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【鍋島からの挑戦】江上表・八院合戦編3栞86


ブログ装飾画像~南洲さま
http://blogs.yahoo.co.jp/yuewannwann
兜、人物イメージ画像~橘朝臣幸麿さま
http://blogs.yahoo.co.jp/cfmjs676
家紋画像~ロンさま
http://blogs.yahoo.co.jp/kabiningen
相互リンク~ばんない様HPアドレス(戦国島津女系図)
http://shimadzuwomen.sengoku-jidai.com
参照先
(しいまんづ雑記旧録←戦国島津女系図の別館です)
URLが弾かれるので貼れません~興味ある方は検索してください^^
八院合戦(筑後郷土史研究会誌 第16号より)
http://www.snk.or.jp/cda/tanbou/ooki/hatiingassen/hatiinsen.htm#hatiin


佐賀城・鯱の門

1600年10月13日、加藤清正~肥後宇土城を落とす

数日後、清正は抑えの兵を残し柳川へ向けて進軍する


同年10月14日、黒田如水~兵5000を柳川へ派兵、自身は久留米城へ向かう


同じく10月14日、鍋島軍~佐賀城を出陣!

兵32000を二手に分けて、鍋島直茂(父)と勝茂(嫡男)がそれぞれ率いて進軍


佐賀軍の兵力に関しては諸説ありますが、それに関しては別記事で語りたいと思います^-^

「筑後郷土史研究会」では、佐賀軍が二手に分かれたのは、
「筑後川沿いに柳川・立花軍が備えをしているはず、だから用心のため軍を分けた」とある。
(実際には心配するほどの大軍や伏兵は無かった)

シオとしては、それだけじゃなく「黒田如水と連携をとるため」だったと思う。

「いろいろ企んでたんじゃないの?」と疑われている黒田如水だが、行動そのものは東軍でブレは無い。

石田三成からの誘いも「七カ国くれたら考えても(・∀・)イイ!」って返事して、如水らしく断ってる(*´艸`)

息子・長政は吉川広家と小早川秀秋を西軍から東軍へ寝返らせ、さらに前哨戦・本戦と武功もある。

父・如水は九州の関が原「石垣原の戦い」で西軍の大友氏を倒す。

と親子それぞれで、徳川家康が黒田家を疎略にできない手柄を立て、さらに長政は家康の養女と再婚し縁戚にもなっている。

鍋島直茂は、九州における東軍・黒田如水に徳川家康への取り成しを頼んだと思うし、実際に戦後、黒田家は「鍋島家存続のため」に徳川家に働きかけている。

関が原本戦後、西軍で頑張ってしまった鍋島家は家康に必死に謝罪し、表面上は許してもらった形になっている。

だが西軍掃討戦である立花家との戦の趨勢しだいでは、鍋島存続の口約束はチャラになりかねない。

苦労人の鍋島直茂は、念には念を入れただろう。


鍋島直茂イメージ画像

同年10月15日、別々に進軍している鍋島親子は、それぞれ戦勝祈願をしている

自分の家督相続もピンチの勝茂⇒「戦に勝ちますように!でもって徳川殿と上手くやっていけますように!」(-人-)☆彡オネガイ~


翌日10月16日、久留米城(福岡県久留米市)を、合流した鍋島直茂と黒田如水が落とす

久留米城の城主は、毛利秀包(もうり ひでかね・元就庶子)だ。

彼は立花宗茂とともに大津城攻めに参加していたが、九州に戻った宗茂とは別れ大坂に残っていた。

久留米城には奥方と家老の桂と僅かな留守兵しかおらず、多勢に無勢~一日で落城してしまう。

実は毛利秀包は立花宗茂の大親友で、義兄弟の契りを交わしていた(友情です、衆道ではない)

留守番だけとはいえ、宗茂の柳川城と連携とられたら厄介だ。先に落としやすい方から攻めたのだろう。

一方、別コースをとった勝茂は、筑後川を渡河して柳川・立花領地に侵攻!

同日の10月16日、柳川の支城・梅津城を落とす

梅津城の城主は薦野成家(こもの しげいえ・薦野増時の嫡男)なのだが、
宗茂とともに大津攻めに参加し、帰国後は柳川城に入ったので梅津城は殆ど空^^;

本城・柳川城に全員集合してるんで、支城は捨て城状態なんです^^;;

同日、鍋島(勝茂)軍の成富茂安が、立花宗茂に対し決戦の果し合いを申し込む!

この果たし状の具体的な中身がネット検索ではHITしなかった。。。il||li _| ̄|○ il||l

成富茂安(なるとみ しげやす)は、土木、水利の神様として佐賀では尊崇され、
佐賀の土木研究家は「成富の実績を基礎として勉強」しなければならないほどだ。
(( ̄ko ̄)<それほど事績だらけなんでつ)

彼は土木治水工事だけでなく、交渉・外交面でも異能を発揮しており、
立花軍を柳川城から戦場へと引っ張り出すための口上を述べる使者として、うってつけの人材だ。


鍋島家紋

難攻不落と言われた柳川城に、名将・立花宗茂が(本気で)籠城したら攻略に何年かかるか見当もつかない。

何としても野戦決戦で決着をつけなければならないのだ。

一方、果たし状を受けた立花宗茂は、侵攻してきた鍋島軍と雌雄を決すべく軍議を開く。

宗茂自身が戦場に出るのは、上席家老の薦野増時(こものますとき)に止められたから、
前回紹介したオノヨーコの先祖(すごい紹介だな^^;)小野鎮幸(おのしげゆき)が総大将~(=^・ω・^=)v ブイ

次回、迎え撃つ立花軍の猛者たち~それは・またの話 by^-^sio

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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