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【佐賀江川と犬塚と・後編】龍造寺隆信「道」の巻5

ここまで調べて考え付いた推論・・・・
急成長した龍造寺の資金源は、河川流域舟運と河川&河口港からくる運上金ではないか?です^^
え?それだけで賄えるの?と言われると、数字的な根拠が出せないので弱い推論なんですけど^^;

繰り返すように肥前は物凄~~~~く川が多い^^;
江戸期のような本格的回漕業は未だ発達はしてないですが、戦国期に河川港・河口港は開発されてました。
物資の殆どが先ず河川舟運で運び河川港で陸揚げされて、陸路で各地に運ぶのは「それから」なんです。
ですから他国より扱う物資量がケタ違いになると思われるので、運上金も(・∀・)ウフフな感じかな~と。

それと佐賀県民には非常に恐縮なんですが・・・・( ̄ω ̄A;アセアセ( ̄ω ̄A;アセアセ
戦国期の肥前には目ぼしい産業がない・・・il||li _| ̄|○ il||l

貿易港長崎は龍造寺エリアじゃない。
殖産事業・有田焼を始めたのは鍋島様時代から。
佐賀県は知る人ぞ知る「農業王国」で、佐賀県産玉ねぎ等々をシオも美味しく頂いてるんですが、
それは江戸期以降の大規模干拓事業の賜物でして、戦国期の生産量は未だ自然にお任せコース。
金山もないし、金貸しに励んだという話も聞かないし・・・
それと龍造寺隆信は南蛮貿易に熱心じゃなかったです(キリシタンが嫌い)
となると、残るのは舟運事業からくる収入くらいしか思いつかない。

まぁ、これは史料的かつ数字的根拠が提供できないのでオタの妄想と読み飛ばして下さい^-^

地図・佐賀江川と犬塚

隆信は1560年に蒲田江城から西犬塚を追い出してますが、翌年(?時期不明)和睦して戻してます。
蒲田が江(港開発前)で、未だ津(港開発後)になってないから返したんでしょう。
西犬塚の室は隆信の妹なので、蒲田江が龍造寺勢力下である事に変化はない「はず」だから。

後年、今山合戦の際に西犬塚は大友に寝返ります。
怒った龍造寺隆信は西犬塚を許さず生き残った嫡子を始末し、妹の産んだ男子だけ助命しました。
蒲田江が経済的に重要度が高い土地だったからじゃないかな~と思うんです。

とにかく蒲田江を手にした事で「佐賀郡から神埼郡の佐賀江川まで」物資流通ライフラインは龍造寺の勢力圏になりました。
城原川流域にある直鳥(犬塚一族・神埼市千代田町直鳥)は大友配下で、龍造寺とは馴れ合ってません。
アンチ龍造寺の横岳(神埼市神埼町横岳)や山内の神代と繋がってたかもです。
従って1560年当時、城原川流域は未だ龍造寺エリアではない。

で、前回書いた「佐賀江川から船運で来る物資を、途中の土地で陸揚げせずに真っ直ぐ今宿まで運ばせ、今宿で陸揚げ」されると大打撃を受ける方が約一武家。
それが佐賀江川流域・蓮池城(神埼市蓮池町、現・蓮池公園)の肥前小田氏です。
もともと小田氏は佐賀郡・今宿(八田江川起点)に陸揚げされる物資にライフラインを依存してました。
が、今宿は勢力拡大した龍造寺エリアに入ってしまう(-ω-;)ウーン

そういった経済面のプレッシャーが肥前小田氏をしてアンチ龍造寺に走らせたと思います。
メインのライフラインは八田江川起点である今宿でしたが、おそらく佐賀江川舟運が肥前小田のセカンドライフライン。
セカンドなのは佐賀江川起点の蒲田江が津(港)になる前で物資大量陸揚げが出来ず、舟で運べる分だけに物資量が限定されるからです。

佐賀江川流域まで龍造寺エリアになったら、肥前小田氏は完全に経済封鎖されます。
水道の蛇口をひねるように、今宿で龍造寺が水道(物資量)を締めたら、たちまち品薄になり物価は上昇。
全品目に検閲かける手間はいりません。対象商品は米と塩だけで充分。何時でも肥前小田をドライアップ出来ます。

ただし、それを龍造寺が敢行した・・・という意味で書いてる訳じゃないです^^;誤解シナイデネ

家紋・竜造寺

上記、間接的な兵糧攻めは、、、何といいますか正規の武家が採択する手段じゃないというか、
タイミングが不味いと龍造寺が人心を失いかねません(巻き添えで被害受ける領民に恨まれる)
あと武功がたてられないから、家臣団から不満が出ます。
それと運上金が減ったら龍造寺の損です。
重要なのは蒲田江が龍造寺エリアになることで、肥前小田の蓮池城下が龍造寺カンパニー商業圏にスッポリ入った事です。
肥前小田氏は龍造寺に従わざるを得ず、龍造寺との関係強化に努めます。
が、龍造寺は資金源(と思われる)河川流域は直轄地か、もしくは一門衆で固めたいのが本音。
政治的に肥前小田がフラフラ(大友へ寝返り?)してたのもあり、結局は揉めます。

さて、佐賀江川と犬塚を通じて、龍造寺の懐具合を考察(妄想)した本シリーズは如何でしたでしょうか(*´pq`)クスッ
神埼郡に龍造寺エリアが伸びてきたところで、いよいよ神代勝利との決戦ですが、それは・またの話 by^-^sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Re: No title

金山とか貿易とか、判りやすいものがない国人・戦国大名の収入源って、ホントに謎です^^;

戦国大名の名前と軍資金で検索すると、ゲームしかHITしないし(爆

伊東の資金源も、そういえば聞いたことないな~江戸期以降なら明快なのに。

やっぱ裏の仕事人が・・・・南蛮とかに人・・・ゲホグホゴホ

No title

川の運航権という点でいうと尼子氏がありますね。たたら場でできた鉄を交易のために日本海側へと運ぶ上で、塩冶氏とその周辺を懐柔する必要があり、経久は三男に塩冶氏の名跡を継がせてますし。
まぁそれ以前に、たたら場を事実上領していた三沢氏の懐柔に難儀していたようですが。

尼子氏はわかりやすいですけど、他の豪族の戦国期における収入源って謎が多いですね。伊東義祐も朝廷に多額の献金している割に、何が収入源だったのか未だに判明してないようで、飫肥を狙ったのが油津湊を得るためと硫黄・明礬を得るためとされている一方、それ以前が不明なんですよね。飫肥杉は江戸期に特産物化されたものですし。

やっぱ、人取りによる・・・・・・おや、誰か来たようです。
プロフィール

時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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