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【ようこそ波佐見へ、くっくっくくっく♪】神代勝利公「道」の巻5

山内の三瀬鶏~~(*´○`)o¶~~♪
西肥前のリサーチは後回し(おぃ)にして、とりあえず進められるだけ進みます___φ(.. )カキカキ

1561年9月13日「川上合戦」で、龍造寺隆信に敗れた山内の英雄・神代勝利公。
次男・三男を失ったものの、勝利公自身と嫡男・長良は何とか山内へ撤収することが出来た。
そこで勝利公は腹心の者らと今後の相談をした。

案1)再び兵を募りリベンジする(`・ω・´)キリッ

ちなみに三瀬村史には「十死に一生の一戦を試みる」とある。
九死に一生じゃないのか・・・|三瀬村史|_ ̄)じぃー
てか十死って、確実に死ぬって事なんじゃ・・・,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

案2)前回みたいに山内から亡命してチャンスを窺う

で、いろいろ(*´・д・)(・д・`*)相談した結果、
傷病人もいるし、負けて気落ちしてる兵を集めてもパッしないだろう~(意訳)
てことで、またまた亡命することになった。

で、今度は「引っ越し先は何処にする?」(*´・д・)(・д・`*)の相談という名の吟味。
前回は筑前の糸島・原田さんところを頼ったのだが、その後に大友配下・小田部氏と揉めて・・・
いや、小田部との戦は勝利公の鮮やかな采配で大勝利でした。

鮮やかすぎて、それが負けて亡命なんて・・・ちょっと政治的に(・A・)イクナイ
てことで杉山の小副川さん所縁の人が、大村の波佐美にいるというので、そこを頼って勝利公の一族郎党が落ち延びた。
(妻子・三族近臣~とあるから、けっこう大所帯?^^;)

人物・くましろん~ 勝利公イメージ画像

山内の英雄が亡命したニュースは、すぐに肥前守護職・有馬晴純の耳に入った。
ちなみに、1561年時点で有馬晴純は隠居しており「仙巌」と名乗っている。

あ、そうだ。
大村の波佐美ってあるけど、大村エリアだから長崎県東杵郡波佐見町なの~~^^/
今度は長崎県の地理か・・・・il||li _| ̄|○ il||l

有馬仙巌は早速のこと使者を派遣し、大村純忠へ神代勝利公の保護を依頼した。
ちなみに大村純忠は、有馬仙巌の実子(次男)で~す♪ヽ(*´∀`)ノ←ヤケクソ
有馬氏は一族子沢山でアチコチに養子送り込んだり、政略結婚してるんです~・゜・(PД`q。)・゜・
複雑で未だに係累関係が覚えきれません(_´Д`)アイーン

実父から依頼された大村純忠は、快諾。
家臣の朝長伯耆守(筆頭家老・純利か?)に世話を命じた。
それだけでなく大村純忠は勝利公を慰め、武運の守りにと太刀もプレゼントしてくれたそうだ。


お蔭で勝利公の亡命生活に不自由はなかったらしい。
有馬にとっては、剛忠(家兼)の頃から龍造寺はリアル仮想敵。
龍造寺と敵対する神代勝利公に援助は惜しまなかっただろう。

勝利公の筋が通ってると言うか、、、有馬(を通じて大村)から受けたのは亡命生活の支援のみだと言う事です。
どんなに飢えていても、目の前のニンジンには食いつかない・・・これは凡人には中々出来ません。

有馬&大村から援軍を受ければ(可能かどうかは度外視で過程の話)龍造寺と比肩できる兵力は揃えられます。
が、その援軍を東肥前に引き入れた時点で、神代勝利公は小城・佐嘉の領民から「敵認定」され恨みを買うことになります。
かつて少弐氏が小城・佐嘉の人心を失ったのと、同じ轍を踏むことになるでしょう。

神代勝利公は、先祖代々の頭領でなく、推戴されて頭領になった人物です。
だから敵味方関係なく、現地の住民感情を害するのを何を置いても回避してたと思います。
そういった細やかな配慮の積み重ねで、勝利公は山内領民から「全幅の信頼」を得たのではないでしょうか。

一方、龍造寺の降伏勧告を蹴って浪人となった山内武士団。
彼等は、ただ待つだけでなく、勝利公を向かい入れるべく計略を廻らしたのだが、それは・またの話 by^-^sio





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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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