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【松浦(まつら)党~上と下と本家と分家と2】西肥前強化期間リサーチまとめ

有馬と大村関連のデータが薄いので確証に乏しいのだが、
西肥前戦国史でキーとなるのが、松浦(まつら)氏における宗家と分家の争いのように思う。

実は上松浦と下松浦の区別が未だに曖昧^^;
要するに地域別区分けなんだけど、佐賀県と長崎県にまたがるから何処から何処までを上と下に分けてたのか・・・ヽ(。_゜)ノ ワカランチン
とにかく京都に近い方が上になるんで、とりあえずザックリと佐賀県側が上松浦、長崎県側は下松浦になります。
肝心なのは、宗家と平戸(分家)の争いです。

明との交易で経済力をつけた平戸が、例の「万人恐怖&籤引き(神意で選ばれた)将軍・足利義教」の信任受けて宗家松浦と対等な立ち位置になった事から揉め始めた。
そういや肥前千葉氏が最初に分裂した時も、この足利義教が家督簒奪した弟を公式当主認定してたわ。
無能な将軍も困るが、義教みたいに果断すぎる将軍も、家督に介入された方は結局揉めるのよネー(*´・д・)(・д・`*)ネー

まぁ、ここまでは家督アルアルなのだが、松浦氏の争いは少弐氏が絡んだので話が大きくなった。
少弐政資の孫娘が、宗家松浦氏に嫁いで縁戚関係だったそうです。
それと平戸松浦は、明との交易絡みで大内サイドでした。

1491年、有馬貴純による平戸松浦攻め
とあるのが一般的な扱いなんですが、
そもそもこれが有馬単独ではなく少弐政資が、千葉氏、龍造寺氏、高木氏を率いて参戦。
有馬貴純は有馬尚純、諫早の西郷尚善、大村純伊の連合軍でした。
詳細データが判らないんですが、介入したのは有馬が先でも、身分からいって総大将は少弐政資だったと思います。

だから・・・1491年、少弐政資と有馬連合軍による平戸松浦攻め・・・が正解,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
とにかくコテンパンにされた平戸松浦は城落ち延びて、筑前に更に山口へ亡命し大内の保護下に入った。
この戦いによる戦功で、有馬氏は少弐政資から領地を安堵されたとか(出典・詳細などは未確認)

有馬貴純は南肥前(島原半島の事らしい)で既に勝ち組だったんですが、西肥前に本格的に勢力拡大したのが、この戦いからだったそうです。
少弐政資が大内に敗れて少弐が没落したので「少弐政資と、連合軍」の部分が歴史的に割愛されました(-人-)☆彡

何しろ松浦党は53氏あったので彼等が宗家と平戸、どちらのサイドだったのかを全て調べるのは無理でした^^;
ただ一つ言えるのは、この1491年の合戦で松浦宗家サイドに馳せ参じた松浦党武家は、
少弐政資の軍役に応じた事にもなるので「大枠で少弐被官」に分類されます。

(自分が把握してる範囲では、宗家サイド~波多氏、鶴田氏です^^;コレダケ・・・)

以前自分は、偏諱(へんき=諱の一文字プレンゼント)はネコのマーキングと同じで、誰が誰の配下か一目瞭然だって言いました。
「軍役に応じる」もそうです。

「少弐政資の軍役に応じた=少弐被官」というマーキングは、数十年・・・いえ文献が残る限り消えません。
そして外交ルートは表面上無くなったように見えても、政治情勢の変化で復活します。

なぜなら少弐氏が「衰退⇒滅亡⇒リベンジ⇒プチ復活⇒また負けた⇒衰退(以下略)」のループを繰り返すからなのだが、それは・またの話 by^-^sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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