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【肥前後藤氏・参~職明(しきあき)~】西肥前強化期間リサーチ7武家目

職明(しきあき)って名前、カッコ良くね? (人´∀`).☆.。.:*・
いつ戦国になるんだと思いの貴方。
文明年間は立派な戦国「初期」です(`・ω・´)キリッ


没落した?らしい?長島庄渋江氏ですが、いつの間にか本城である潮見城に復活してます。
ただ分家の牛島氏と相続で争ったりしてたので、その勢力は徐々に衰えていったそうです。

長島庄は現在、武雄町大字永島と橘町大字永島という行政区分になってます。
そこには地頭職である後藤氏、長島が本貫地の渋江氏、分家の牛島・中村がひしめきあう・・
と言いたいところですが、もともとが1517町という広大な領地が長島庄。

戦国初期における彼等の勢力エリアが、長島庄の何処をどう棲み分けしてたのか、素人には皆目わかりません^^;
なにせ渋江分家がいたはず・・牛島庄の位置も、どのあたりなのかイマイチ判明してないんです^^
少なくとも潮見神社のあたりは、渋江エリアだったでしょう。
渋江氏本城である潮見城と所縁がある神社ですから。

このころの六角川流域は、三つの勢力に狙われていました。
小城郡の肥前千葉氏、松浦氏、島原高来の有馬氏。
この三氏が、それぞれ勢力拡大を狙うので、六角川流域の国人は狭間で揉まれてました。
ついでに言うと、これに少弐VS大内が加わるので、ホントに大変だったと思います^^;

1483年(文明15)有馬晴純が産まれた年に、後藤職明、渋江公直、伊万里仰、大村胤明が攻守同盟を組む。

渋江公直は男子がいなかったようで、(たぶん)弟の公勢が潮見城主を継いでます。
で、詳しい時期は不明ですが、後藤職明の娘と渋江公勢が結婚してます。
両家はエリアが近接してたと思われるので、複雑な肥前情勢の中で互いに協力し合う為の固めの婚儀と思われます。

さらに攻守同盟のうち、後藤職明、渋江公直、大村胤明の三氏が、
渋江氏分家である中村公継に藤津郡大草野(嬉野氏塩田町大草野)北部の土地を与えています。


このあたりの事情は判りません。
肥前中村氏は本家である渋江氏が衰退したドサクサに勢力拡大し、小城の肥前千葉氏に仕え家老にまでなってブイブイ言わせてました。
大内と組んで千葉氏の家督に介入し御家騒動まで起こしてましたが、その肥前千葉氏も東西に分裂。
東千葉氏に仕えた中村氏も、一時の勢力が嘘のように衰えていったそうです。
元々が譜代でもない余所者ですから、東千葉も追い出されたのか?,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
これが戦国後期に後藤家に仕えたという、中村氏の前身になるのかもしれません。

さて、六角川は肥前須古城で濃厚にやったので、後藤氏では黒髪山・黒髪神社を紹介したいと思います。
ちょっと長くなりそうなので、ここでブレイク、それは・またの話 by^-^sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
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