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【絹巻の里】神代勝利公「道」の巻

神埼市背振町の山里に、その昔「絹巻の里」と呼ばれた地がありました。
細かく言うと背振町鹿路で佐賀県道273号線をググーーと奥に入ります。
周囲を山に囲まれバスは一日3便なぅ。土地勘ないと辿りつくまで、かな~り心細いです^^;
そこが絹巻の里と呼ばれたのには、このような伝説があります。


件の山里に父と娘が二人で暮らしていました。
やがて父が後妻を迎えます。

この後妻が性悪で先妻の娘をイビリまくってました。
娘の慰めは観世音の名号を心の内で唱える事だったそうな。(-人-)☆彡

ある日、朝廷へ献上する絹織物が織れないと、継母が何時にも増して娘を躾と称して虐待する。
「こんの役立たず!穀潰し!(←死語?)」と、継母は絹を巻きつける板を娘の背にくくりつけてo( ̄Д ̄θ★ケリッ!と追い出した。

・゜・(PД`q。)・゜・・゜・(PД`q。)・゜・
どっぷりと暮れた夜道を泣く泣く歩く娘の前に見えたのは、一軒の家。
中には美しい女人が機織りをしてました。

娘は女人から織り方テクを教わると、父の元へと戻った。
話を聞いて父は「これは御礼をせねば・・」と、父娘で女人を訪ねると、家は跡形もない。
代わりに家があった場所には、山と積まれた美しい白絹の反物(ALLメイドインジャパン・検品済)が・・( ゚д゚)ンマッ!!
たくさんの反物の上には、娘が背負って来た巻板がチョコンと置かれていたそうな。

(*ノ・ω・)ノオオオオォォォォ~~これぞまさしく観音様のお導き!
父娘が仲良く戻るのを見て、アタヽ(´Д`ヽ ミ ノ´Д`)ノフタ逃げ出そうとした継母。

それを娘が「どうか行かないで!」
「織物が織れなかったのはホントマジやばかったしぃ・・(._+ )☆\(-.-メ)アレンジヤリスギ!
ゲホゴホ・・・カットカット~~~やり直し!

それを娘が「継母さまの意地悪も私には善知識でございました。これも全て観音様の御導きです」と必死で宥めたので、継子に対し頑なだった継母の心も淡雪のごとく融けた。
以来、親子三人睦まじく(反物で)裕福に暮らしたそうな。

親子の村では観世音を祀り、継母が娘の背にくくりつけた絹巻を観世音の後光ししつらえると「絹巻観音」と崇め、村は「絹巻の里」と呼ぶようになったそうだ。
(参照:さがの歴史・文化お宝帳)


突っ込み不可の(・∀・)イイ!話がガラリと代わって。
先日、ブログ友さまとコメントのやりとりしてて、地名の「○○院」って話になった。
日本の地名で「院」と付く場所の由来には、大きく2パターンがあります。

パターン1)
献上米を収める垣の中に囲まれた倉庫を当時「院」と呼び、○○にある倉庫って言葉が、そのまま地名化した。
他にも「院」とは大きな建物を指す言葉でしたので、そういった建造物があった場所が地名化したりします。
パターン2)
高貴な公家や皇族が訪れた事から付いた。
筑後の八院は、このパターンです^^b

ロマンチックな響きと伝説があった「絹巻の里」は、パターン2の理由で地名変更される。
訪れた高貴な方とは・・・後鳥羽上皇!(゚ロ゚屮)屮 ナ、ナンダッテー
観音様より地上の権威?

絹巻の里は鳥羽院と地名変更したが、何故か読みは「と・ば・い」
「ん」は何処へ行った,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
某外国都市名のような鳥羽院を領していたのが山内の豪族・西川伊予守なのだが、それは・またの話 by^-^sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

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筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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