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【決戦!金鋪(鉄布で名尾)峠・中篇】龍造寺隆信「覇」の巻13

シオが1558年における龍造寺VS神代に拘る理由は、この戦いが肥前において初めて鉄砲が使用された戦だからです。
使ったのは神代勝利サイド。
神代が鉄砲を入手したのを、龍造寺隆信は多分、まだ知らない。

人物・くましろん~ 神代勝利イメージ画像

「決着を付けたい」は小河信安・龍造寺隆信だけでなく、神代勝利も一緒だった。

三瀬村誌によると、神代勝利は自分一手で片を付けるつもりだったらしい。
兵3000を勝利・1700と、嫡男の長良・1300に分けるのは、まだいい。

勝利は嫡男・長良に対し、
「ワシの手勢だけでケリを付けるので、我が本陣が崩れぬうちは動くな(`・ω・´)意訳キリッ」と厳命してました。
そして
「我が本陣が崩れたor佐賀勢が敗れたら、その時の状況で判断して行動せよ(`・ω・´)意訳キリッ」と伝えています。

てか勝利の本陣が崩れた場合って、勝利本人が討死してるかもなわけで、勝利は万が一の場合は嫡男の長良を逃がそうとしたんだと思います。
と、同時に軍勢を分けて兵を分散したのは、勝利が自分自身を囮にしたんじゃないでしょうか。
もちろんそれは、龍造寺隆信本人を山内へ引き寄せる為・・・です。

敵大将が自ら敵地に赴く千載一遇のチャンスは滅多にある事じゃないのを、敵である神代勝利の方が隆信よりも判ってたのでしょう。
北肥戦誌にも三瀬村誌にも、隆信が率いていた兵数は記されてません。
でも神代勝利・長良親子の3000よりは多かったんじゃないでしょうか。

先陣である小河信安と神代勝利が一騎打ちした場所は、北肥戦誌には鉄布峠と思いっ切り適当な漢字・・・ゲホグホ
とにかく、そこは金鋪峠と呼ばれ現代の夜景スポット名尾峠の事です^-^

地図・名尾峠

神代勝利が初めに布陣したのは大和町松瀬の三反田。
動くなと言われ長良が布陣したのは名尾峠へ通じる入り口です。
名尾峠そのものは一騎打ちシーンにあるように、周りは崖が聳え立ち、道は一騎分しか通れないような間道だったようです。

勝利のいた三反田から名尾峠まで直線距離で3km弱。
小河がいた春日山・甘南備城から名尾峠まで、同じく直線距離で2km弱。
おそらく移動には互いに一時間かかったか、かからないかだったでしょう。

でもって一騎打ちして敗れた小河信安(先陣大将だよ~ん)が討たれた。
信安不在に気付いた小河勢がやってくるが、信安討ち死にを知ると、信安の嫡子・豊前守を先頭に次々と山内勢に駆け入り討ち死にしていった。(北肥戦誌より抜粋)

小河家は嫡男も家臣も全員脳筋なのか(@@)
何で後続の佐賀勢本隊到着を待たないんだ?!Σ(´Д`;)

いえ、、、、
それだけ忠義・信義に篤い小河信安が慕われていたのでしょう・・・ショボーン..._φ(・ω・` )

そのうち後陣の佐嘉勢も続き鉄布(名尾)峠に馳せ登る。
勝利はこれに打ち掛かり、佐嘉勢も鬨を上げ乱戦となる。


北肥戦誌には「馳せ登る」と勢い良く書かれてますが、実際の龍造寺勢は峠の南側をよじ登って来たんです。
そして乱戦とありますが、場所は馬で一騎分しか通れない間道です。
華々しく兵を展開するなんて望むべくもなく、個々の技能に頼る白兵戦でした。

戦は地の利を得た方が有利です。
特に狭い間道で戦う山岳地帯での戦では、上から攻撃する側が圧倒的に有利。

龍造寺勢が峠の南側をよじ登る、まさのにその時!
神代側から龍造寺勢の頭上めがけて鉄砲が撃ちかけられたのだが、それは・またの話 by^-^sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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