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【裏切る者・前篇】神代勝利公「道」の巻7

光ある所には必ず影がある。
稀代の英雄・神代勝利公の放つ光芒の影となった者がいた。

三瀬村史にある鳥羽院城主・西川伊予守の人物評。

・欲深で高慢
・弁舌人に優れ、自己の知勇を自慢してたかぶり(驕り?)欲深者
・という性格なので(龍造寺にとって)都合が良い


ボロクソです,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
かろうじて褒めているのが「弁舌人に優れ」の部分だけですな( ゚Д゚)y─┛~~

結束の固い山内勢に出た「裏切り者」評です。
基本、悪意でしか書かれていません。長所も貶め「だからダメなんだ」とバッサリです。

こういうのマニアック・オタとしては、非常に萌えます・・・「(裏)考証」したくなるんです!!!
てことで、ちょっと付き合って~(^ -)---☆Wink



自分は川上合戦が終わった時点で、既に西川伊予守は「内通疑惑」として山内勢からマークされてたと推測してます。

西川伊予守は「川上合戦」において、初めに瓦解した勝利公三男陣に属していました。
外様・新参が多い三男陣だったので、彼らはヤバイ!って時点でトットと撤退してしまい、それが三男陣の瓦解を早めました。

「これが龍造寺と神代の潮目となる一大決戦」という事は、山内勢の雑兵の端々まで周知され各々覚悟していたのでしょう。
瓦解した三男陣の属していた山内勢は、退く事なく悉く討死しました。
が・・・・ただ一人西川伊予守だけが生還したんです。

せっかく生きて帰ったのに、一人だけってのが不味かった・・・( ̄ω ̄A;アセアセ
三瀬村史によると、西川伊予守は自力で歩けないほどの深手を負い、家人が助け戻ったとあります。
たぶん家人が背負ったか担いだかしたんでしょうけど・・・

山内勢目線でいくと、この|深手|_ ̄)じぃー・・・が既に怪しいwww
東肥前側に住む佐賀県人なら、地形的に想像がつくと思うんですが、
戦場となった大和町川上から、背振町鳥羽院(とばい)まで戻るのって、とてつもない山・谷・峠で難所の連続なんです。

龍造寺の追撃を逃れても落ち武者狩りの危険があるんで、その家人・・・ジモティしか知らないコース使って逃げてるはず。
道らしい道なんて使わず、時に崖をよじ登るような感じになる。
そんなコースを「自力で歩けないほどの傷病人」が、よく失血死せずに鳥羽院まで辿りつけたものだ・・・
と聞いた誰もが驚くだろうし、驚きが疑惑になる。

ほら( ̄ko ̄)<大した怪我じゃないのに、怪我を口実に撤退した・・とかでつ。
まぁ流石に怪我はウソじゃないと、思います。
西川伊予守は、自分を援けた家人に「西川」の姓を褒美に与えてますから、よほど大変だったんでしょう。

川上合戦シリーズで書いてますが、神代勝利公の三男は討死ではなく陣中で謀反人に突き殺されてます。
それで陣中が大混乱⇒龍造寺猛攻撃⇒ヤバイと新参の外様は撤収⇒山内勢だけでは支えきれず瓦解
という流れです。

自分は最初、西川伊予守が謀反人を手引きしたかと疑いました。
でも、それだと怪我の説明がつかないので、その推理は捨てました。
だから正体不明の謀反人は謎のままです。

誰が三男を殺したのか判らない・・・ってのが、余計に西川伊予守に対する疑惑を深めたと思うんです。
普段なら神代勝利公がフォローしてたと思います。
でも勝利公は亡命してて山内を離れてました。
深手なら怪我養生の西川伊予守は、暫く表には出て来れなかったはず←←余計に怪しまれます。

山内目線スコープだと、やたら西川伊予守に対して疑り深くなるには、ちゃんと理由があります。
鳥羽院・西川一族は龍造寺配下だったんです!(゚ロ゚屮)屮ナ・・ナンダッテー

家紋・竜造寺 龍造寺家紋

西川伊予守の父が仕えていたのは龍造寺頼純で、龍造寺隆信の叔父にあたります。
龍造寺頼純は「少弐の陰謀・龍造寺抹殺計画」の中で、馬場頼周手勢に討たれて死にました。
この時に配下として付き従っていた西川伊予守の父は、共に討死してるんです。

龍造寺が一族存亡ピンチの時に、西川一族も嫡流と庶流に分裂しました。
嫡流である鳥羽院・西川伊予守は神代勝利公サイドに。
庶流・・・西川伊予守の叔父は龍造寺サイドとなり、佐賀市神野に住して現在進行形。

西川伊予守は実は次男ですが西川嫡家を継ぎ鳥羽院城主となってます。
長男は子供がいないまま若くして亡くなったのでしょう。
もしかしたら父と一緒に龍造寺頼純に随行してて、馬場らに討たれたかもです。
西川伊予守の人柄を龍造寺サイドが熟知してたのは、家臣として仕えてた西川伊予守叔父等からの情報だと思います。

勝利公三男が普通に討死していれば、西川伊予守の生還は疑われなかったと思います。
でも素性不明の謀反人に討たれた・・・・という異常事態が勃発してるので、とうぜん「犯人捜し」が取沙汰されてるはずです。
でも勝利公が亡命なぅ~~だから、公に吟味されないまま有耶無耶になったんじゃないでしょうか。
山内勢の心の中には、西川伊予守へのモヤモヤが残されたままとなった・・・

西川伊予守が起き上れるようになった頃、一人だけ生きて帰った自分への周囲の目が冷たい事に気づいたでしょう。
亡父が龍造寺配下で係累が現在進行形で龍造寺家臣となれば、疑われる条件バッチリ!
西川伊予守が身の潔白を証明するには、再びあるだろう龍造寺との戦いで華々しく討死するくらいしないと無理。
勝利公が帰還された時には、もう完璧、山内勢からは「次の戦で西川の覚悟を見よう」って雰囲気に追い詰められてたんじゃないかな~~~

山内勢から孤立しつつあった(と思われる)西川伊予守は、龍造寺から裏切りの誘いが来た瞬間、覚悟したのだと思うのだが、それは・またの話 by^-^sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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