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あとがき・・・

依怙贔屓を承知でいうと、神代勝利公は山岳戦における天才だったと思います。

平地がダメってわけじゃないんですが、いかんせん龍造寺より動員能力が劣るのは、遮蔽物のない平野部では何ともカントモですから( ̄ω ̄A;アセアセ

「和睦の思惑」で書いた勝利公が嫡男・長良公に胸中を明かす下りは、
真田昌幸が幸村に胸中を語る場面を彷彿としませんか? 川* ̄д ̄*川ポッ 

あ、記事は噛み砕いて書いてるだけで自分の創作じゃないです。
基本、三瀬村史と北肥戦誌がベースです^^b
自分の推測の時は、推測って前置きするか、○○と思うな~とか書いてます^^b

歴史は調べれば調べるほど、諸要因を見つけちゃうんでIFが難しくなるんですけども。
ぶっちゃけ勝利公が長命されていれば、龍造寺隆信の東肥前制覇が頓挫してます。
だって山内武士団&領民は、龍造寺に従うのはo( ̄Д ̄θ★ケリッ!です。
譲って同盟関係までなんです。
だから龍造寺は「東肥前の制覇まで至らない期間」がズルズル~と続くことになる。


結果としては同じかもですが、龍造寺の勢力拡大スピードが緩む分、肥前戦国史は我々が知っている歴史とは差異が出て来ると思います。
てか川上合戦で山内が勝ってたら、東肥前の覇者は勝利公だったぉ・・・(´;ω;`)ウッ

英雄とは、現実の辛さを忍耐させ、10年20年先の未来に架かる夢・・・手に掴めないはずの虹の煌きを、人々に追いかけさせる事が出来る人物です。
そういう意味では、神代勝利公は紛れもなく英雄でした。
だからこそ、肥前の熊と畏れられた龍造寺隆信のライバルたりえたんです。

ぶっちゃけ、龍造寺隆信と神代勝利公の絡みが余りにも多いので、カテゴリタイトルを龍造寺隆信編にする事に違和感を覚えたほどでした。
それで、勝利公の死を扱う本シリーズのみは、神代勝利公編にした次第です。

港町育ちで道産子の自分には、山岳地帯のイメージが全くわかず(@@)コマッタ!
とにかく三瀬村史や北肥戦誌に出てくる地名は片っ端から検索し、位置関係や地形の変化の歴史等々を徹底して調べました。
そのおかげで思いもかけず拾った逸話などがあり、消化するのに嬉しいやら大変やらで、今となっては「学ぶ楽しさ」を再確認した充実した時間でした。

現在の自分の記事スタイルが概ね定まったのも、勝利公を調べるために培ったスタイルです。
そういう意味では、亡き神代勝利公に感謝しています。
勝利公を調べなければ、これほど東肥前を知る機会はなかったでしょう。

神代家に関しては、まだまだ語りたいことはあるのですが、
勝利公亡き後の事になるので、龍造寺隆信編の中に折り込みたいと思います。

今度は西肥前のリサーチなので、暫くはリサーチ記事が続くと思います。
何せ、この通り拘りのシオなんで徹底して調べます(`・ω・´)キリッ
ブログ運営はマイペースになりますが、何卒、宜しくお願いします。

最後に三瀬村史・富士町史をWEB公開して下さってる佐賀市に、心から御礼を述べて終わりたいと思います。
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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