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北肥戦誌【1567年】 秋月が筑前騒乱を引き起こす

●永禄10年(1567年)

去る弘治の頃、筑前の筑紫・秋月両人が大友へ叛意を示した後に、その警衛のため同国の岩屋城へ豊府よりの下知にて高橋鑑種が居住していた。

この高橋であるが豊後の一万田弾正の弟で、前三河守親種の家督を継いでいた。
鑑種は或る日、重代の主君である大友に叛き、岩屋・宝満の両城に聢と籠城に及んだ。

その理由を訊ねると、

先ず一つには・・・豊後太守である宗麟入道、近年その作法は甚だ不行儀で、ひたすら女色に溺れていたのであるが、高橋の兄である一万田の妻女が美しい事に迷走し、割り切りもせずこれを所望したのであるが弾正はこれを許さなかった。
そこで宗麟は様々工夫を凝らし、弾正を易々と毒殺し忽ち彼の女房を犯し取ると、十二人の妾の第一に据えて深閨(奥のねや)に隠し置いた。
高橋はこの事を伝え聞くと大いに疎み憤った。

二つは・・・去る永禄四年、大友家は豊前国を手に入れるべしと兵を差し向け、先ず香春岳の城を攻めたのであるが、高山であったため容易に事が成らなかった。
その然る処に、筑前は山鹿の麻生鎮貞の依頼により原田遠江守・同備前守が下城、豊後衆は宮古郡へ陣替えし、三尾原へ陣を寄せ所々へ分けて遣わした上で文司城へ取り掛かっていたのであるが、文司城主の仁保右衛門大夫は堅固に城を守ったため度々攻め寄せたが勝利を得られなかった。
更に文司城へ関口より船を以って加勢する衆があり、また毛利家の人数も関口に着陣すれば豊後衆は敵い難く、霜月五日亥の刻、闇夜の中を尽く敗走し立つ足もなかった。
これより大友家の武力は散々手弱く見える様になり、世上の沙汰もよろしく無くなった。

これらから鑑種は心中で大いに豊府を疎んだが、先ず一両年はおくびにも出さずに仕えていた。
その後、豊後衆が松山の城で長陣をした後、鑑種は遂に大友家に背いて中国の毛利元就に属すと、すぐに岩屋・宝満の両城に取り籠った。

かくして、この事が府内に聞こえれば宗麟入道は大いに立腹、早速に鑑種を誅伐せよと筑前の秋月種実・筑紫惟門へ下知した。
また、府内よりの検使として、生善寺・田尻三河守を差し向けた。
両使はすぐに筑前へ赴き、秋月・筑紫に参会して評定を極めた後、宝満表へと進軍したのであるが、宝満城は険阻な高山で攻め戦うのは中々難しかった。

これにより更に、府内より斎藤鑑賢・夏足宗誉入道も遣わされたが、これまた同じ様に日数を重ねるだけであった。
その2-3箇年の間に他の検使が交代し来陣したが、ついに高橋退治は果たせぬまま虚しく月日を送り数カ年に及んだ。
間もなく、高橋に与する者が次第に増え、肥前には龍造寺、筑前には原田・立花、筑後には草野・星野・黒木・問註所ら、各々が城に立て籠った。

筑前国糟谷郡は立花勢棲山城主の立花鑑載も、永禄八年の春頃より高橋と同意し、毛利元就に属して大友に逆心を挟んだ。
この立花は元来大友の一家で、西大友と称して先祖の右近将監貞載以来、数代筑前の立花に在城していた。
この鑑載、然したる遺恨はなかったのであるが、豊府の政務を鑑みるに日増しに暴悪となっていくこと、其の上、宗麟入道が南蛮の邪宗を崇敬し、女色に浸り挙句に一万田の妻女を犯し取り、更には伯父・菊池重治の妻をも奪い取ったことなどに大友の滅亡は近いとみて反逆に及んだのである。

かくしてこの事が府内に聞こえれば、同年夏に鑑載誅伐として戸次伯耆守・臼杵越中守・志賀安房守・朽綱三河守以下大軍を以って立花山に取り掛かった。

5月17日、辰の一点に矢合わせが始まり、7月に及ぶまで攻め戦った。
城主の鑑載は懸命に防戦したが遂に自害して果てた。
間もなく城は落ち、寄せ手は勝ち鬨を上げ、当城の番には奴留湯主水允を入れ置いた。

このとき、高祖城主の原田了栄とその息子の親種も大友に叛いており、豊後勢はこれを攻めたが原田父子は防戦敵わず、了栄は行方知れず、親種は高良山に落ちて衆徒を頼っていたが、或る朝、手水を使っていた処を最愛の寵童が心変わりしたため敢え無く斬殺された。

さて、高橋鑑種であるが、検使が打ち変わって攻め戦っても、無双の要害は事も無げであった。
しかして永禄十年、豊後より戸次鑑連・臼杵鑑速・吉弘鑑理に肥後衆が加わって大挙出陣し、筑後からも蒲池・田尻・三池・溝口らが参陣、宝満の麓の堂尾観世音寺表に着陣した。
これに秋月種実も名代を立てて出張し、色々と計略を廻らせて高橋を攻めたが、岩屋・宝満の両城は尚も堅固で然したる結果は得られなかった。

その後、寄せ手を二つに分け、臼杵鑑速は多田越というところに陣を移し野陣したのであるが、このとき秋月種実が高橋に一味するとの風聞が流れた。
鑑速は秋月名代を陣中にて討ち果たし、ならば高橋を差し置き秋月を攻めるべしと、同8月15日の夜中に秋月表に取り掛かり、同16日の午の刻に休松に着陣した。

種実はすぐさま居館を出て古処山の本城へと上る。
その間、豊後勢は評定を極め、臼杵鑑速と吉弘鑑理は肥後衆を率いて八町というところに陣替えし、戸次鑑連は南部衆・筑後上下の衆を従えてそのまま元の休松に在陣した。
しかし秋月勢は出陣してこない。

その後、戸次鑑連は徒軍と共に彌永表へ陣を移し、向い城を取り付けるべしと定めて、同9月3日、休松の陣を引き取ったところへ秋月勢が城を出て打ち掛かり、戸次鑑連は休松の山中で必死に防戦した。
が、豊後勢は散々に討ち負けて這う這うの体で敗走、数がわからないほど諸手の歴々が討ち死した。
中でも、鑑連の弟である戸次中務大輔や戸次兵部少輔・戸次刑部少輔、筑後衆では溝口鎮生・三池鑑連の弟の三池親冬・蒲池近江入道・蒲池九郎兵衛らもが討ち死にした。
その敗走の際、筑後の田尻鑑種はその場を退かず、戸次鑑連の傍にあって自ら打ち戦い、敵の首級15を討ち取った。

田尻勢にも討ち死に・手負いが多く、先ず鑑種の弟である田尻式部少輔、田尻刑部少輔・田尻大和守・田尻常陸介・田尻左京允・田尻三郎左衛門・田尻三郎四郎・田尻右衛門尉・兼行佐渡守・鳥町対馬守ら侍20人、又者35人、疵を被る者29人なり。

この外にも諸家の者が尽く討ち死にして豊後勢は難儀に見えたが、大将の戸次鑑連は少しも屈せず、その夜に敵の近所である三桑木一本原に切り入ったため、諸勢は皆足を止めずに筑後川辺りまで引き退けた。
このとき豊後衆の朽綱入道宗歴・清田入道紹喜・一万田入道宗慶は足場を退かず、また筑後衆の三池鎮実・田尻鑑種もその場を去らずに戸次の傍に居た。
戸次鑑連は大いにこれを感じ入り、先ず三池鎮実へは、その父・鑑連が忠節を尽くして討ち死にした報償として具足一領を与え、田尻鑑種へは秘蔵の太刀一腰を与えると、両人共に少し休息せよと、明くる4日に在所へと帰らせた。

隔して9月4日、豊後衆は山隈原に向かい城を取り付け、戸次鑑連を始め南部衆が皆籠った。
一方、八町に在陣した臼杵鑑速並びに肥後衆は古処山を攻めあぐね、また引き退く事も叶わず、先ずは様子を見る事とした。
すると大雨が降りだしたので、その風雨に紛れて八町の陣を退いてこれも山隈へ入り在番した。
かくして次第に冬が深くなり、豊後の三将は山隈の城を去って皆が筑後へ打ち入り、戸次は富本村へ、臼杵は八町島へ、吉弘は吹上村へ在陣してここで年を越した。

10月頃?原田入道了栄(隆種)が隆信へ遣いを出し親交を求める。これを知った宗麟は、筑紫広門に隆信を攻撃させた。



≪筑前サイドから拾ったタイムスケジュール≫

この年1月、筑前の国人・秋月種実19歳が再び大友氏に対し挙兵します。
6月に秋月に呼応し、大友家臣・高橋(一万田)鑑種が謀反を起こします。

激怒した宗麟は「秋月討伐令」を関係各所に発布。
7月に筑紫惟門が大友家臣(斉藤鎮実)の攻撃を受けて自害し、筑紫家は降伏したんです。

9月「筑前の騒乱」が勃発
秋月に呼応した宗像氏が、大友家臣(戸次道雪)に制圧されていた支城(許斐城)を奪い返す。
同じく秋月に呼応した原田入道了栄(隆種)の「4男・親種」が大友に対し徹底抗戦。
1565年に国境で揉めた原田と竜造寺は和睦し、原田家から竜造寺へ人質が差し出されています。

これらの動きが大友宗麟の怒りスイッチに触れたのでしょう。
降伏して間もない筑紫家に対し竜造寺攻撃を命じたようです。
時に筑紫広門・・・12歳の少年当主でした。

ただ筑紫VS竜造寺が、どこまでガチだったか判然としません。
というのも隣の筑前が争乱((((((((((っ´▽`)っヒャッハ~大友に叛旗フィーバーしてたからです。


宗像・原田だけでなく、秋月に呼応した国人は、城井氏、長野氏、千手氏。
謀反を起こした大友家臣は、高橋鑑種、立花(前立花氏)鑑載、
プラス毛利から援軍付です。
逆を言えば「筑前が騒乱している」ので、肥前の戦国の海原は凪いでいたとも言えます。


というのも、秋月の努力が報われて?1569年に「毛利VS大友」が実現するからです。
肥前・・・ひいては竜造寺家へ大友という嵐が来るのは、その後になります。



筑前と肥前とでは、違う表現になってる・・・Σ(´Д`;) うあ゙
擦り合わせに苦労しそうですが、ゆっくり調べます( ̄ω ̄A;アセアセ
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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