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【1570年】その2~がばいカァチャン慶尼

5月中旬、大友勢として下筑後の田尻親種が東の高峯まで攻め込んでくる。

城兵はこれを追い払うべく打って出て戦うと、親種が深手を負ったために退却。

親種は居城へ戻ったが、6月23日に死去する。

6月13日、北の長瀬村にて城兵と神代長良の手の者が戦うも、城兵が討ち負け、多数が討ち死にする。

7月6日、大友・田尻らの兵船数十艘が、南の船手「端津村」へ動き出し
(二次史料ではこれは間違いで、正しくは東の「浮盃津」だとする)、
興賀・川副の城兵が戦うと、筑後勢に討ち死にが多く出て兵船は退いて行った。

7月18日、肥後の城親冬・隈部親永も宗麟の命に従い、肥前へ入ると河上口へ陣を布いた。

7月27日と28日、8月6日と、下筑後の大友勢が浮盃口(浮盃津)へ押し寄せるも、城兵が追い払い、田尻勢に負傷者が多発する。


8月7日、村中城にて評定が行われ、東の口へ打って出て、戸次勢に決死の戦いを挑む事に決する。

先陣は鍋島信生、二陣は小河信友、殿は旗本勢で戸次勢へ打ち掛かる。

最初の交戦では打ち負けるも、二度目は戸次勢を押し、巨勢野へ退かせた。

隆信は、勝ちに乗じて巨勢野の戸次を蹴散らし、高良山の宗麟の本陣へ押し寄せて打ち崩すよう申し述べるが、信生を始めとした皆が無謀と同意せず、
城へ引き退かんとする処へ、神代勢に加わっていた八戸宗暘の勢が兵站を遮る様に攻め掛かって来た。

城兵は疲労の為に打ち負けそうになるも、旗本の納富信安・百武賢兼・安住家能の奮戦により、敵を高峯江の南方へ退けて、無事に城へと帰還を果たした。

この敗戦を耳にした宗麟は、軍兵を差し替えるよう命じて、実弟・大友八郎親秀を大将に、
玖珠越前守・森蔵人大夫・恵良左京允・恵良兵庫助・恵良右京大夫・恵良中務少輔・平井宮内大輔・平井隼人介・豊饒弾正少弼・山下右近大夫・小田左馬助・田籠大蔵允・森式部大輔・その子である森中務大輔・吉弘大蔵允を肥前に差し向ける。

軍勢が横大路を西へ打ち通り、金立山へ登って休息した処へ神代長良よりの案内者である白水讃岐守・篠木薩摩守が現れ、
二人を先に立たせて8月16日、都渡岐の渡りを越えて、軍勢は大願寺野に陣を取った。


翌17日、大友八郎は主従300余騎にて、今山の北の嶺に陣を移した。

八郎が率いた軍勢は30000余騎とも言われ、春日・河上・真手・今山・大願寺の山野に陣を布き、先手は於保村の黒土原に押し出し、軍勢は周辺に満ち満ちた。

隔して城攻めは20日と決する。

17日、又も田尻勢が兵船を以って攻めてくるが、又も多数の手負いを出して引き退く。

18日(19日とも)、納富信景が家臣を率いて、於保村は黒土原に陣を布いていた豊饒弾正少弼・吉弘大蔵允・林式部大輔・城親冬・隈部親永らと戦った。

納富勢はしばし戦うも打ち負けて引き退く。

代わりに新庄の伊東家秀が戦うと、納富勢は気力を戻して共に戦う。

これに大友勢は打ち負け四散、納富・伊東勢は城へと退いた。


19日の早朝、鍋島信生は敵陣を見るべく手勢数人を伴い、城の北側の中野村へ乗り出して北方を見れば、
東は神埼・茶臼隈・火隈山から、西は河上・真手・小城の今山まで、その行程である5~6里の間は敵方の旗幟の翻らない場所は見えなかった。


※(『肥陽軍記』にはこの様を、「その山風に翻る様は、肥後・立田山の秋の夕べや、奈良・吉野山の春の花の朝もこの様であろうかと思われ目もくらむ程で、焚き続けた篝火は沢辺の蛍よりも繁く、朝餉・夕餉の煙は立ち上り、月も光を失ったようである」と記しています)


信生は馬廻りの者へ
「敵勢は日々集まり、なんと夥しい大軍であろうか。当家の浮沈は正にこのときであろう。
だが、戦いの帰趨は兵の多寡に非ず。時の運と不運の二つあるものだ。故に御主らも気を揉む必要はない」。と述べる。

さて信生が帰城すると、城内では明日の大友勢10万余騎が決戦に及ぶと聞こえ、
龍造寺鑑兼は豊後に親しい者が居り、これに一子を質に出し一旦降参致すべしか、或いは城を枕に討ち死に致すか・・・など様々詮議する。


そんな中、信生が
「某、今朝方に敵陣を量りまするに、北の山や谷に至るまで余す所無く敵勢で埋め尽くされております。
然るに明日は四方の寄せ手が一斉に当城へ攻め掛かるとの由、この小勢では万に一つも勝てますまい。
ならば某、今宵今山の大友八郎が陣へ夜討ち致し、十死に一生の戦を挑みたく存じますれば、何卒御命令下さいませ」と頻りに求める。だが、隆信を始め一同はこれに同意しなかった。

そこへ隆信の母・慶尼が評定の場へ現れ、歯をむき出して云った(原文:牙を噛みて申されけるは・

[只今左近大夫が申した事、ここに至っては尤もでしょう。・・・城中の者らは皆、敵の猛威に呑まれ猫に逢うたる鼠の如しではありませんか。ここは敵陣へ打ち掛かり勝負を決するべきです]


と述べた。これに隆信も夜討ちを承諾した。




・・・・・・・・・歯をむき出して・・・いや直訳だと「牙を噛んで述べる」か? ・・・・

慶尼が某芸人の「がばいかぁちゃん」で脳内再生されました,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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