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【南大門瓦解・川上合戦9】龍造寺隆信「道」の巻14

ちょっと本題からズレますが、川上社は神代と山内衆の味方だったみたいです。
みたい~というのは史料的な裏付けが例によってとれないもんで・・^^;

川上社=與杼日女神社は肥前国一の宮。
大宮司は初めは高木氏でしたが、勢力拡大した東国御家人・肥前千葉氏にとって代わられます。
その肥前千葉氏が大内と少弐の介入で、東西に別れて衰退。
肥前千葉嫡家(西の方)当主・千葉胤連が大宮司として復活するまでの間。

この短い、だが激動のニ十数年・・・川上社を何らかの形で外護してたのは、神代勝利だったんじゃないでしょうか。
だって全盛期の神代エリアに川上社は、スッポリ入ってますもの。
後年、川上社西門を寄進した時には、願主や寄進者の中に鍋島勝茂の名と共に神代家の名もあります。

肥前国一の宮である川上社は、まぁそれなりに各在地領主達から寄進は受けてたと思います。
(でないと社領・社殿の維持が出来ない)
が、川上社に仕える社頭や社人の生活面に関する細やかなアフターケアは、神代勝利が配慮してたと推測してました。

「やぁ川上の者なら、山内の者も同然、不都合あれば何なりと申せ^-^ニコニコ」
って優しく声をかける勝利公の御姿が浮かびます(*´ー`)
神代勝利という人は、そういった気配り心遣いが人心収攬の計算ではなく、自然に出来る人柄だったんじゃないでしょうか。
でもって、人情の機微に関するアンテナの受信良好さ、それは剣術道場主時代に培ったものでしょう。

神域である川上社は守護不入・軍事不介入、逆を言えば誰にも加担しないで中立・・・とも言えます。
ですが川上社の社人たちは、常日頃の厚情(←推測ですけどね)に報いる為に、社の総門に神代が本陣を置いてもノンクレームだったのかな~~と。

でないと龍造寺からの報復を恐れず、山内に復帰したばかりの神代に川上社の社頭が差し入れしたりと、神代サイドの肩入れをしないはずです。
身を隠す場所がない川上で、唯一の安全地帯ともいえる川上社から出て、神代勝利は本陣を前進させて最前線に近づいた。

人物・くましろん~ 神代勝利イメージ画像

実は自分・・・勝利が本陣を「いつ前進させたか」の判断に迷いました。
経過を見るに前進してるのは確かなんですが、細かい時系列での記述はないのでタイミングに迷ったんです。

で(-ω-;)ウーン(-ω-;)ウーンと悩んだ結果、
「三男・周利勢が瓦解し、三男・周利勢と戦っていた龍造寺信周&鑑兼&小河勢2000が、嘉瀬川を渡河して次男・種良勢の横合いに攻撃が始まった時点」で前進した・・・としました。

というのも位置関係の問題があるからです。
川上社が安全地帯(一種のプチ砦状態)というのは、嫡男・次男・三男の陣三つが備えとして機能してるからこそ、だと思うんです。

三男が瓦解し南大門の次男が瓦解した後も、そのままの位置に本陣が布陣していたら、
嫡男と勝利の陣が佐嘉勢に分断されてしまいます。
そして、それは嫡男の陣が瓦解した場合でも同じ事が言えます。
山内勢ALLピンチとなったので、本陣を川上社総門から出さざるを得なかったんです。

龍造寺が初めに本陣を置いたのが西山田で、現在の川上社との距離は1km弱。
戦国時代の川上社は、今より少し南にあったし、龍造寺勢も山内勢と激突するために西山田から前進してます。
接近戦となった嫡男と次男の陣は、200mくらいしか離れてないんじゃないでしょうか。
少なくとも互いの旗印が視認できる距離での、激戦・乱戦だったでしょう。
どっちの戦線もガッツリ乱戦状態の接近戦で、かつ利用できる遮蔽物もない地形で、どちらか片方だけを援けるなんて器用な事が、そもそも不可能です

どちらが潰れても、神代勝利の本陣に危難が及ぶ。
どちらも潰すわけには行かない。究極の二択・・・でも選べない二択・・・
父・神代勝利が本陣を前進させたのを、次男・種良は気づいてたはず。

(次男)種良は「一足も退くな! 駆け入りて皆討ち死にせよ! これを破られらば、勝利を得るはより難儀となる、進め、進めぃ!」と叱咤する
これに神代家臣・松瀬能登守、馬場四郎左衛門らは佐嘉勢に討ち入り悉く討死。
次男・種良も御手洗橋の辺りで組み伏せられ討死(享年23歳)


ついに南大門の神代勢も瓦解!
朝から戦い続けてたんです。
おそらく・・・3倍の兵力差になってから瓦解まで、1刻(2時間)もたなかったかと・・(´;ω;`)ウッ

地図・エリア川上3

龍造寺勢はこれ(瓦解した種良勢)も討ち捨て、勝利本陣の後方を取らんとする。

自分は初め、この北肥戦誌の文章の意味がヽ(。_゜)ノ へっ?でした。
川上社総門の後方って??ワケワカランチン

ですが三瀬村史と富士町史と北肥戦誌の戦況を読み比べて得心しました。
前述したように、神代勝利本陣が総門を離れて前進してたんです。

後ろを龍造寺勢に取られたら、神代本陣も宮原口の嫡男・長良勢も、周り全てを囲まれ押し包まれてしまいます!!
息子を次々と失った絶望の中で、神代勝利は頭領ではなく「父としての」決断をしたのだが、それは・またの話 by^-^sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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