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【長崎市の長崎氏・壱】西肥前強化期間リサーチ4武家目

現在の長崎市を本貫地とする国人がいました。
その名も、まんまで長崎氏。

本姓は桓武平氏・・・となっているんですが、詳しい事は曖昧で判りません。
記録としてハッキリ出ているのが鎌倉時代の「福田文書」
そこから長崎氏は、地元民ではなく在地領主。鎌倉御家人で長崎の地頭職と推測されてます。

本城は桜馬場城で現在の桜馬場中学校(長崎市桜馬場2丁目2−1)にありました。
平時は桜馬場が居城で、城の裏山に詰城があり、こちらは鶴城と呼ばれていたそうです。

城の遺構は・・・雰囲気が残ってる程度ではないかと・・・
というのも、この辺りはシーボルト関連・グラバー邸関連がある所だから^^;
もともと現代の長崎市自体も戦国当時は殆どが海だったらしく、江戸時代かなり変わってるのよネー(*´・д・)(・д・`*)ネー

細かい経緯は不明だが、長崎氏は有馬貴純の息子・康純を養子し家督を継がせた。
西肥前最大の版図を築きつつある有馬氏と縁戚関係になり、長崎氏の前途は洋々かに見えた。
それが色々揉めそうな気配が漂うのは、有馬から入った養子の孫にあたる純景の代だ。

長崎純景は、有馬晴純の息子・純前の娘を室に迎えた。
この有馬晴純の息子にして、長崎純景正室の父というのが、高名なキリシタン大名・大村純前です。
大村家と長崎家の婚儀は舅・純前が受洗する前だったらしい。

1562年、大村純前が受洗すると、長崎純景も受洗しキリシタンとなった。
長崎純景の信仰心が、どの程度だったのか正直なところ判断つきかねる(-ω-;)ウーン
というのも、この年に大村純前がポルトガル船との交易を始めてるからです^^;
ポルトガルは交易の条件が受洗がSETなのネー(*´・д・)(・д・`*)ネー
大村純前はガチ(・∀・)

改めまして~1562年、大村純前が横瀬浦(西海市)をポルトガル貿易港として開港
ちなみに「浦」って入り江のことね^^b
昨年の2012年は開港450周年~何か西海(さいかい)市では記念イベントやってたらしいですよ( ̄ko ̄)
貿易港として横瀬浦は非常に繁栄したらしい。

だが、それを快く思わない者たちがいた。
大村純前を、海よりも深く山よりも高く、、この世の誰よりも憎悪した人物・・それが武雄の後藤貴明でした。
細かい事情は別記事で紹介しますが、後藤に大村家臣で非キリシタンの仏教徒が内通。
1563年、横瀬浦は武雄・後藤勢の攻撃により、開港僅か一年で焼け落ち全てが灰塵に帰した。
2013年は焼野原450周年・・・・(._+ )☆\(-.-メ)ヒカエナサイネ

そこで横瀬浦に代わって・・・(途中省略)・・・で、長崎が新たな貿易港として選ばれた。
そのための町割りが始まり、建設の槌音は活況な事、この上ない^-^
ところが再開したポルトガル交易の旨味を、地元・長崎氏は全く賞味することが出来なかったのだが、それは・またの話 by^-^sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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