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【裏切る者・後篇】神代勝利公「道」の巻9

西川伊予守の裏切りを三瀬親子から聞いた神代勝利公は驚き、さっそく老臣らを集めて西川討伐の詮議をした。
いきり立つ三瀬ジュニアは「仲間と思われてるから油断するはず、自分が出向いて討ち取ります!!!(# ゚Д゚)・;'.」と申し出た。

神代勝利公は「単に討つだけなら、その方が有利であるが、これは佐嘉が仕掛けた謀略ゆえ、何事もないように(西川を)騙し寄せて討ち取るに越した事はない」と言われた。
さらに「幸い近いうちに重陽の節句で宴がある。伊予も参向するであろうから、そこで討ち果たそう」
「三瀬のジュニアよ。そちも宴に出るがよい。討手は成り行きに任せる(=ジュニアが殺って良し!)」
と三瀬ジュニアを宥められたそうです。
(出典:三瀬村史~判りやすいように若干、修正してます^^/)

人物・くましろん~ 勝利公イメージ画像

1562年9月9日重陽の節句の儀式と宴が開かれた。
何も知らない西川伊予守も普通に参加。

三瀬ジュニアは「西川を討つのは自分!(`・ω・´)キリッ」とギンギンでして、今か今かとタイミングを窺っていた。
すると御酌役の中野が気の早い若者で、西川へ銚子(ちょうし)を持って行くと同時に、手にした銚子を西川の顔に投げつけた。

「余人に討たれてなるものか」と三瀬ジュニアは脱兎のごとく西川伊予守に切りかかった。
(宴に)居合わせた面々も一斉に切りかかったので、伊予守は寸々になって死んだ。

自分が、西川伊予守が川上合戦直後から「疑惑の人」扱いだったんじゃないのか?
と思ったのは、三瀬村史に記された、この尋常じゃない殺され方を読んだからです。
武士として切腹も出来ず、罪人として断罪されたのでもない・・・これでは私刑(リンチ)です。

身内に龍造寺家臣がいて、全員が討死した三男陣の中で唯一生還した西川伊予守。
西川自身が、生きて戻ったのを「遅れをとった」と恥じ入る事も無く、
普段通りに振る舞っていたのが、結束の固い山内勢には憎々しかったのだと思います。

龍造寺と内通した西川伊予守を討つことは、龍造寺に対する「宣戦布告」に等しい行為です。
山内勢の更なる結束を確認し合う儀式・黙契として、裏切り者・西川伊予守の身体に全員が刃を付き立てたのでしょう。
重陽の節句の宴です。山内武士団の主だつ重臣は全て集まってますから・・・(´・д・`)
西川伊予守は、裏切りに対する見せしめもあって、生きながらにして文字通り鱠に切り刻まれたのだ・・・!


三瀬城下には家臣の常として、西川伊予守の館があったらしい。
裏切りを注進し初めに切りかかった三瀬ジュニアには、褒美として西川の館が与えられた。
ジュニア、館を構えました~独立おめでとーーーですな( ゚Д゚)y─┛~~
銚子を投げつけてキッカケ作った中野クンは(西川館にあったと思われる)財宝が与えられる。

で、西川館と周辺を調べたら服巻伯耆守も裏切りに加担してた事が判明( ゚д゚)ンマッ!!
ちなみに服巻と書いて、何故か「はらまき」と読ませます( ̄ω ̄A;アセアセ
三瀬村史には読み通りに腹巻と記録されてるんで、探すの苦労しました( ̄ω ̄A;アセアセ
場所は灯台下暗し~西川伊予守の鳥羽院(とばい)とは同じ背振町内で隣でした^^
御町内の隣っても山一つ間に挟んだ田舎感覚のとな・・・(._+ )☆\(-.-メ)オイオイ

服巻伯耆守を討つようにと三瀬一族に命が下り、防戦した服巻伯耆守も討たれ「裏切り騒動」は決着しました。
三瀬ジュニアのパパ・三瀬長門守が功績あったらしく勝利公が賞した証文(感状かな?)が残ってます。

・・・・三瀬さん、勝利公から褒められた!ゎーィ♪ヽ(*´∀`)ノゎーィ♪ヽ(*´∀`)ノゎーィ♪ヽ(*´∀`)ノ
って、よっぽど嬉しかったんだろうな・・・
子子孫孫まで大事に大事に~~って保存してたんでしょう。でなきゃ現代まで残ってません。

神代勝利公は、山内・・特に御当地であるエリア三瀬にとって、生前も死後も余人に替える事の出来ないカリスマで英雄なんです。
山内26豪族のなかで、最も勝利公に心酔し厚い忠義を捧げているのがファミリー・ザMITYUSE。
老いも若きも、三瀬の者で勝利公を裏切る者などいないと思え!(`・ω・´)キリッ


裏切りの末路とはいえ、三瀬の者を計略に誘わなければ、死に様は未だマシだったと思います。
一見、裏切り加担の仲間選びを完全にミスってるかのような西川伊予の行動ですが、これまた止む無し・・・でした( ̄ω ̄A;アセアセ

元々、勝利公は龍造寺からの刺客に用心して、己の居場所を明かさず、一カ所に長期滞在してません。
三瀬本城だったり、熊川の城だったり、娘が嫁いだ杠館だったりしてます。
三男が陣中で何者かに殺された・・という異常事態の後は更に用心してたはず。
そういや、全員討死なのに三男の陣中死亡状況が残ってるのは、生きて戻った西川伊予の報告だったかもだな・・・

とにかく勝利公を確実に討ち果たす為には、まず居場所を特定しなきゃならないので、三瀬城御膝元の三瀬ファミリーを抱き込まないと~~~
って感じで、裏切る方には、裏切る方の(自分勝手な)、裏切るための「事情アレコレ」があるもんなんですよ・・・

そして西川伊予守の裏切りによって、運命が変わってしまった者がいたのだが、それは・またの話 by^-^sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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