FC2ブログ

【和睦の思惑・壱】神代勝利公「道」の巻11

山内の一角、鳥羽院・西川伊予守の裏切り工作が失敗したのを知ると、
「やっぱダメだったか・・・il||li _| ̄|○ il||l」と計略を諦めたらしい。

というのも龍造寺隆信は・・・(色々省略)ってことで、いよいよ有馬との戦いが現実のものとなり、山内攻略の為に兵を割くのが困難になってきたからです。
(今すぐは大丈夫でも、交戦状態が長期化しようものなら、首が回らなくなるのは確実)

1562年冬、龍造寺隆信は神代勝利公へ和睦を申し入れた
三瀬村史によると神代勝利公は「佐嘉勢は山内勢力の10倍になっている」と語ったそうです。

人物・くましろん~ 勝利公イメージ画像

はい、当たってます。
シオは勝利公に関するデータは基本、三瀬村史ベースで進めていますが、
勝利公激LOVE御当地村史だけに、文中にある威勢の良い数字は、鵜呑みにしてません。
素人シオには無理ですが専門郷土史家による具体的な数字を検証比較出来れば、そこまでの差ではない部分もあると思います。
が、総合力ですと10倍比って思う感覚は当たらずとも遠からずの差です。

自分は名尾(鉄布)峠合戦の段階で、山内勢は動員能力の限界を超えて無理矢理集めてるって言いました。
戦に勝ちながら追撃できず、隆信の首を獲るに至らなかったのは、山内という勢力における体力の限界だからです。
1561年川上合戦の敗北で山内勢は、回復するのに数年(下手すると10年以上)かかるほどのダメージ(討死によるベテラン前線指揮官を失った人的損害)を受けてるとも書いてます。

100日弱という勝利公の山内スピード帰還、裏切り者の処断で結束再確認等により、山内勢の気息は戻りました。
でもね。戦国ゲームじゃないんですから、受けたダメージがマイナスから即プラスに復元する回復魔法なんて現実世界にはないんです。
現段階で10倍比という「事実」は、御当地村史特有・盛り記述でも隠しようのない「現実」です。

では有利なはずの佐嘉勢から和睦を持ちかけたのは、どのような思惑であろうか?
我らが英雄・勝利公には「龍造寺隆信の魂胆など、全部お見通しだ!(仲間TRICK風で♪)」

人物・龍造寺隆信 このシリーズではダークサイドの熊さん

何回も書いてますが、神代勝利公は山岳地帯における地形利用した戦では、ガチ無双で無敵で無敗で天才なんです。
この才能の差というのは、どれほど平地の兵が頑張っても、精神論とか大軍を投じれば何とかなるレベルじゃありません。
それこそ織田軍の比叡山焼き討ちや、大友宗麟の英彦山焼き討ちのような、万単位ブッチギリ大軍で焦土作戦でも展開しない限り、山内エリアで勝利公を倒すのは不可能に近いんです。

事実、龍造寺隆信は名尾峠での敗北以降は、山内とは直接弓矢を交えず、勝利公周辺の同盟者(少弐・小田・江上等)を討つことにより、勝利公を徐々に平野部から山内へと閉じ込めて行きました。
龍造寺が勢力拡大を続けていけば、山内は孤立し嫌でも従うしかないくらいの勢力差になり、いま現実に10倍比です。

川上合戦の勝利で行けるかな~と隆信公、裏切り工作ルン♪したら見事失敗。
あれほどの大敗にも関わらす山内武士団、領民に至るまで結束が崩れてないとなると、弓矢で決着しようものならゲンナリするような長期消耗戦になるのは目に見えてます。
隆信の目論見は「ここはひとまず和睦し、佐嘉勢は己の勢力拡大に専念することにより、山内勢の体力が尽きるのを待つことにしよう」です(`・ω・´)キリッ

というような内容の話を勝利公はされたそうです。
あと・・・シオから蛇足・・・( ̄ko ̄)<勝利公には失礼ながら、隆信と勝利公は親子に近い年齢差でして
( ̄ko ̄)<生物学的持久戦(=寿命)においても隆信が有利でつ・・・

勝利公は、このような隆信を目論見を承知で和睦を承諾されました。
そして、その理由を老臣らに語ったのですが、それは・またの話 by^-^sio
スポンサーサイト



テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
月別アーカイブ
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
822位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
歴史
120位
アクセスランキングを見る>>
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR