか?とも言われています。

内田が居宅を用意したのが1558年で、毛利元就の方からは黒帽子(種実)八十貫(800石)の地を与えられました。
まだ元服前(だと思う)ですが、領地(知行?)を拝領したことで、黒帽子(種実)は毛利配下の国人になったと言えます。

家紋・秋月 秋月家紋ロゴ

ちなみに1558年2月28日、弘治から永禄に改元
同4月20日島津貴久が蒲生氏を降し、大隅を統一する。
同年に秋月種実の宿敵・大友宗麟に嫡男・義統が誕生する。
あと、相良義陽の婚儀を延期させた彗星が出現したのも、この年だ。

一方、秋月旧領に残った深江美濃守が御家再興のために、旧臣たちと下準備をしていた。
だが、その動きを大友に察知され、やむなく深江は疑いを解くべく自身の息子を人質に出したそうだ。

1559年元旦、秋月が御家再興の幟を揚げたのだが、それは・またの話 by^-^sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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