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【考察2~神代勝利、戦国大名化計画IF8】龍造寺隆信「覇」の巻22

この半年間、神代勝利に関わる地名は、片っ端から検索かけて位置データを補足してました。
それで気づいたんですが、神代勝利には「とある必勝パターン」があるんです。


それは常識の真逆・・・「ワザと兵数を減らし本陣の守りを薄くする」です。
もちろん、この作戦は山内という山岳地帯でしか使えません。
平野部で、こんな事したら普通に囲まれて討ち取られます( ̄ω ̄A;アセアセ

山岳地帯である山内では大軍よりも小部隊の方がフットワーク効きます。
いくら大軍を擁し騎馬武者を揃えたところで、林野や山の中、峠などでは馬の機動性は全く使えないですから。
それと神代勝利が剣術という個人的武技の達人だった経歴が、こうした奇策を思いつかせたんだと思うんです。

普通、一番守りが固いのが大将がいる本陣です。
でも神代勝利はワザと兵を割いたり、小田部戦の時は本陣が先陣の1/10で、本陣が伏兵になるという奇策を用いてます。

奇策の目的は一つ。敵軍を山内の奥深くに誘い込む為!(`・ω・´)キリッ
これに完璧に釣られたのが龍造寺隆信でした^^;

人物・くましろん~ 神代勝利イメージ画像

金鋪(名尾)峠の決戦前に神代は3000あった兵力を、自分1700と嫡男1300に分けました。
でもって嫡男1300を名尾峠東側入口で「待機」させてます。

神代嫡男1300は、龍造寺勢が入った場所と反対側にいて、なおかつ「待機命令」により動いてない。
となると龍造寺側は神代嫡男1300に気付いてなかった可能性があります

龍造寺サイドは「神代勝利の動員した兵力が1700だけ」だと錯覚してたんです。
だから龍造寺隆信は「神代勝利を討ち取るチャンス」だと思って山内エリアに入ったんじゃないでしょうか。

不幸なことに龍造寺勢先陣だった小河信安隊は、小河信安が討ち取られ小河隊が壊滅してます。
てことは、ますますもって神代嫡男1300の存在を、龍造寺隆信が知る機会が減るか遅くなったでしょう。

で、今度は神代勝利が1700しか集めてないことに、隆信が違和感を覚えなかったのか?という疑問が湧きます。
自分は「案外、感じない」と思いました。


戦国時代の軍役基準で「1万石ごとに250人」ってのがあります。
神代の3000を当てはめて逆算すると12万石で、鎮西無双・立花宗茂とほぼ同数の動員力になります。
山内という山岳地帯で、それほどの国力があるとは想像しづらい。
でも無理をすれば頭数としての3000は集められるでしょう。

つまり身分・年齢を問わず&城や館には留守兵も置かず、山内中から男という男を掻き集める・・・・それなら3000いける(=^・ω・^=)v ブイ。
が、平野部育ちの龍造寺隆信にすれば「山間部で伝達と動員が素早く出来る」って言うのが感覚としてイメージしづらい。
1700という報告を受ければ「短時間じゃ、それしか集まらなかったんだな~(*´ー`)」と思うはず。
でも神代勝利は「その短時間の伝達」を可能にしたんです。

家紋・竜造寺 龍造寺家紋ロゴ

神代勝利は大鐘や法螺貝などで工夫を施し、一日で山内全てに動員合図を送れました。
ですから短時間で山内全ての村落からの動員は出来るんです。
最短で数時間、最長でも二日あれば、3000に近い人数になったんじゃないでしょうか。

北肥戦誌では10月15日出陣で16日に決戦となってます。
でも三瀬村史では14日出陣になってます。
山内勢の移動時間を考慮すれば、14日出陣が正解かと・・・。

神代勝利が龍造寺隆信に勝てるチャンスは一度きりだったと、前回書きました。
というのも冒頭の必勝策は、同じ相手には二度と通じないからです。
神代勝利との戦いで、龍造寺隆信が山内へ足を踏み入れる事は二度とありませんでした。
だからこそ「金鋪(名尾)峠」の時が、最初で最後のチャンスだったのだが、それは・またの話 by^-^sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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