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【新たなる戦い】柳川藩初代藩主編12栞83

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大津攻めで勝利しながら「関が原の戦い」で西軍が負けたために、大坂城を出て帰国することになった立花軍。

途中に防衛の為、京の要衝である瀬田の唐橋を焼き落とそうとする兵に対し、
宗茂は「古来より京を守るために、この橋を落とした軍が勝利した事は無い。 
     民達の通行を妨げるだけ無益であろう。」と止めさせた。
 
後日、この話を聞いた家康を感心させたという。

1600年9月26日~安芸日向泊で立花軍と島津勢が偶然出会う!

そのとき宗茂の近習が囁いた「殿!島津義弘です。あちらは小勢、亡き実父・紹運様の仇をとる好機ですぞ」

宗茂は「バカを申すな!お前は相手が少数だからと討って、それを手柄にすると云うのか。それに島津は同じ西軍、お味方ではないか!」

そう近習を叱責すると、馬首を廻らし僅かな供回りのみ連れて島津勢に近付いた。

近付く宗茂の真意を測りかね、島津勢に緊張が走る。

宗茂「そう固くならず義弘殿にお伝えください。かつて我が実父と島津が戦い、父が討たれたことは遺恨には思っておりません。それより見たところ島津勢の御人数では、この先心もとないと存じる。よろしければ我が手勢で護衛申し上げたい」

宗茂の思いがけない好意に、島津の当主の義弘が進み出た「立花殿・・・かたじけない・・」

頭を下げようとする義弘に対し「ともに互いの本国目指して力を合わせましょう^-^ニコッ」

と、爽やかな笑顔で答えた宗茂だった。


立花宗茂イメージ画像

あぁぁ~めちゃくちゃカッコいいです!笑ったらマンガか歯磨き粉CMみたいに、白い歯がキラーンと光りそうだ!

同行することになった立花&島津と夫人たち。 

宗茂は、この安芸日向泊で、実弟・高橋統増と与力大名の筑紫広門(弟の舅でもある)を別船で帰国させたらしい。

らしい、というのは、そういう記述を幾つかのサイトで見たのだが、それらには元ソースが記載されてないためイマイチ確証が持てないんです ( ̄ω ̄A;アセアセ

だが ここで二人を返したのが本当なら、この時点で宗茂は東軍と戦う意思が無かったことになる。

翌日の9月27日~海峡を警備していた黒田水軍の砲撃を受ける!島津船籍三艘が撃沈!(焼き沈めた

水夫たちに力の限り漕がせて何とか振り切った^^;;まさに行きは良い良い帰りは恐いだ。

島津勢(夫人たち込み)&秋月夫人の帰国コースは、またいずれ改めて語ります。

10月2日~立花宗茂は無事、本国の柳川城(福岡県)に帰還する

主君の帰国に喜ぶ立花家中だが、帰国した宗茂のもとへ訃報がもたらされた



話は少し戻って、立花宗茂がムコ養子として実家の高橋家から立花家へ行く時のことだ。

つねに冷静沈着・動揺という言葉に縁が無い宗茂だったが、
嫡男でありながら相続を外され、他家に嫁・・もといムコ養子というのは流石に凹んだらしいショボーン..._φ(・ω・` )

宗茂出発の門出を祝うの宴の席で、実父・紹運は一人の家臣を呼び寄せた。

紹運「そなたに我が短刀を与える。養父となられる道雪様は、大変に厳しい方だ。宗茂が跡継ぎとして恥ずかしくないよう、そなたが薫育せよ。宗茂に不始末があらば、そなたがこの短刀で腹を切って道雪殿にお詫びするとともに、死をもって宗茂に諫言するのだ。
今日より我が名前、紹運の紹の文字を与える。これよりは紹兵衛(じょうべい)と名乗るが良い」

家臣の名前は世戸口紹兵衛(それまでは十兵衛だった)

彼は高橋家から立花家へ行き、宗茂付きの家臣として仕えた(500石)

世戸口は実家を離れて寂しい宗茂の胸中を察し・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(紹運の申付け通り)厳しく接した ( ̄ω ̄A;アセアセ
(実家も養子先もスパルタ教育)

さらに紹運が選んだだけあって、世戸口は水練と弓の名手。

先の大津城の戦いで、世戸口は宗茂直筆の降伏勧告の矢文を放った。

その矢は数町離れた大津城壁にある京極の旗に描かれた馬印に、見事クリーンヒット!

これには西軍・東軍の双方が「源平の那須与一の扇の的も、かくの如し。さすがは立花家臣だ」

と、しばし歓声と喝采が鳴り止まず、立花の武名を一段と上げる手柄を立てた。

ちなみに矢文は14日の出来事で、京極高次が本当に降伏を決意したのは、宗茂直筆の降伏勧告を見たためらしい。


その世戸口も西軍の敗北で柳川に帰還となり、
上記に書いた安芸日向泊で弓隊30数名を乗せ、宗茂と別船で旅立った。

ところが長門・壇ノ浦で暴風に遭い、世戸口の船が難破してしまう。

無事に岸まで泳ぎついたのは、水練の名人である世戸口と彼の従者だけだった。

世戸口「あぁ!主君から預かった弓隊の兵士を無駄死にさせてしまった!これでは申し訳が立たぬ!お詫びにワシは切腹する!従者のお前は生きて柳川の殿に事の次第を知らせてくれ!」

と本当に切腹して死んでしまった(_´Д`)アイーン

亡き紹運から預かった短刀を使ったんだろうなぁ・・・責任感も忠義も熱過ぎるが故の自害です。

宗茂「世戸口~~生きておれば挽回できるでは無いか!ワシを置いて先に死ぬとは!・゜・(PД`q。)・゜・~

年少のころから自分を支えてくれた家臣の死は、宗茂を悲しませた。

だが何時までも歎いている時間は無い。

西軍である宗茂を討つために、東軍の鍋島軍、加藤清正軍、黒田如水軍が、立花領へ侵攻してくる!

国境から次々と入る各軍の動きは、決戦が近付いているのを否応なしに知らせていたのだが、それは・またの話 by^-^sio

次回より新章「江上表・八院合戦編」

ブログ装飾画像~南洲さま
http://blogs.yahoo.co.jp/yuewannwann
兜、人物イメージ画像~橘朝臣幸麿さま
http://blogs.yahoo.co.jp/cfmjs676
家紋画像~ロンさま
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相互リンク~ばんない様HPアドレス(戦国島津女系図)
http://shimadzuwomen.sengoku-jidai.com
参照先
(しいまんづ雑記旧録←戦国島津女系図の別館です)
URLが弾かれるので貼れません~興味ある方は検索してください^^
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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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