FC2ブログ

【合戦は神前で♪・川上合戦5】龍造寺隆信「道」の巻10

位置関係を勘違いしてたので、記事大幅修正でつ( ̄ω ̄A;アセアセ

久々に富士町史をチェックしたら、川上合戦の龍造寺勢が動員38000,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
鳩尾(みぞおち)に笑撃来ました。。。。。盛るのもほどほどにしてください。
東肥前制覇半ばの龍造寺が、朝鮮の役や関ヶ原や江上・八院より多い兵力を動員なんて不可能です。
おそらく江戸期に8千の前に3万を書き加えたんですな( ゚Д゚)y─┛~~

どうやら富士町史と三瀬村史では、参照した史料が違うようです。
(富士町史は「神代家伝記」っぽいです。三瀬村史は家伝記だけでなく村の伝承が含まれる)
他に違ったのが、神代勝利本陣の兵数で、三瀬村史が2000、富士町史が1200でした。

龍造寺勢の盛り動員はともかく、勝利本陣の兵数は富士町史が「近い」と感じました。
というのも、山内勢の主力軍は「嫡男・長良率いる兵3000」だからです。

長良の隊には、一門衆・重臣クラスの家臣らが配置され、さらに名尾(鉄布)峠で活躍した鉄砲名人・阿含坊ら山伏たちも配されてました。
長良率いる主力部隊を撃破するため、龍造寺勢も隆信率いる旗本勢が当たったのでしょう。

地図・エリアKAWAKAMI
エリアKAWAKAMI・合戦イメージ配置図

どうも戦国時代の川上社は、現在より数百メートル南だったっぽい。
宮原口は川上へ入る要路で、そこから先が川上社の社領になるようです。

神代本陣を守る形で、川上社南の大門に布陣したのが、次男・種良勢1300。
嘉瀬川を挟んで東側の都渡原に布陣したのが、三男・周利と八戸・千葉ら新参衆1500。

その神代の本陣は淀姫大明神(=川上社)の西の総門。
             ・・・・・・・・・・・・【総門とは】φ(.. ) 検索カタカタ

「外構えの大門。また、城などの外郭の正門。」だそうで、つまるところ正面玄関になるらしい。
あからさまに真ん前でないにしろ、神代本陣をガチで攻撃しようとすれば、社殿に戦火が及ぶかもです。
となると攻撃する方からすると、ちょっと躊躇するなぁ・・・・( ̄ω ̄A;アセアセ

三瀬村史&富士町史では決戦の場所と日を指定したのは神代勝利になってます。
自分もソッチを支持します。
つまり川上社を本陣にしたのには、神代勝利に何か意図があったからでは・・・と思うんです。

神代勝利は大将である自分が囮になったり、本陣そのものを伏兵にしたりと、あえて本陣を手薄にし無防備に見せかけて奇策を用いるという特徴があります。
今回も龍造寺勢より少ない兵力を活かす為の秘策があったんじゃないでしょうか。

人物・龍造寺隆信

てな感じに社を本陣にした神代の行動を、龍造寺隆信が深読みしたと思うんです,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

敵より大軍を用意してから出陣するという正攻法セオリーに忠実な隆信にとって、
何を仕出かすか次の行動が全く予測出来ない神代勝利は、苦手なタイプだったでしょう。

神代勝利が一世一代の決戦ゆえに大明神照覧の元で、真向勝負で挑もう。それゆえ覚悟の上での本陣の構え・・・・とは素直に思えなかったんじゃないかな~^^;
正直なところ、自分も裏があるんじゃないかとアレコレ妄想が爆走しそうになってます(爆
当事者の隆信なら猶更でしょう。

戦は川上社を背にした神代勝利が見守る中始まろうとしていました。
神前で合戦式・・・(._+ )☆\(-.-メ)タワケ!

なんだか鎌倉時代みたいな話ですが、こんな劇場型舞台設定は龍造寺隆信の趣味じゃありません。
むしろ、こういう芝居っ気が嫌いなタイプ(だから神代勝利とは生理的に合わない)
でも神代勝利と決着つけるためには、神代好みの御膳立てに乗るしかなかったんですil||li _| ̄|○ il||l

意外かもですが、これまで龍造寺隆信は山内衆に対して寝返り工作とかしてません。
工作出来ないほど、神代勝利を中心とした山内衆の結束が固かったんです。

人物・くましろん~

神代家という武家は国人オタのシオからしたら、これほど魅力的・蠱惑的な国人領主はいません。
現代人ですら魅了される神代勝利を、山内衆が一代の英傑・英雄と慕うのも判るような気がします。
龍造寺派遣の代官を山内衆が毛嫌いしたところを見ると、領内統治も神代勝利は相当細やかに気配りしてたんじゃないでしょうか。

山岳地帯の山内は決して閉鎖村社会ではありません。
自分たちの作った工芸品を売る為や日常品の買い物などで他地域との交流は盛んでした。
また背振山系は山岳信仰の対象だったので、修験道の山伏が古くから一杯出入りしてました。

つまり間者(スパイ)を潜り込ませるのって、超かんたん(・∀・)
ところが肝心の内部情報となると、山内衆も領民も口が堅い固い・・・il||li _| ̄|○ il||l
龍造寺隆信は「神代勝利が、何処に在城しているか」さえ掴むのが容易でなかったんです。
神代勝利の暗殺も失敗してたのよネー(*´・д・)(・д・`*)ネー

神代勝利を倒すには、山内に入るか、神代が山内から出たところを叩くか二つに一つ。
で、山内に入ってみたら名尾(鉄布)峠の決戦で大敗北。
懲りた隆信は、神代勝利を山内から出て来させる為に、決戦を申し出たんです。

肥前国一の宮・川上社の祭神・與止日女命が微笑むのは、果たして龍造寺か神代か、それは・またの話 by^-^sio
スポンサーサイト



テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
月別アーカイブ
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
779位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
歴史
122位
アクセスランキングを見る>>
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR