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【肥前後藤氏・六~貴明ー2】

1560年、後藤貴明は正室が早世し子供がいないことから、平戸・松浦隆信の次男・惟明を養子に迎えた。
(*´∀`)はてさて・・・面妖な。
貴明は未だ27歳の若さで、他家から養子を迎えるのは早すぎる。

ウィキペディア「後藤惟明」によると、
「(松浦)隆信が宗家の相神浦松浦氏と対立する中で後藤氏の支援を求めた政略的事情が、養子になった理由」とある。

(*´∀`)腑に落ちないな~支援を求められた方が、若くして養子を貰うって不自然じゃないこと?

松浦隆信次男・惟明は1545年産まれで、数え16歳。
未だ数え27歳の貴明が引き取るには、育ち過ぎてる。

松浦隆信の理由は、その通りで裏も表もないだろう。
後藤貴明の方でも松浦隆信の力が必要だったので、養子を貰い受けたに違いない。

松浦隆信は、すっかり関係が拗れた宗家を倒す為。
後藤貴明は、大村純忠を倒し、大村領を「取り戻す」為。

後藤貴明は有馬から横槍がなければ大村の家督を継ぐはずだった立場。
だから貴明にすれば単なる領土欲ではなく、有馬の介入で「奪われた全て」を「取り戻す」戦いなんです。
気持ちは理解できないでもないが、この微妙な養子縁組は後に禍根となって、貴明に皮肉な運命をもたらすこととなる。

人物・松浦隆信 松浦隆信イメージ画像
ちなみに隆信の「隆」は、大内義隆からの偏諱です^^/

さらに後藤貴明は他にも手を打っている。
1559年、ウロウロ・・・もとい亡命してた渋江公重と公師の兄弟を呼び寄せ、潮見城を守らせ有馬氏への備えとした。
別々に亡命してた兄弟の父・公親(貴明の亡き養父・純明の実弟)も潮見城に入ってるが、
コッチは兄弟が父を招いたのか、後藤貴明が公親も呼んだのか、その辺は判らなかったです^^;

かつての主と被官の立場が逆転したが、それも時の流れ無常の世の中。
肥前の複雑な政情で、自力で領地回復など到底おぼつかない。
「本城に戻れたのは、全て(後藤のお蔭じゃなくて)潮見明神の御利益(-人-)☆彡」
と、未だ46歳の若さなのに公親は、妙に信心深くなってたらしい。

1560年、ある意味、現実逃避気味の渋江公親に対し、有馬の謀略が仕掛けられたのだが、それは・またの話 by^-^sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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